少年と花火 第二話

 俺はどうせダメなヤツだ。暗くて、クラスでは目立たないし、オタクだし、身長低いし、運動も勉強も出来ないし。


 いや、分かってる。本当にダメな所はそんな瑣末な所ではない。


 本当にダメなのはあの時、仲村に何も声をかけられなかったことだ。


 うつ伏せで肩を震わせている仲村の手を取ってやる勇気がなかったことだ。


 俺はそんな自分を恥じた。恥じに恥じた。


 仲村が転校してしまう。


 姫島達が教室で仲村を囲んで、寂しぃーなんて嘘をついているのを見かけた。


 男子生徒達が学校の華がいなくなる事を嘆く姿を廊下で見た。


 だからなんだと言うのだ。俺にはもう関係のない話である。


 俺は仲村に何もしてやることは出来なかった。


 もう、何も望むまい。仲村が空を舞う蝶ならば、俺は地を這うダンゴムシだ。


 ダンゴムシらしく、地を這い、現実の女の子ではなく、二次元の女の子に熱中すれば良いではないか。仲村のことは忘れよう。


 そもそも人はいつか死ぬのだ。


 この世に永遠のものがあるのならば、それは芸術だけなのだ。


 仮に、仲村に何かしてやれた所で仲村もまたいずれは死ぬのである。ならば、何をしても無駄というものである。一切は失われるのみなのである。


 そんな虚無感を感じながら過ごす時間は早かった。


 あっという間に終業式を迎えた。


 結局、仲村と話すことはなかった。


 彼女は八月の終わりに福岡に引っ越していくそうだ。


 終業式が終わり、いそいそと帰り支度をしているところに坂田がやってきた。


 「どうしたよ、ベストフレンド」


    そう言って坂田は俺の肩に手を置いた。


 「どうしたって、どうしたよ」


 「最近、死ぬほど陰気くさいぞ」


   「陰気くさいのはもともとだ」


   「違うよ、お前は陰気くささの中にも光るものがあった。こう、なんだろう、真っ直ぐ屈折した性格だった。でも、今のお前は、そうだな、掃除道具入れの中で干からびてる雑巾くらい陰気くさい」


   「なんだそれ、そう思うならもっと俺を元気付けてくれよ」


   「そう思ってこれを持ってきたのだ」


     仲村は肩に置いたのとは反対の手を俺の目の前まで持ってきた。その手にはチケットが握られていた。


 「これは?」


   「夏に公開される『魔法美少女きゅるりん桃香劇場版』のチケットである。しかも公開日のチケットである」


    「げは」


    俺は驚きと興奮のあまり大声を出してしまった。


 「さすがマイフレンド。俺はお前と言う男と出会えて嬉しいぞ」


    坂田の事を抱きしめようとしたが、気持ち悪いと言われ突き飛ばされた。俺は笑った。坂田も笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだった。


 「ありがとな」


   「いいってことよ」


    チケットをしっかりと見つめる。それは八月の第一週の土曜日上映の回の映画チケットだった。


 花火大会の日だ。


 俺はまた仲村の事を思い出してしまった。思い出したらズンと気分が急速に下降していく。


 「おい、どうした」


 そんな俺に気がついたのか、坂田が不安そうに聞いてくる。


 「いや、なんでもない。なんでもないぞ。嬉しすぎて武者振るいしていただけだ。そうだ、今日はこれからお前の家で『魔法美少女きゅるりん桃香』全話視聴会をしよう。DVD持ってくよ」


    「おう、そうと決まったらすぐ帰ろうぜ」


   俺たちは教室を出て急足で廊下を歩いて行った。二年三組の教室の前で、俺は思わず教室にいる仲村を探してしまった。


 仲村は誰とも話さず、一人、窓の外を見つめていた。その姿を見た時、心が締め付けられたが、俺は引きずる後ろ髪を引きちぎり、坂田と共に学校を後にした。






 夏休みは恐るべきスピードで過ぎていった。


 その頃には俺はもう仲村の事を考える時間も随分と少なくなっていた。


 ただ毎日漫画を読み、扇風機の前でテレビをぼけっと見つめる日々が俺から思考能力を奪っていったのであった。


 それは非常にありがたかった。


 これ以上、苦しんだり、悩んだりしてもどうしようも無い。俺には仲村の家庭問題を解決することはできない。仲村を救ってやることは出来ないのだ。


 どうしようもないことは考えないに限る。


 きっとこれで正しいのだ。


 そう思っていたのに、坂田と映画を見に行く前日の夜、俺は夢を見た。






 ヒューっと言う音が空いっぱいに響き、白い線が暗闇の中を登っていく。 


 白い線は少しずつスピードを落とし、止まった。次の瞬間、夜空一面に大きな花が咲いた。


 周りの人たちはその美しさにため息を漏らしていた。


 そんな中で俺と仲村だけが途方に暮れていた。


 出店が立ち並ぶ堤防の土手に座り、河畔いっぱいに広がって花火を見上げる人々を見ていた。


 横にいる仲村は小学三年生で俺も小学三年生だった。迷子になった俺たちはさまよい歩き、疲れて土手に腰を下ろしたのであった。


 仲村は手で顔を覆って、わんわん泣いている。


 俺は泣き止んで欲しくて、でもどうしていいか分からなくて困り果てていた。


 なんとしなければと思い、立ち上がり、俺は仲村に見ろ、と言った。


 土手で仲村の前に立ち、全身を脱力させて身体をぶるんぶるん回して踊った。


 「見ろ、これがダメ人間ダンスだ。やる気がないから力が入らなくて、ぶるんぶるんと踊るんだぜ。ほら、ぶるんぶるん」


   そう言って必死になって俺は踊った。


   な、面白いだろ。だから笑ってくれよ。


 「・・・変なの」


   涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔を上げて仲村は笑ってくれた。


 それが嬉しくて、俺も少し泣きかけた。


 「安心しろって、俺がついてるんだから。ほら、おじさん達探しに行こ」


 俺はそう言うと座り込む仲村に手を差し出した。うん、と言って笑った仲村は俺の手を握りしめた。


 その時、この日一番大きな花火が上がった。


 二人して花火を見上げた。空を覆う炎色反応は一瞬、この世の全てを忘れさせた。世界には二人だけになって、ずっとこの一瞬が続いたらいいのにと思った。


 目が覚めると、自分の部屋で、少しだけ泣いた。










 魔法美少女きゅるりん桃香こと、海藤桃香は小学五年生。不思議なコンパクトを拾った瞬間、魔法少女に変身して悪と戦う運命を背負わされた運命の美少女。


 その最後の戦いを今日、俺と坂田は見届けるのであった。


上映三十分前には映画館で坂田と落ち合って、俺達は上映までの時間、グッズを見て、それが終わればフロアの椅子に座りポップコーンを食べて過ごした。


 「知ってるか、今日、仲村さんこっちでする陸上大会最後なんだって」


 ポップコーンを口いっぱいに詰め込んでモゴモゴ言わせながら坂田は俺に話しかけてきた。


 「知らんし、興味もない」


  俺はなぜまたこいつは仲村の事を思い出させるような事を言うのだろうか。


 「迷ったんだぜ、お前と映画行くか、それとも陸上競技場行って、ピッチピチのユニフォームに包まれた仲村さんを見守るかよ」


   そう言って坂田は笑った。 


 俺は顔をしかめてポップコーンをまた引っ掴むと、乱暴に自分の口にぶち込んだ。


 ポップコーンが飛び散らせながらモガモガと食う。


 「お前、仲村さんのこと好きだろ」


   坂田はポツリとつぶやいた。隣の坂田を見ると、彼は俺ではなく、前方のポップコーンが売っている売店とそれに並ぶ人々をぼんやりと見つめていた。


 「どうして、そう思う」


   「お前はわかりやす過ぎる」


  そう言うとポップコーンをひとつ掴むと、ピンと弾いて俺の顔に当ててきた。


 「何をするんだよ」


  「後悔するぞ」


  「どうしろって言うんだよ。競技場に行けってのかよ」


   「そう言うことだ」


  「行ってどうするよ?俺に何ができる」


  「抱きしめてキスして、その場から連れ去っちまえよ」


   「な、そんな破廉恥な事ができるか」


  「臆病者めが」


   その時、アナウンスが会場に響いた。


『十一時より上映の『魔法美少女きゅるりん桃香劇場版』の入場を開始します』


  「まぁ、行かないのも人生よ。桃香の戦いを見届けようぜ」


  そう言って坂田はくるりと背を向けて入場口に歩いて行った。俺はその背中にトボトボと着いていく。





 


 上映が始まってしばらく経った時、俺は困惑していた。どのシーンにも感情移入できない。


 理由は分かっている。仲村の事が頭に浮かび続けているからだ。


 暗がりの中、大画面で映される桃香。可愛くて俺と坂田が大好きな女の子。でも所詮絵なのだ。


 仲村は今どうしてるだろうな。


 画面の中で桃香が笑う。


 仲村はあの日から泣いてないかな。


 画面の中の桃香が泣く。


 仲村は幸せなのかな。


 スクリーンには桃香ではなく、中村とのこれまでの思い出が映し出される。





 「初めまして、越してきた中村です。ほら、挨拶して」


    幼稚園の頃、砂場でお母さんと遊んでいた時、隣に座り込んで黙々と砂の塔を作り出した女の子。それが仲村だった。


 仲村のお母さんが挨拶しなさいって言うのに、奴は黙々と城の建設に集中してまるで聞いてなかった。変な奴だな。と思ったけど、その変なところがすごく気になった。


 「大丈夫だから、安心して着いてきなさい」


   そう言って不安がる仲村を連れ出したのは小学一年生の時。探検と称して、隣町まで二人で自転車に乗って行った。


 帰りが遅くなってしまい、親に怒られた。


 「中学に行ってもよろしくね」


   そうやって仲村が笑いかけてきた小学六年生の春。


 その時、仲村の身長は俺を少し追い越し、彼女の身体は大人に向けて急速に変化している最中であった。一方の俺はと言うと、ガキもいいところで、彼女の変化に何も気がついていなかった。仲村、最近ちょっとだけ変わったかな?程度の認識だった。


 彼女は俺よりも身長が高くなった事をすごく気にしていて、隣に並びたがらなくなっていた。俺はそれが面白くて、わざと隣に並びに行ってよく仲村を困らせたものだった。


 小学校の卒業式の後、二人で歩く帰り道。仲村は例の如く、並んで帰るのが嫌だから少し前を歩く、住宅街の両脇に桜が広がる下り坂で、彼女は振り向いてこう言った。


 「私、中学生になるのすごく不安だけど、きいくんとなら平気だよ」


   しかし、彼女の隣から俺は去って、二度と戻ることはなかった。







 『馬鹿、幸せになりたいなら、幸せを掴みに行きなさい。この自意識過剰のボンボン少年が』


 



 スクリーンの桃香が叫ぶ。


 俺は思わず立ち上がってしまった。




 『行くのよ。あの子を幸せに出来るのはあなた一人だけなんだから』




  おい、見えないんだけど。後ろの席のオッサンがぎゃーッと叫ぶ。が、俺はそれどころではない。


 「坂田」


   隣にいる坂田を見ると彼はまっすぐとスクリーンを見つめていた。


 「桃香は俺が見守る。お前は仲村さんに会いに行け」


  ありがとう、ベストフレンド。


 心の中でそう呟くと、俺は全力疾走して劇場を飛び出した。


 まさに風のようにとはこのこと、人の波を抜い、映画館を走り、扉から飛び出していき、歩道を駆け抜け、駅に向かう。


 待っていろよ仲村。走れ走れ、動け動け、俺の足。歩道の人たちが俺の気迫に押されて道を譲る。


 その間をモーゼのように走り抜けていく。


 さあ、行け。横断歩道に一歩足を踏み入れた時、軽自動車にはねられて身体が宙に浮いた。


 うそーん。景色はスローモーションで流れていき、俺はゆっくりと地面に落ちて行った。


 「嘘、え、マジ、ヤバ、大丈夫?」


   車から降りてきたのは若い女性らしく、断片的な言葉を口走っているのが聞こえる。


 俺は膝をついて立ち上がる。


 全身擦り傷だらけだし、節々が痛い。


 「救急車、救急車」


   女の叫びが耳元で聞こえるがしかし、それを打ち消すようにして叫んだ。


 「俺は行かねばならんのだー!!!」








   陸上競技場に着いた時、俺の身体はズタボロだった。血は固まり、髪はバリバリになっていたし、服は所々破けている。


 走っているところ、容赦なく夏の太陽に照らされて、汗だくだくのびしょびしょである。


 でも、行かなくてはならない。


 競技場の階段を駆け上り、スタンドに上がる。すれ違う他校生達がギョッとしたように俺を見つめてくる。


 当然だろう。ジャージに身を包んだ彼ら体育会系の群れに、突然血だらけの子男が乱入してきたのなら誰でも訝しがるだろう。


 でも、今の俺はそんなの気にしちゃいない。どこかの誰かの目なんて気にしてられるか、仲村に会うまで死んでも死に切れんぞ。


 辺りをキョロキョロと見回す。


 スタンド中、他校生の群れで一杯である。


 仲村はどこだ。今走ってるのか、眼下の陸上トラックを見るも、走っているのはむさっ苦しい男ばかりである。


 仲村は、仲村は、ボソボソと呟きながら歩く俺の姿は事故で死んだ地縛霊の様に見えるだろう。しかし、どう見られようとかそんなの関係ないのだ。


 いた。仲村はスタンドの中央なら上段部でユニフォームを着て、ぼんやりと陸上トラックを眺めていた。


 その一画全体が我が中学のテリトリーらしく、他にも見たことのある陸上部の面々が腰を下ろしてトラックを眺めている。


 姫島もそこにいた。彼女は仲村の隣に座り込んで、何やらキャーキャー言っている。それを仲村は上の空で聴きながら陸上トラックを見つめているのだ。


 俺は階段を登り、スーッと吸い込まれる様に仲村に近づいていく。


 近くにいる誰もが俺を二度見したり、くすくす笑ったりしている。でも、そんなこともうどうでもいいのだ。


 俺は仲村の隣に立った。


   姫島は何やら猫撫声で仲村に話しかけていた。「最後の大会頑張ってね、絶対行けるよ」白々しい。そんな嘘ついてでも、よく思われたいのか。


 「おい、ブス、うるせえぞ」


   自分でもびっくりするくらい通る声であった。


 突然声をかけられてびくりとした姫島は、更に血だらけの俺の姿を見て、ギョッとした様な顔をして、口を開けて何も言えなくなってしまった。


 ぼんやりしていた仲村も姫島の異変に気がつき、その視線の先を追う。


 そして、俺と目が合った。


 「きいくん」 


 驚いた様に俺の名前を言う。


 俺は跪いて、彼女の手に自分の手を重ねた。


 「仲村、花火見に行こうぜ」


   「でも、あと少しで最後の大会なの」


   仲村がそう言った時、ようやく姫島は口を動かして叫び始めた。


   「そうよ、何こいつ、マジキモい、やばい、やばい、警察呼んで、誰か、なんで血だらけなの、怖い」


    姫島は錯乱しながら、罵倒の嵐を俺にぶつけてくる。でも、そんなの問題じゃない。俺は中村と話に来たのだ。


 「仲村は、陸上好きか」


   「・・・大嫌い。褒められるからやってるだけ」


  「なら、抜け出そうぜ」


  「うん」


  「ねえ、何言ってんの!?信じられないんだけど、みんなに迷惑かける気!?あんた達ホントキモいんだけど」


    突然現れた俺にブスと言われて、仲村が大会を抜け出すと聞いて、姫島はキレてしまった。顔を歪ませて仲村の肩を掴むとブンブンと振り回して、キモいだの、なんだのと口走る。


 そんな姫島の頬を仲村はパシャリと平手打ちした。


 「前から言おうと思ってたんだけど、うるさいよ。もう少し静かに話せないの」


   仲村の言葉に姫島の顔はどんどん弛緩していき、とうとうシクシクと泣き出してしまった。


 今度は俺が呆然としてしまった。


 仲村もこんなことする時があるのか。 


 仲村はエナメルバッグを掴むと立ち上がった。


 「行こう、きいくん」


   「うん、そうだな」


   俺たちはガッチリと手を繋ぐと走り出した。


 二人でスタンドを抜けて、陸上競技場を走り抜ける。すれ違う他校生はみんなポカンとしていたし、大人が、待ちなさい、と叫んだ気がする。でも、どうでもいいのだ。そんなこと。俺は仲村と花火を見に行くのだ。








 二人で土手に座り込んで花火を見た。


 相変わらずズタボロの服を着た俺と、ジャージに着替えた仲村は着飾った周囲の人々から完璧に浮いていた。


 「綺麗だね」


   横にいる仲村がそう言った。


 「綺麗だ」


 俺たちは夜空で繰り広げられる光のショーに見惚れた。


 「私、学校も家も大嫌い」


 「うん」


   「みんな、死んじゃえばいいって思う」


   「うん」


   「でも、そんなみんなに合わせて生きてる自分はもっと嫌い」


   「うん」


    横を見ると、仲村は泣いていた。目から涙が次から次に溢れてきている。見る見るうちに涙が溢れ出す。遂には鼻水も垂れてきて、口を開けて涎を流しながらわんわんと声を上げて彼女は泣き始めた。


 俺はそんな彼女を抱き寄せた。彼女は俺の肩に顔を埋めて泣いた。


 「福岡に行きたくないよ」  


   「うん」


   俺はそっと静かに仲村の肩を抱き締めた。


 花火よ、もう少しだけ続いてくれ、もう少しだけ彼女の涙を隠して欲しい。


 そう思いながら花火を見つめた。


 必ず、福岡まで彼女に会いに行こう。そう、俺は心に決めた。

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