42――久々の帰省 その1

 発表会の次の日は振替休日だった。でものんびりしている暇もなく、私は荷造りに精を出していた。


 明日から本当に久しぶりの帰省なのである。5月1日と2日は平日なのだけど、あずささんが学校に連絡してくれるらしく、私は保護者公認の休日を手に入れていた。昨日は発表会だったから除外しても、なんと5月6日まで怒涛の7連休である。


 前世の平成末期では親の都合や遊園地に遊びに行くという個人的な理由で学校をお休みする家庭も珍しくはなくなっていたが、現世ではまだまだ体調不良以外の休みは許されない風潮が強い。補導員もまだウロチョロしてるらしいもんね、私は基本的に平日の日中に街を歩く事がないので実際に遭った事はないのだけど。


 補導員の人達も仕事だし、頭から邪魔にするつもりはない。でも学校を休んで帰省をする以上、私がひとりであちこち動き回ると補導されちゃう可能性もあるだろう。あずささんが口裏を合わせてくれているのに、補導されて関西にいたなんて話が学校に伝わってしまうと、あずささんにも迷惑が掛かってしまう。それはできるだけ避けたい。


 帰省計画を立ててその辺りを悩んでいると、洋子さんが『じゃあ、私がすみれの帰省に付き合うわよ』と立候補してくれた。でもせっかくのゴールデンウィークなのに、洋子さんの休日を私なんかに付き合わせてしまっていいのだろうかと逡巡してしまう。行く場所が観光地とか楽しい場所ならいいんだけど、私の地元は何にもない小さな町だからね。一応母方の祖母と父方の祖父母のところにも初日と二日目にお邪魔するので、あっちこっち移動はする事になるのだけど。


 結局私がウンウンと頭を悩ませている事に気付いたあずささんが、今回の洋子さんの同行を休日ではなくお仕事扱いにしてくれた事で悩みは解決した。基本給とかは特に変わらないらしいけど、出張手当とかそういうのが増えるらしい。あずささんの鶴の一声に洋子さんが小躍りしてたから、懐具合が大分潤うんだろうね。


 そういう段取りが全部決まったのが4月の半ば頃、せっかく地元に帰るのだからなおとふみかにも会いたいなと思って連絡したら、今年のゴールデンウィークは帰省しないんだって。一緒に遊べるねと年甲斐もなくはしゃいでしまった。


 そんなこんなで5月1日、迎えに来てくれた洋子さんと連れ立って新幹線に乗って一路関西へ。まだこの頃だと東京から新大阪間は3時間以上掛かっていたので普通なら手持ち無沙汰になるんだけど、出発が早かったので殆どの時間を寝て過ごした。そのおかげもあって、新大阪のホームに降り立つ頃には、頭もスッキリしていてよかったけどね。


 最初は島のおばあちゃんこと、母方の祖母のところを訪ねる。ここから在来線に乗り換えて駅から船着き場まで歩いてさらに船に乗って30分、島の船着き場から徒歩で15分程歩いた先に祖母の家があるので、まだまだ先は長い。


「洋子さん、お昼ごはんどうしましょう? 大阪で食べますか、それとも船に乗る前にします?」


「海の幸とかいいよね、そっちにしようか」


 どことなくウキウキしている洋子さんがそう決めて、荷物をしっかり持って在来線のホームへと移動する。私は背中に背負った小さめのリュックと、着替えや日用品が入った少しだけ大きめのボストンバッグを持っている。私ももう小学5年生なのだから、自分の荷物ぐらいは自分で持つようにしている。でも周囲の人には大変そうに見えるのか、『大丈夫?』とか『手伝おうか?』とか声を掛けられるのがちょっと辛い。


 洋子さんにも何度も『私が持つわよ? 大丈夫? 無理だったらすぐに言ってね?』って言われているんだけど、お土産とか他の荷物を全部持ってもらっている身としては、そう簡単に頷く訳にはいかない。その度に『だいじょーぶ!』と元気よく応えてバッグの持ち手を握り直す。


 連休前とはいえ平日の昼間、電車の中はそれほど混み合ってなくてスムーズに移動する事ができた。電車を降りて駅から船着き場に移動する間に商店街があるので、そこでお昼ごはんに明石焼きを食べる。ちなみに洋子さんセレクトだ、海の幸はどこに行ったのだろうか。よくたこ焼きと混同されるけど、明石焼きは中にタコ以外何も入ってないしふわふわしてるのが特徴だ。それを出汁につけて食べると少し冷めて食べやすい温度になって、すごく美味しい。


「これ、ビールが飲みたくなるわね」


「……洋子さん、その感想は女性としてどうなのかな?」


「いいのよ。もし男と一緒に来た時は、その人の好みっぽい感じで演じるから。女っていうのはね、すみれ達プロには負けるけど生まれながらに女優なのよ」


 洋子さんはキメ顔でそう言ってから、また美味しそうに明石焼きを頬張る。うーん変に彼氏の好みの女性を演じるよりも、素の洋子さんで接した方が良い様な気がするけどなぁ。まぁ男女交際の経験がゼロな私の意見なんて参考にならないだろうから、ここは余計な口を挟まずに曖昧に頷いておこう。


 食事を終えて船着き場に着くと、もうすぐ島に向かう船が入ってくるそうだ。入船口の近くに備え付けてあるベンチに触れると、潮風のせいかベタベタしている。潮の香りを含んだ風が時折吹いてきて、なんだか懐かしい気持ちになった。私が高校を卒業した後ぐらいで橋が開通してこの連絡船には乗らなくなったんだよね、揺れが酷い時は船酔いした事もあったので私としては橋の開通は嬉しい出来事だった。


 200名ぐらい乗れるらしい船が入港してきて、私と洋子さんはいそいそと乗り込んだ。できれば揺れるデッキにはいたくないので、そそくさと客室に入る。長年波を被り続けているからか、汚れて曇っているけれど、窓があった方が圧迫感がないので窓際の席に座った。


 今日は海もあまり荒れておらず、私も船酔いする事なくのんびりとした船旅を30分程楽しんだ。久しぶりに見たけど、接岸する時の乗組員の人達の手際がすごくいい。ロープを投げてビットに巻きつける動作に迷いがなく、本当にあっという間に係留作業が終わる。毎日やっていると慣れるものなのかなぁ、前世の私がこの中に混じったとしても怒鳴られている姿しか想像できないんだけど。


 船着き場には2階建てのビルが隣接していて、チケット売り場といくつかのお店が入っている。案内板を見ると飲食店が多いのかな、変わり種としてはレコード屋さんと本屋さんが一緒になった店だろうか。


「なんというか、のどかなところね」


 ビルから出て周囲を見回しながら、洋子さんがポツリと呟いた。東京の街並みを普段から見ていると、余計に何にもない風景に見えるだろうね。片側一車線の道路の脇を風景を見ながら歩いていると、あっという間に祖母の家の近くに辿り着いた。細い路地に入って坂道を登れば、古びた一軒家が見えてくる。


「おばーちゃん、きたよー!」


 引き戸を開けて玄関から少し大きめの声で呼ぶと、居間にいたらしい祖母がゆっくりとした足取りで現れた。腰も背中も真っ直ぐで、相変わらずピシッとした真っ直ぐな佇まいだ。気難しくて礼儀や普段の生活態度に厳しいイメージしかない祖母だが、久々に会うわたしの姿に少し表情が緩んだように見えた。


「来たか、すみれ。そっちがお前が東京でお世話になってる人かい?」


「はじめまして、私はすみれさんのマネージャーをしております安藤と申します。長い間お孫さんを預かったままで、申し訳ありません」


「いやいや、それについてはそちらさんに謝ってもらう事ではない。むしろ家族内のゴタゴタで、こちらに帰ってくる事もできない孫の面倒を見ていただいたこちらが頭を下げなければ」


 そう言って膝を曲げて頭を下げ始めた祖母に、洋子さんが慌てた様子で恐縮する。このままだと玄関先で頭の下げ合いになりそうだったので、私は子供っぽい感じを出しながら祖母の服の裾をくいくいっと引っ張った。


「おばあちゃん、上がってもいい? 私、ちょっと疲れちゃった」


「ああ、そうだったね。遠くから来てもらったんだ、お疲れでしょう。どうぞ上がってください」


 私の言葉にここが玄関先だと気付いたのか、祖母は洋子さんに向かってそう言った。荷物をひとまず居間の隣にある小さな部屋に置いて、洋子さんを居間に案内する。祖母に洋子さんの相手を任せて、私は台所にお茶を淹れに向かった。人数分の器と急須・お茶っ葉を用意してお盆に載せ、居間へと戻る。お盆ごと祖母へと渡すと、備え付けてある電気ポットのお湯を使って祖母がお茶を淹れてくれた。


 お茶をこくりとひと口飲んで、ホッと一息。『元気だった?』とか『すみれは東京でちゃんとやれていますか?』とかお決まりの質問で近況をお互いに話した後、祖母が少し居住まいを正した。


「すみれは月子、お姉ちゃんの事は聞いたかい?」


「うん、だから今回帰ってきた訳だし。おばあちゃんにはお礼を言わないとって思ってたの」


「お姉ちゃんを追い出してくれてありがとうって?」


 少し意地悪そうに祖母は言ったが、一方的に迷惑を被っているとは言え、私もそこまで底意地は悪くない。ふるふると首を横に振って、その言葉を否定した。


「そうじゃなくて、お姉ちゃんが違う環境に移動できるきっかけを作ってくれてありがとう。多分あのまま家にいても、お姉ちゃんは変わらないままだったと思うから」


「……自分達の子供には、たとえその子が間違っていると分かりきっていてもなかなか強くは当たれないもんだ。でもだからといってそのまま放っておく訳にもいかなかったからね」


 祖母は少しだけ辛そうな表情を浮かべて、そう言った。誰だって自分の子供や孫に厳しく接したくないし、できるなら甘やかして可愛がって育ててやりたいだろう。でも、祖母は姉の将来を憂いて、自ら嫌われ役を買って出た。なかなか出来る事じゃないし、覚悟が必要な事だろう。だからこそ、私は電話や手紙じゃなくてちゃんと顔を見てお礼を言いたかったのだ。


「これで月子が変われなかったら、今度はお祓いとかそういう物に頼るしかないね」


 あー、そう言えば祖母は占いとか悪霊とか、そういうのをガチで信じている人だった。前世でも年始に発売される運勢暦の本とか絶対買ってたもんね、変な宗教にハマらなかっただけマシなんだけど。


 私の事を好きになれとか、性格を180度反転させろとは言わない。でも姉には私の事は嫌いでも憎んでてもいいから、せめて他の人の前で取り繕える術ぐらいは新しい環境で頑張って身につけて欲しい。そうじゃないと本当に、お祓いとかそういうのに連れて行かれちゃうよ。


 とりあえず今回の訪問の目的である『祖母の顔を見てお礼を言う』を完了した私は、祖母にお土産のおまんじゅうを渡したり洋子さんも交えて世間話をしたりしながらのんびりと過ごした。途中で祖母から従兄姉の家にも顔を出したらどうだと勧められたが、やんわりと誤魔化しつつ全力で回避した。この時代の親戚達に何かされた訳ではないのだが、前世で祖母が亡くなる前後に母が金をタカられたり色々と嫌な事があったのだ。という訳で、できるだけ接点を減らしたい。芸能人だからと今度は私にタカってくる可能性もあるが、それならそれで今度は私の意思でコネでもなんでも使って全力で叩き潰せるし。


 今日は元々泊まっていく予定なので、祖母の家で夕食を頂く。お昼前に洋子さんが海の幸を食べたいと言っていた事もあり、祖母が焼き鮭とかまぐろやかつお等のお造りとかサザエのつぼ焼きとか、美味しい料理を作ってくれた。近所の酒屋さんにも連絡してビールと日本酒を持ってきてもらったので、食事中の洋子さんは『ここが天国か』と言わんばかりに幸せそうな顔をしていた事を追記しておく。

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