14――見学


 ショートカットの女の子に手を引かれながら、大島邸の中を歩く。大きな窓から庭が見える縁側に差し掛かったところで、女の子が足を止めた。


「強引でごめん、早く行動しなかったら大島さんに怒られるんだ。あの人せっかちだから」


 苦笑しながらこちらに振り返る彼女。こうして真正面から相対して見たらイヤでも分かる美少女感、きっとモテるんだろうなぁと考えながら首をふるふると振る。


「松田すみれです、よろしくおねがいします」


「私は栗田由美子くりたゆみこ、呼ぶ時はユミでお願い。古臭くて嫌いなんだ、子って付く名前」


 唐突なお願いに戸惑いながらも、俺は頷いて受け入れた。本人がわざわざそうして欲しいと申告しているのだ、それを拒否して嫌がらせをする程悪い性根はしていない。変わったこだわりだなとは思うけど、そう言えばうちの姉も前世で自分の名前を嫌ってた時期があった事を思い出す。多分似たような理由なのだろうが、本人にしかわからないこだわりポイントがあったのだろう。


「ユミさんは、ここで演技を勉強しだして長いんですか?」


「ここは1年ちょっとぐらいかな、その前はずっと児童劇団にいたんだ。今のところ中学1年生の私が一番後輩で最年少だから、もしすみれちゃんが来てくれたら後輩が出来て嬉しいよ」


 ユミさんいわく、現在この家の別邸にて生活しながら演技の勉強をしているのは4人で全員女子だそうだ。年齢は一番上で22歳、下はユミさんで13歳。関東出身者ばかりだそうだが、東京に一極集中している日本の芸能界を考えると、不思議ではなく納得できてしまう話だ。やはり東京に近いところの方が業界関係者の目に留まりやすい、そういう事なのだろう。


「あの、わたし……大島さんの前で演技をさせてもらったんですが、合格とか不合格とか言われてなくて」


 俺がそう言うと、ユミさんは何やら納得顔でうんうんと頷いた。『そう言えば私の時もそうだった』なんて言いながら、クスクスと笑う。不安そうな表情を浮かべていたのだろうか、ユミさんが俺の背中をポンポンと叩いてから、優しい声色で説明してくれた。


 どうやら大島さんは入所審査として必ずあの応接室で演技をさせて、合格ならば内部の施設を案内し、不合格ならばそのまま帰らせるらしい。それに当てはめると俺はどうやら合格をもらえた様だが、正直なところ実感はない。きょとんとしている俺の背中を押しながら、ユミさんは案内を再開させる。


 本邸と別邸は渡り廊下の様な感じで繋がっていて、キッチンも完備されている。これなら自炊もできそうだなと思ってステンレスの流し台に目を向けると、どうやら少しだけホコリが積もっている様だ。水を流した跡はあるから利用はされているようだが、料理などの本来の目的では使われていない風に見える。


「皆さんはあまりお料理しないんですか?」


「あーダメダメ、4人全員料理とかは全然できないよ。ご飯も洗濯もトヨさんにお世話になりっぱなし、まぁ簡単な掃除ぐらいはするけど……トヨさんの合格点には全く届かないみたいで、週1ぐらいでトヨさんが掃除をやり直してる、かな」


 思い切って聞いてみると、女子としてそれはどうなんだという答えが返ってきた。本人達がそれでいいなら何も言わないけど、老骨に鞭打って家政婦業頑張っているトヨさんがなんとなく可哀想に思えてしまう。万が一俺がここでお世話になる様な事があれば、極力彼女に迷惑を掛けないように努めようと思った。


 1階にはキッチンの他にお風呂場や洗濯場、あとは板張りで正面の壁が鏡張りになっている稽古場があった。利用者の想定が少人数だからかそこまで広くはないけど、10人程度なら同時にダンスぐらいは普通に踊れそうだ。


 2階と3階は生活フロアになっていて、ブラウン管テレビが置いてある広めのリビングと、あとは入所者それぞれの個室が並んでいる。ドアには鍵も付けられていて、マスターキーを持っている大島さんと入居者しか入れないそうだ。合鍵複製は禁止で、失くしたらペナルティもあるらしい。その内容については教えてもらえなかったけど、ユミさんの顔色を見ていたら結構重たいものなんだろうなとなんとなく察した。


「家の中はこんな感じなんだけど、すみれちゃんは他にどこか見たいところある? 大島さんからは1時間ぐらい案内に時間を掛けて欲しいって言われてるんだけど、そんなに見る場所なんてないよね」


 いくら広いとはいえ建物の中だ、どれだけ時間を掛けたとしても15分程度で案内が終わってしまうのは仕方がない事だろう。案内というのは口実で、大島さんが俺抜きで母と話したい事があるのかなとはなんとなく思っていた。昨日の母の様子を神崎さんからも聞いているだろうから、大島さんも説得に加わってくれるつもりなのか、それとも別の意図があるのか。まだまだ彼女について知らない事の方が多い俺には見当もつかなかった。


 わからない事をいくら考えても仕方がない、俺はすこしだけ考えた後で見てみたい場所を思いついた。ただちょっと言いにくいところだったので、ちょっと口ごもりながらユミさんに聞いてみる。


「あの、ユミさんのお部屋って見せてもらう事できますか? どれくらいの広さなのか見てみたい、です」


 ユミさんの説明曰く、入所者の部屋はまったく同じ広さで6畳ぐらいの洋室らしい。空き部屋は鍵が掛かっているので入れないが、そこに家具を入れたらどれくらいの広さなのかとか雰囲気とか、実際に使っている部屋を確認したかったのだ。決して女子中学生の部屋を覗き見したいとかそういう事ではないので、そこは強く否定しておきたい。


 快く受け入れてくれたユミさんと共に、早速彼女の部屋へと向かう。ユミさんが住んでいるのは3階だそうで、入居時に空き部屋が複数あれば好きなところを選べるそうだ。ユミさんの場合は上の階からの騒音を気にしなくていい様に3階を選んだそうで、中学1年生なのにしっかりしてるなぁと思わず感心してしまった。


「散らかってるけど、どーぞ」


 ドアを開けた先にあったのは、なんとも女の子らしい部屋だった。白いベッドフレームと赤いチェックの掛け布団カバーが派手ではあるが、犬のぬいぐるみやチェストの上にある小物などが俺には無い確かな女子力を感じさせる。ユミさんは折り畳み式の簡易椅子を俺に差し出して、自分は勉強机に備え付けてあるコロコロと動く椅子に腰掛けた。


「あそこが結構大きなクローゼットになってるから、服以外であんまり使わない物は放り込んで隠せるよ。あれがなかったら、私の部屋は足の踏み場もないくらいにもっと散らかってたはずだから」


 冗談めかして言うユミさんに釣られて、俺も思わず木目調になっているクローゼットのアコーディオンドアに目を向ける。一体あの中にはどんな量の荷物が詰め込まれているのか、きっと聞かぬが花なんだろうな。我が家も狭いからぎゅうぎゅうに荷物が詰め込まれている収納が多いので、親近感を覚える。


 ユミさんは特に話下手ではないし俺も初対面で聞きたいことはたくさんあったので、ぽつりぽつりとではあるが会話が途切れる事はなかった。ユミさんは去年の新学期と同時にこちらに引っ越してきたそうで、1年だけここから徒歩15分ぐらいのところにある小学校に通ったらしい。セーラータイプの制服で、紺地に白のラインの冬服と白地に紺のラインの夏服の2種類があるそうだ。


 実物を見せてもらいながら説明を受けたんだけど、うちの学校の制服は可愛くないしセーラー服には少なからず憧れもあったから着てみたくなった。でも昨日の母のあの様子から察するにここで勉強する許可は出ないだろう。俺が何をどう言おうと日本の法律において瑕疵がなければ親権者の立場というものは強い。前世の平成末期に比べればまだまだ子供の権利が軽かった時代だ、あんまり無茶もできないししたくない。


 それに万が一許可が出たとしても、引っ越しする事になればなおやふみか達と離れ離れになってしまう。死に別れる訳ではないので帰省の際に会って遊ぶ事はできるだろうが、やはり物理的な距離が離れてしまうと心の距離も離れてしまう。文通などで連絡を取り合っていても、頻繁に顔を会わせていなければ疎遠になってしまう可能性が高くなる。それは仕方ない事とは言え、想像するとやっぱりすごく寂しかった。


「ユミさんは転校した時、前の学校の友達と会えなくなってさみしくなかったですか?」


 なんとなく経験者の話を聞きたくなって、唐突な質問をユミさんにぶつけてしまう。ユミさんは『んー?』と少しだけ考えてから答えてくれた。


「私の場合は無理せず電車で日帰りできる場所だからね。新しい学校に入るときは緊張したけど、特に寂しくは思わなかったよ」


 それを聞いて確かに関東と関西では距離が違いすぎるんだから、ユミさんとは前提条件が違うなと反省する。やりたい事と大事な友達、二兎追う者は一兎をも得ずなんてことわざ通りに両方は掴めないのかな。俺はまだまだ二人にまとわりつく気満々なんだけど、あっちが嫌になったら離れざるを得ないしなぁ。あぁ、なんか思考がネガティブモードになってる。


 そんな俺の思考を断ち切る様に、トントンと部屋にノックが響いた。ユミさんが返事をしてドアを開けると、そこにはトヨさんが温和な笑顔を浮かべて立っている。


「ユミちゃん、案内ご苦労さま。松田さん、奥様がお呼びですのでご一緒してもらえますか?」


 そう言われて壁に掛かっている時計を見ると、そろそろ時刻は午前11時になろうとしていた。いつの間にかそんなに時間が経っていた事にびっくりしつつ、俺は慌てて返事をして立ち上がる。椅子を片付けようとするが、ユミさんにそのまま置いておいてと指示された為、お言葉に甘えてそのままにさせてもらおう。


 トヨさんから忘れ物がないように言われて、どうやらもうこの部屋には戻ってこない可能性が高い事を察する。という事は、ユミさんともこのまま会わずに帰るかもしれないので、俺はくるりと振り返ってユミさんにぺこりと頭を下げた。


「案内してくれてありがとうございました、あとお話も。いろいろ参考になりました」


「ううん、こっちこそ。もしここで一緒に暮らす事になったら、仲良くしてね」


 ユミさんが差し出してくれた右手をしっかりと握り返した後、俺はトヨさんに続いて部屋を出た。

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