55――ハードスケジュール明けの月曜日
「すみれ、これ見て」
教室に入っていつも通りに私よりも早く登校して、自分の席に座っていた透歌がそわそわした様子で近づいてきた。おはよう、とお互いに挨拶をした次のセリフがこれなのだから、よっぽど見せたいものがあるのだろう。とりあえず自分の机の方に歩いていくと、ピタリとくっつく様に後をついてくる透歌は、何かを隠しているのか両手を後ろに回している。
私が席に着くやいなや、まだ前の席の主が登校してないのをいい事に我が物顔で後ろ向きで座る。そして机の上に一冊の雑誌をポンと置いた。映画監督っぽい格好をしたおじさんが表紙を飾る『映画批評論』という雑誌で、確か歴史のある雑誌であんまり映画とかに詳しくなかった私でも聞き覚えがある。
「前も言ったけど、学校に関係ない雑誌を持ってきたら先生に没収されるよ?」
「大丈夫よ、先生はもう懐柔済みだから」
ちょっとだけジト目をしながら言うと、透歌はまったく堪えていない様子でにっこり笑ってそう返してきた。これだから先生の信用が厚い優等生のくせに、悪知恵も旺盛に働く子はタチが悪い。
「それはいいとして、ここ読んで。すみれが出てる映画のこと、評論家の人が褒めてくれてるから」
ほほう、それはちょっと気になる。誰だって自分が関わっている作品なら、悪く言われるよりは褒められている方が嬉しいと思うんだよね。目的のページの角を折り曲げてくれていたみたいで、透歌はすぐにその論評のページを開いてくれた。
「ええと、『これほどまでに期待感を抱いて試写会へと足を向けたのは、久々の事だった。『邪神の女神像』で初メガホンを握った神崎監督の作品は、いつも私をワクワクさせてくれる。3作目の『憧憬』では日本アカデミー賞の作品賞を獲得し、『ひだまりの彼方から』へのカンヌ国際映画祭でのスタンディングオベーションは記憶に新しいところだろう。そんな彼の新作『CHANGE!』は物語の導入こそ荒唐無稽だったが、彼が得意とする人間味溢れるドラマ作りは健在だった』だって。監督もこんな風に褒めてもらったら嬉しいだろうね」
「そこで止めないで、そのあとが大事!」
ちょうどキリが良さそうなところで音読を止めると、透歌が先へ読み進める様に促してくる。小声で読んでるけど、なんか自分が出演している映画を教室内でさり気なさを装いながら宣伝してるみたいで、少し恥ずかしい。しかし透歌の押しに負けて、続きをしぶしぶ読む事にした。
「『撮影に関わったスタッフの働きが素晴らしいものだったと、見ているこちらにもしっかりと伝わってきた。私がその中で一人だけMVPに選ぶのであれば、小さな主演女優松田すみれ嬢を挙げざるを得ない。彼女はこの映画が初主演作という事だが、中村健児が小学生の女の子になったらきっとこうなるだろうなという想像を、見事に現実に具現化してくれた。その演技力は本物であり、女優松田すみれの出演作品をもっともっと見たいと切望する』……って、この人褒めすぎじゃない?」
「そんな事ないわよ、私も観に行ったけどすみれが私の知ってるすみれじゃなかったもん。演技ってすごいなって思っちゃった……すみれが男の子だったらよかったのにって、ちょっとだけ思った」
「ん? ごめん、最後の方聞こえなかった。もう1回言ってもらっていい?」
「……なんでもなーい! それより、わざわざ公開初日に映画館まで観に行った友達になんかないの?」
ちょっとだけ拗ねた様にそんな事を言う透歌の手を、机の上でぎゅっと握った。もちろん友達が初日に観に行ってくれたんだから、嬉しいに決まってる。だから私は目いっぱいに微笑んで、透歌にお礼を言う。
「ありがとう、透歌……大好き!」
私の言葉に透歌は頬を少しだけ赤く染めて、そっと視線を横に逸らした。でも握った手をぎゅっと握り返してくれたから、きっと私のお礼はちゃんと透歌に届いたんだと思う。
なーんて朝から透歌にほっこりさせてもらって元気をもらったけど、先週末はこれまでになかったぐらい忙しかった。件の『CHANGE!』の公開日が一昨日の土曜日、初日は東京での舞台挨拶があってインタビューとか色々こなした後に、前乗りで日曜日の舞台挨拶がある大阪に移動。夜は一緒に移動している中村さんや華さん達と向こうのスポンサーや関係者の人達と食事会。気疲れしてクタクタになりながらホテルに戻って泥のように眠ったら、翌日は大阪の映画館での舞台挨拶を笑顔でこなして。終わったら在阪メディアの人達からの取材を受けて、今回はどこかに寄ることもできずに飛行機で東京にトンボ返りした。
実は私って、前世から極度の高所恐怖症なんだよね。原因は前世の幼少時に父親に連れられて通天閣の展望台に行った時に、無理やり踏み台の上に載せられて望遠鏡を覗き込まされたから。しかも嫌がったら怒鳴られるし叩かれるし、それがトラウマになって高いところが本当にダメになった。どうやら転生して性別が変わっても、高所恐怖症は治らなかった様だ。特に逃げ場のない飛行機はより恐怖感を煽るみたいで、私はずっと隣に座る洋子さんの腕にしがみついてぎゅっと目を閉じていた。
そんなハードスケジュールの影響からか、今日は現世ではじめて授業中にこっくりこっくりと居眠りをしてしまい、先生に注意されてしまった。先生は事情を知ってるので『仕方ないなぁ』みたいな感じで嗜める様な注意だったし、クラスの皆にも小さく笑われただけで済んだからよかったけど、ちょっとだけ恥ずかしかった。前世では居眠りなんて日常茶飯事だったのに、変われば変わるものだなぁと自分でも思ってしまう。小学生だから体力ないのはある意味当然かもしれないけど、少しでも鍛えていかないとダメかなぁ。
「すみれ、お仕事なかったらせっかくだし一緒に帰らない?」
失敗もあったけどなんとか月曜日の学校をやり過ごし、帰り支度をしていると透歌がテテッと駆け寄ってきてそう声を掛けてくれた。私としても一緒に帰りたいのはやまやまなのだが、残念ながら首をふるふると横に振る。
「ごめん、この後洋子さんが迎えに来てくれて、そのまま事務所に行かなきゃいけなくて」
「洋子さんってあのマネージャーさんだよね、ちょっとすみれを働かせ過ぎだと思うわ」
ぷく、と頬を膨らませながらここにはいない洋子さんに抗議する透歌に、私は小さく苦笑を浮かべた。確かに忙しいけど、タイミング的にはここで頑張らなければ次へと繋がっていかない大事な時期なのだ。洋子さんも頑張ってくれてるし、役者として売り出していかなければいけない張本人の私がここでへこたれてはいられない。
「落ち着いたらまた私の部屋でお泊り会しようよ、寮のお姉さん達も透歌にまた会いたいって言ってたし」
正確に言えば私とセットで着せかえ人形にして遊びたいって感じだったけど、それは本人に伝えなくてもいいや。透歌も嫌がってなかったし、現に私の誘いに嬉しそうな表情で『本当に!? 絶対よ、約束だからね!』と私の小指に自分の小指を絡ませているところを見ると、喜んでもらえたみたいだ。
透歌と約束してから、ふたりで並んで教室の後ろの方の引き戸から廊下へ出る。戸の近くで見知った男子が何人かで駄弁っていたので一応『また明日ね』と挨拶をすると、顔見知りの男子であるタケくんとムッくんが手を振って見送ってくれた。転校してきてしばらくすると授業や校外学習の際に班行動する事が増えてきて、透歌が人数合わせに連れてきたのが彼らだった。
タケくんは透歌や他の女子達とは普通に話をするのに、何故か私と話す時はいつも緊張している様に顔を強張らせてる子だ。もしかしたら嫌われてるのかなって不安に思ってたんだけど、透歌曰く人見知りが激しい子なんだとか。確かに他の子達とは幼稚園とか1・2年生で一緒に学校生活を送ってきたんだから、人見知りする必要もないもんね。その時はそう納得したんだけど、タケくんは2年経った今でも私と話す時はぎこちない。もしかしたら違う理由があるのかなとは思ってるんだけど、変にほじくり返して厄介事を掘り起こすのも嫌だから放置して現状維持を選んでいる。
ムッくんはタケくんの親友で、やんちゃで元気なこれぞ男子って感じの子だ。でもガサツに見えて実は周囲への気配りもできるイケメンだったりする、私とタケくんが話していてどことなくぎこちない空気が流れていると、さりげなく間を取り持ってくれたりもするのだ。女子の中でも人気が高く、モテる男子という印象が強い。
そんなふたりに手を振り返して、私と透歌は昇降口へ向かう。途中で6年生の男子が遠巻きにこちらをチラチラと見ている様な気がしたのだけど、なんだか自意識過剰っぽい感じがして勘違いかなと心の中で苦笑する。しかしどうやら実際に視線が飛んできていた様で、透歌がひと睨みするとこちらを見ていた男子達はそそくさと別の場所へ移動していった。
「すみれ、さっきの視線に気付いてた?」
「……もしかしたら見られてるのかなって思ったけど、わざわざ私をチラチラと盗み見る人なんていないだろうから、勘違いかなって思ってた」
私が正直に話すと、透歌は大きくため息をついて私のほっぺを両手で軽くつねる。痛くはないんだけど、頬の肉が引っ張られてちょっとしゃべりにくい。
「いい、すみれ。映画のCMもバンバン流れてるし、未だにお風呂のおもちゃのCMとかも流れてるんだから、すみれはもう有名人なんだからね。変な男に目を付けられないように、いつでも自分は見られているんだって自覚を持って、常に周囲を警戒しなさい。いいわね?」
「……ふぁい」
ほっぺを軽く引っ張られたままだったから変な発音になっちゃったけど、どうやら透歌は満足してくれたらしい。本当に世話が焼けるんだから、とか言いながらもさっきまで自分が摘んでいた私のほっぺを優しく擦ってくれた。
昇降口で靴を履き替えて駐車場へ行くと、既に洋子さんが車を停めて待ってくれていた。後部座席のドアを開けてカバンを座席に置いて、私もよいしょと腰掛ける。それを確認した洋子さんがガチャンとドアを閉めたので、私はクルクルとレバーを回して窓を全開にした。
「透歌、見送ってくれてありがとう。また明日、学校でね」
「今日はちゃんとゆっくり寝なさいよ! マネージャーさん、今日すみれってば居眠りしてたんですよ。あんまり無理させないでくださいね!!」
私が窓から顔を出して言うと、透歌は腰に両手を当てて私と洋子さんにちょっとだけ怒った様子で言った。アレだよね、透歌はたまに私の事を年下の手が掛かる子みたいに扱う事があるよね。なんというか前世では中年と呼ばれてもおかしくない歳まで生きた人間としては情けなく思うし、透歌の友人としてはその気遣いが嬉しくてすごく複雑な気持ち。
洋子さんは小さく笑って、運転席に座ったまま親指と人差し指でOKサインを作った。そして今度はその手をパーにしてひらひらと振ると、緩やかに車を発進させる。私も開けっ放しになっている窓から顔を出して透歌に手を振ると、さっきまでプリプリと怒った様な表情をしていた透歌が小さく笑って、私達の車が見えなくなるまで手を振り返してくれていた。
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