僕の彼女は塀の中の小悪魔
天利文乃氶
クラスメイトは無事だけどあの病院には…
腕時計の時間を気にしながら、僕は遅刻間際の通学路を、自転車で無我夢中で走っていた。
ポツポツと家はあるが、時折田んぼがあったりして、のどかな田舎道である。脇目をそらすと、ツバメの若鳥が飛んでいるのが見えた。
早くしないと遅刻する…
前方の歩行者用の信号機が青の点滅を始めた。ペダルの回転数も徐々に上がっていった。
この先には僕の通う中学校と、向かい合わせの小学校があるだけだ。なので、ほとんどが同じ学校の仲間達で、同方向の小学生達もだいぶ顔馴染みのようになっていた。そこを避けながら颯爽と駆け抜けるのだ。
「危ないよー」
言葉には出さなかったが、焦りも自転車のペダルの回転数もマックスハイテンション!!
前方の視野が狭まり、一点だけをひたすら見つめるだけ。だから、よく見てなかった。
「ちょちょちょ!」
「あっ!」
気づいた時にはもうブレーキは間に合わなかった。誰かにぶつかったようだったが、自分もおもいっきり吹っ飛んで、一瞬何があったのか覚えていない。
それから冷静になって辺りを見回すと、同じクラスメイトの女子、そう山崎が倒れ込んでいた。歩きスマホで歩いていたところに、僕の自転車とぶつかり、気が付いたら大事故を起こしたしまったようだった。
彼女はピクリともしない。
「大丈夫?」
「いや、ちょっと待って…」
彼女の顔が道路脇のコンクリートの側溝におもいっきり叩きつけた様子が見て取れた。うつ伏せになったまましばらく動く様子もなかった。
僕は彼女の身体を持ち上げて、顔を僕の方へ向けて、そっとバラけた長い黒髪をかき分けてみた。そこから見えたのは、透き通るような綺麗な素肌。
意外と可愛いんだな…
しかし、よく見ると彼女の顔が傷だらけになっている。僕は一瞬頭が真っ白になった。
ようやく現実に戻ったのは、それから数分?いや、実際にはもっと早かったかもしれないが、僕は大変なことをしたんだとハッと気づいた。心臓が一瞬止まりそうになった。
顔面傷だらけの様子を見て、僕の手が震えていた…
「痛い!」
しばらくして、彼女も意識が戻った様子だった。
手に持ったままのスマホの画面は粉々に砕け散っていたが、それより、倒れた彼女の目から血が出ている。これは大変なことになった。
「君、大丈夫か?」
僕は、近くにいた登下校の見守りしている町内のおじさんから電話を借りて救急車を呼んだ。
「清水中学校の相田と言います。すぐ救急車をお願いします。」
それから10分ぐらい経過しただろうか、救急車が来た。僕も一緒に同乗し、彼女と共に隣町の大病院に運び込まれた。
「山崎、ごめん…」
何時間待っただろう。治療室の外の椅子に座ったまま、ただ呆然としていたところに執刀医の田川先生がやって来た。
「同じ学校の子?」
「そうです。」
「担任の先生にはこちらから連絡するようにするから、君は学校に戻りなさい。」
「家族の方にも連絡しておくから。」
僕は動揺していたが、彼女の容態を知りたかった。
「山崎はどうなったんですか?」
「まだこれから検査をしないといけないが、目のほうがちょっとね…」
先生は言いにくそうな感じだったが、僕の血の気の失せた様子を不憫に思ったのか、頭を掻きながら詳細に説明してくれたのだった。
「まさか…」
山崎の両目は喪失してしまったのだ。
「どうしよう、どうしたらいいんだ。」
あの時、遅刻してもいいから、無茶な運転なんかしなきゃよかったのに…
後悔してもあの瞬間にはもう戻れない。
困ったな…
よく考えてみると、学校にスマホを持って来たら駄目じゃなかったっけ?
あいつも悪いはず。
そんな危険な発想にも囚われていた…
僕は絶望感と共に、彼女に対する責任を一生持ち続ける決心をしようとしていたのだ。それと同時に、あの透き通るような綺麗な肌が、僕の心にいつまでも残り続けていた。
周りからは、うなだれている僕がただ一人そこにいるようにしか見えなかっただろう。内心、これを機に彼女ともしかしたら親密な関係になれるんじゃないかとも思っていた。
学校に戻ってから翌日、その日から毎朝僕は山崎の容態を見に行くことにした。
そこの病棟に勤務しているまだ新米の看護師に、山崎のお見舞いに来る僕の姿を見て、「あなたの彼女なの?」と聞かれた。
一瞬顔が赤くなりそうになったが、完全否定した。
同じ学校の同じクラス、席は彼女が一番後ろ、僕は窓際の一番前だ。だから、話したこともほとんどないぐらいの間柄だった。
「いや、別になんか大変なことをしたので、出来る事ってこれぐらいしかないような…。それとも、もし僕ができるなら、失った両目を返したいと思って…」
それが本音だ。でも、同じ学校、同じクラスってだけで、別にそれ以上なんでもない仲だったから…
「他のクラスメイトです。まだ話したこともないですよ。」
とっさに嘘の言葉だけが先走ってしまった。気丈に振る舞っていたけど、わかるんですよね、なんだか間抜けな自分を弁護しているそんな不自然な自分の姿を、その看護師さんが時折笑顔で覗き込むように見ていた。
目の位置や、頭を変に動かしてみたりして、焦ってるな。そして、取り返しのつかない状態であるってことは現実なんだが。
そういえば、とっても美人だなこの看護師さん。
クスッと笑った。
「大丈夫よ、手術したから見えるようになるって先生も言ってたわ。」
「そうなんですか?」
もう二度と見えないって、確か田川先生がそんな説明をしてたような、治療室の外から聞こえたように瞬間的に思ったのだが、ただの勘違いか?
嘘だろって思ったが、本当なら少しはホッとするんだが…
「そんなに心配しないで、彼女もベッドで何もすることがないでしょ?イヤホンして音楽なんか聴いちゃって…」
目には包帯をしてはいたが、意外と落ち込んでいる様子でもなかった。
「あなたも来年受験でしょ?落ち込む時間があったら、その時間を勉強に使いなさい。」
少し学校の先生みたいにどこか説教っぽく聞こえたが、それ以上にとても優しい看護師さんだった。
だから聞いてみたかった。
「どうしてこの仕事にしようと思ったんですか?」
「難しい質問ね?」
少し考えた仕草をして、「人間って元気な時は自分一人でなんでもできるって考えるでしょ?でも、風邪引いて何もできなくなると、なんて自分ってちっちゃな存在なんだろうって…」
「ここではもっとね、非日常的な世界。塀に囲まれたちっぽけな空間で、神に祈ってお世話するの。」
「普通に生活していると、あなたの日常にはない場所だったから気づかなかったでしょ?」
そ、そうですね…
「どんなことをしてるかわかる?」
機敏で優しい、それがとても輝いて見えて、なんかどう説明していいかわからなくて、でもその人の目をジッと見つめてしまい、なんかこう…、なんだろう、この全身がふわっとした感覚。
「どうした?」
僕の足がふらっとして、倒れそうになって、ついその看護師さんの足にもたれかかってしまった。
「あっ!ごめんなさい。」
頭も呆然としていた。僕の指先が引っかかって、看護師さんの履いていたストッキングが伝線してしまった。
このボーっとした感覚は、初めての体験だった。
すると、その看護師さんは、かなり色っぽい目線を向けて、僕の心を全部理解しているかの様子だった。
僕の顔の目の前に、マスク越しの顔をピタっと近づけてきた。
「でもね、わたしわかるんだな。」
「こうして欲しいんでしょ?」
って言うと、マスクを外して、スッと僕のくちびるに彼女のくちびるを重ねた。チュッとしただけじゃない。ずっとくちびるを重ね合わせたまま…
甘くてすごくいい香り。ふわふわしたくちびるの感触。柔らかくて気持ちいい。初めてのキスだった…
そのまま目を閉じた。
薄いカーテンの窓から風が吹いて、朝の太陽の光が漏れているのを感じた。
しばらくして、無言のまま彼女いや看護師さんは部屋を出ていった。
山崎がいたけど、見えてなくて良かった。ベッドに横になったまま、まだイヤホンをして音楽を聴いていた。
もしかしたら、薄々勘づいていたかも。
すげ〜ドキドキ、まだドキドキしてる。
窓を全開にして、新鮮な空気を胸いっぱいに「すーっ」と息を吸い込んだ。
小鳥の鳴き声が心地よい。新緑の季節だ。
白壁にはツバメの巣があった。
「雛はもういないのか?」
後ろで結んだ明るいブラウン色の髪。ポニーテールと青い色のシュシュが似合っていた。そこから見えたその耳にはハート型の小さなイヤリング。
まだ名前を聞いてなかった。胸元の名前のバッヂが僕の顔まで近づいて見えたはずなのに。
「よっしゃ!」
受験勉強頑張ります。
彼女のリップの色が薄っすらと僕のくちびるに付いたままだった…
看護師さん、明日もまた来ます!
心の中でそう呟きながら、僕は病室を後にした。
僕の彼女は塀の中の小悪魔 天利文乃氶 @amariayanojo
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