26――迂闊に未来知識は使わない方がいい


「歌、ですか?」


 本当に突然の質問に、私は思わずきょとんとしてしまって首をかしげる。そんな私の様子にはお構いなしといった様子の安藤さんは、ずずいとこちらに顔を近づけてきた。


「そうそう。この間、皆でお花見したじゃない? その時にすみれが歌ってくれた曲……実は録音してたんだよね」


 じゃーんとカバンの中から携帯用テープレコーダーを引っ張り出す安藤さん。一方の私は、うわぁと自らの失敗に思わず天を……いや、天井を仰いだ。


 ついこの間行われた大島さん主催の事務所の人達も含めての、ちょっと規模が大きめのお花見。私はもちろん飲んじゃダメだけど、お酒をめいっぱいお召しになった大人の人達は私達所属タレントに余興を求めた。普段ならそんな無茶ぶりはしない人達なんだけど、お酒の力って怖いね。私は前世でもあんまり飲む機会に恵まれなかったので、余計にそう思う。


 皆が踊りとか歌とか楽器演奏とかを披露する中、何をしようかと頭を悩ませているとあっという間に出番が来た。まごまごしている私を見て照れてると思われたのか、何やら温かいというか微笑ましそうな視線を感じて更に前に出て行きづらくなる。


 程よく酔っ払った愛さんが無理やり抱き抱えて私を前まで運ぶと、頑張れの意味なのだろうか。ウィンクひとつ残して自分の席まで戻っていった。なんというか、大きなお世話である。


 正直なところ、生まれ変わってから色々な事にいっぱいいっぱいだった私は、音楽なんて聴いてる余裕がなかった。今思えば学校の音楽の授業で習う唱歌とかでよかったんだろうけど、まったくの準備ゼロでたくさんの人の視線に晒されてテンパっていた私は、何を思ったのか前世でお気に入りだった女性シンガーが歌うアニソンを熱唱した。


 スマホに入ってる曲のほとんどが女性ボーカルで男性ボーカルは本当にわずかという状況は、男性オタクにはありがちだと思う。私も例にもれずアニソンゲーソンよりどりみどりな状況だったので、ストックはいくらでもある。聴いてるみんなが手拍子や掛け声を楽しそうにしてくれたから徐々にノリノリになってしまって、結果として気付いたら3曲も歌ってしまった。


 ただ問題なのは、この時点ではこの世の中には存在しない曲なのだ。つまり意図していなかったが、まるで私がオリジナル曲を歌った様な状態になってしまった。『聴いた事ない曲だな』『誰の曲なの?』と質問されたのだが、私は曖昧に笑って質問をやり過ごした。だって説明できないもん、まさか前世でお気に入りの未来の曲なんですなんて言えないでしょ。


 なら現在ある曲を歌えばいいじゃないかって思うかもしれないが、よっぽど思い出や思い入れがないとこの曲が何年に発売されたかなんて覚えてないだろう。繰り返すが現世では音楽を聴いてる余裕なんてなかったのだから。


 カチリ、と安藤さんが再生ボタンを押し込むと、お世辞にも音質が良いとは言えない雑音混じりの音声が聞こえてくる。でもこのチープさが、私の中にある昭和と平成を生き抜いてきたおじさん部分にすごく刺さる。カセットテープ世代は経験があるかと思うが、テレビの歌番組を録音してる最中に家族に『ごはーん』とか呼ばれて『今録音してるのに!』と憤慨したりしたよね。私は高校の頃にお気に入りのアニメの音声を録音して勉強中に聞き流したりしてたなぁ。


 それはさておき、テープから聞こえるのは甘くて可愛らしい女の子の声。自分の声って録音したのを聞くと、全然違って聞こえるんだよね。歌は声優を目指していた頃にボイトレに通ったりして練習したので、ちょっとだけ素人にしては自信がある。平成末期のカラオケでの精密な採点ゲームでは95点を超えるかどうかという成績だったので、全体で見るとそこそこ上手ぐらいのレベルなんだろうけど。


「実はね、聞いたことない曲なのにずいぶんしっかりとした作りだったから、知り合いの音楽関係者に聞かせてみたのよ。そしたらね、1回すみれに会ってみたいって言うの」


 『どうかな?』って聞かれるけど、安藤さんの目を見てるともう決定事項なんだなと悟ってしまう。諦めて頷くとシャワーと着替えを済ませる様に言われ、身支度が終わるとそのままズルズルと引きずられるように私は車に乗せられてしまった。


 しばらく車に揺られる事30分、着いたのは結構な豪邸の前だった。田舎でこれ以上の大きな邸宅を何度か見た事があるけれど、地価の高い東京でこれだけ立派なおうちを建てられるなんてかなりのお金持ちなのではないだろうか。まぁ大きな本邸と私達が住む寮を建てて更に庭まである大島さんのところにいるせいか、ちょっとその辺の感覚が麻痺してる自覚もあるのだけど。


 安藤さんがインターホンを鳴らすと、ドアから男の子が顔を覗かせる。私と同い年ぐらいだろうか、かっこいいというよりは可愛らしい感じの少年は、安藤さんを見ると知り合いなのかホッと安心した様に微笑んだ。


「よかった、ヨーコさんだった。レコード会社の人だったらどうしようかと思った」


「その様子だと相変わらずお父さんは仕事溜めてるみたいね」


「締切過ぎてるのがひとつ、締切直前のがふたつ。みんなオバケみたいな顔色でうちにくるから怖いんだよね」


 顔をしかめてそう言うと、彼はどーぞと玄関へと招いてくれた。私達が家に入る前に少年は先に家の中に駆けていく。多分さっきから話に出てるお父さんとやらに、私達が来た事を伝えに行ったのだろう。


「安藤さんの名前、ようこって言うんですね」


「ええっ、冗談よね? 初めて会った時に名刺渡したでしょ!?」


「だって名刺を受け取ったの母じゃないですか、私は名字しか聞いてなかったですし」


 半年以上一緒にお仕事しているのに、名前を知らなかったなんて自分でも薄情だと思う。でも名字だけでまったくもって困らなかったのだから仕方がない。


 悪びれずに言う私に毒気を抜かれたのか、安藤さんは大きくため息をついて、その後スッと私の前に右手を差し出してきた。


「それじゃあ半年経って改めてっていうのはすごく変だけど、自己紹介するわ。安藤洋子です、そろそろ付き合いも半年以上になるんだし、名前で呼んでくれたら嬉しいな」


 自分で言っている様に、出会ってもうだいぶ経っているのに改めての自己紹介というのは、かなり気恥ずかしいのだろう。照れた様子の安藤さんにクスリと笑うと、差し出された右手に自分の右手を重ねた。


「松田すみれです、これからもよろしくお願いしますね――洋子さん」





「ったく、人待たせておいて何青臭いやり取りしてんだ。しかも俺の家の廊下でよ」


「自分の担当タレントと仲良くして、何が悪いって言うのよ」


 タバコを片手にした男性が、椅子に座って呆れたように言った。それに対して安藤さ……じゃなくって、洋子さんがムッとした様に言葉を返した。


 確かに傍から見てたら恥ずかしいやり取りだったけど、そこまではっきり言わなくてもとは私も思う。でも長目にお待たせしちゃったのも確かだし、ここは甘んじて批判を受けるべきか。


 男の子から私達の来訪を聞いた男性は、私達が部屋に来るのを待っていたらしい。なかなか姿を現さなかったのを訝しんで様子を見に行った際に先程のやり取りを目撃したそうだ。


「まぁいいや、仕事が立て込んでるんで手早く行こう。んで、こないだ聞かせてもらったテープで歌ってたのが、そこのお嬢ちゃんって事でいいのか?」


「ええ、うちの事務所で今一番期待されてる子なの。すみれ、挨拶して」


 洋子さんにそう促されて、私は簡単に名乗ってぺこりと頭を下げる。そもそもこの人がどこの誰かも知らないのだから、戸惑っても仕方がないだろう。


「そしてこのタバコを吸ってるおっさんが、さっき話した音楽関係者の西島和敏にしじまかずとしさん」


「誰がおっさんだ、コラ! コホン……西島だ、作曲や編曲がメインだがたまに知人に頼まれてギターを鳴らしにライブに出たりしている。そんな事よりも、だ」


 西島さんのどちらかと言うと面倒臭そうだった表情が、一瞬にしてキリリと引き締まった。その変化に驚いた私は部屋に充満しているタバコの煙を少しだけ多く吸い込んでしまって、ケホケホと咳き込む。


「お嬢ちゃんが歌ったあの曲、少なくともメジャーな場では聞いたことがねぇ。インディーズバンドの曲って線もあるが、こいつから話を聞くにそういった連中と連(つる)んでる感じもないときた」


 こいつ、と指さされた洋子さんが『こいつって何よ』と頬を膨らませた。それはどうでもいいんだけど、西島さんの私を見る目が餌を追い込む肉食獣の様に鋭くなっているのが気になる。


「単刀直入に聞くが、お嬢ちゃんはどこであの3曲を聴いたんだ? アカペラだから伴奏はなかったが、お嬢ちゃんの歌い方は明らかに伴奏を意識した間の取り方をしていた。ということは、オケも含めた完成形をお嬢ちゃんは聴いた事があるって事だろう?」


 あんな雑音だらけの素人が歌っているテープ音源から、それだけの情報を抜き出すなんてさすがはプロというところだろうか。というか、余興で限られた人しか聞かないからいいだろうと迂闊な事をしたツケが一気に襲いかかってきた感じだ。もちろん言い訳なんて考えてないし、かと言って本当の事なんか絶対言えないし。もっともらしい言い訳をひねり出さねばと、表情は動かさずに必死になって脳をフル回転させる。


「……昔から夢を見るんです」


「夢?」


 見切り発車で口から零れ出た言葉に、西島さんが問い返す。でも咄嗟に出てきたにしては、なかなか内容を膨らませやすい言い訳ではないだろうか。なんにしてもこのまま行くしか無い、私は言葉を続けた。


「私が延々と同じ曲を誰かの前で歌い続ける夢です。いつもは見た夢をあまり覚えていないのですが、この夢だけは何故かはっきりと内容を覚えていて。物心ついた頃ぐらいから見ている夢なので、もう歌詞もメロディも覚えてしまいました」


 私が至極真面目な表情でそう言うと、西島さんは『お、おう……』と言いたげに困惑した表情を浮かべていた。正直に言って自分でも電波な言い訳をしていると思うけれど、もうこのまま突っ走るしかないのだ。変な子扱いされてもいい、だって本当の事を話したらもっと酷い頭のおかしい子扱いをされるだろう。ならば少しでも被害が少ない方を私は選びたい、自分の精神的な平穏のために。


「そういう事があるのかないのか、俺もよくわからんが……実際にお嬢ちゃんがそう言ってるんだから、信じるしかないわな。すまなかった、不躾な事を聞いちまったな」


 西島さんはそう言うと、大きな体を丸める様にして私に頭を下げた。作曲家という仕事だと家にこもりがちになりそうなイメージだが、西島さんの体はよく鍛えられている様に見える。


「いえ、大丈夫です。でもそれが聞きたくて、わざわざ私をここに呼んだんですか?」


「恥ずかしい話だが、仕事に行き詰まっててな。そんな時にこいつからお嬢ちゃんのテープを聞かされて、刺激を受けたんだよ。この曲を作ったヤツともっと話をしたら、スランプを抜け出せるんじゃないかと思ってな」


 なるほど、確かに平成末期の曲調はこの時代の歌謡曲やポップスとは違うメロディの作り方をしている様な気がする。そういう作曲理論とかを語り合いたかったのだろうが、いかんせんこちらはズブの素人だ。中学時代に吹奏楽部には入っていたが、吹くだけで作曲もしなかったしね。


 お役に立てなくてごめんなさい、とお詫びをして今日のところはお暇する事になった。とりあえず今すぐやらなければならない事として、洋子さんに『こういう事をする時は事前に私に相談してください』と大きな釘を刺した。事前に相談してもらってたら今回の事もどうにか阻止できたかもしれないし、できなくともこうしてわざわざお家に伺って西島さんの貴重な時間を割かせる事もなかっただろう。


 あと、もう迂闊に未来の曲とかを誰かに聞かせるのも絶対に止めよう。今回みたいな事がまた起こるかもしれないし、もし万が一その曲がCD化などすることになったら、その曲を生み出した本来のクリエイターさんへの罪悪感が半端ない事になるだろう。だっていくらまだこの時代には影も形も存在してないとは言え、一生懸命その人が作った曲を横取りする事になるのだから。


 芸能界デビューして順調にやりたかった演技の仕事もできた事で、少し浮かれていたのかもしれない。子役もやってる普通の小学4年生に見える様に気を引き締めて生活しなければ。

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