影法師

金曜日の放課後、生徒が最も無理のできる日。明日が休みなのをいいことに多くの生徒は7時を回っても吹奏楽の音が鳴り響き、校庭ではボールのはね返る音や掛け声が聞こえてくる。

もちろん、軽音楽部でも。

音楽室に近いこの部室は隣が文芸部、向かいが文学部などの文化部で構成されているので、この時間にもなると軽音学部のある階にはほとんど生徒が残っていない。加えて旧棟ということもあって戸締りなどのルールが緩いせいで帰りが遅くなることは割とある。

「そろそろ終わろうか」

部長の一言で片付けの準備を始める。ちなみに部長は智音だ。理由は部員が5人しかいないことと、彼女だけ3年生ということだけだ。

窓から差す夕焼けは眩しく、カーテン越しからも教室を照らさんとする。

鴉の鳴き声が静まり返った旧棟に響く。

「じゃ、お疲れ様」

「「「「お疲れ様でーす」」」」

自転車組と徒歩組は別々の階段を降りていく。僕と星奈は家が近いので必然的に同じ階段を降りる。3人は自転車組なのでここでお別れだ。

「あの曲、本番までに弾けると思う?」

星奈が言っているのは部で決めた文化祭で発表する曲だ。文化祭は体育祭の1ヶ月後にあるが、その練習で夏休み前から時間が取られるので7月から課題曲については練習を始めていた。

「わかんない。というか僕だけ歴が短いから足引っ張ってないかの方が心配」

「それは大丈夫だよ。みんなそうなこと気にしてないって」

「でも去年、」

そこまで言って彼女は僕の口を指で塞いだ。

「そんな暗い話はさ、しなくていいじゃん。翔真君だって一年間頑張ってきたんだよね?だったら、それをみんなに見せようって思うだけでいいんじゃない?」

あの時の、無理に取り繕った笑顔は今でも脳裏に張り付いている。励ましも、慰めも、何より誰も僕を攻めなかったのが一番辛かった。

「そうだね。今年こそ成功させたい。今年もも失敗したらもう先輩に顔向けできないもんね」

「そうそう、その意気だよ」

日は沈んだけれど、空はまだ茜色だ。梅雨のジメジメとした暑さを流すように涼しい風が吹く。少しだけ気持ちも晴れた気がする。

「あっ、そうだ」

突然思い出したような声に思わず反応する。

「なに?」

「そういえばさ、今日のテスト返却どうだった?」

少しだけ気まずそうに、顔を逸らしながら聞く。別に隠すほどの点数では無いので翔真は点数を彼女に教えた。

「えっ?そんなに高いの?」

「いや中の上くらいでしょ」

「すごいよ!翔真君がこんなに賢いなんて知らなかったなぁ」

あまり人に褒められた試しがないので些細な言葉でさえ照れてしまう。

「いや、それよりなんでそんなこと聞くの?」

彼女は初めて言葉を詰まらせた。やはり先程の気まずそうな表情になり、意を決したのか恐る恐る口を開く。

「勉強を、教えてください」

「え?」

「だから!……勉強」

彼女が鞄から取り出した数学のテスト用紙に書かれていた点数は17。僕らの学校のシステム上は平均点の半分以下は赤点。今回は平均43点だったので普通に下回っている。

「今年から赤点は夏休み前に補習で、しかもテストに合格するまで生き続けなきゃダメなんだよ。お願い、助けて!」

もはや必死だった。今にも泣き出しそうな表情で僕の両手を握りしめている。しかも上目遣いでこちらを見ていて、可愛さは増すばかり。むしろ本望だった。

「じゃあ、土日に勉強しようか」

それを聞くと目をキラキラと輝かせて、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「ホントに?ありがとう!帰ったら連絡するね!」

風のように彼女は家に向かって帰ってしまった。

「なにやってんの、お兄ちゃん」

気持ち悪いものを見るような目で僕を見る妹。学校から帰ってきたらしい。

「いや、なんでもない」

そんなに僕は気持ち悪いですか。

ため息をついて、妹に続き家に入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る