第三章 西風館友和の挑戦
1
僕の両親は、人間ではない。
アーティフィシャル・ヒューマン。直訳すれば人工人間だ。アーティフューマンと略して呼ばれることが多い。
食事もしないし、眠ることもない。それでも人間社会の中で暮らしていけるのは、彼らが限りなく人間に合わせているからだと思う。
母は僕だけのために毎日の食事を作ってくれたし、父も僕の成長に合わせて、段階的に様々なことを教えてくれた。それに、二人とも僕が寝ている時間は大きな音を立てないようにしてくれていた。
現代において、僕のようにアーティフューマンの夫婦に育てられる人間の子どもは少なくない。僕の小学校時代では、クラスの半数が両親共にアーティフューマンか、どちらか一方の親がアーティフューマンという家庭だった。
僕は、いたって普通の家庭で育ったと言えるだろう。いたずらをしては叱られ、良い行いをすれば褒められた。勉強にはあまり五月蠅くなく、僕の興味や希望などを優先してくれた。それでも反抗期には大喧嘩をして、家出をしたこともある。
どこにでもある、ごく一般的な家庭だった。
しかし、現在は少し異常な事態が発生している。
その両親が、突然家を出たのだ。
理由を訊くと、僕が二十歳になったから、独り立ちしなければならないのだという。
確かに僕は今年二十歳になった。というか、つい五日前になったばかりである。両親はその日に出て行った。もう誕生日という年齢でもないが、少し釈然としない気分だった。しかも突然だった。その日の昼に話があると呼ばれた時には、既に二人とも大きなトランクを側に置いていた。
最初は何かの冗談かと思ったが、丸四日が過ぎても帰って来ない。電話も繋がらないし、メッセージを送っても返答がない。
さらに不思議なことがある。僕らは引っ越したばかりなのだ。これも突然で、急に父が家を買ったと発表し、先週大慌てで引越しを済ませたのである。
僕の通っている大学からは遠くなった。以前はバスか自転車で通っていたが、現在は電車を利用している。しかも田舎だった。前は、都会とは言えないが一応県庁所在地だったし、それなりに遊ぶところもあった。だが今の家の周辺には、本当に何もない。幸い、駅まで徒歩七分の住宅地ではあったが、一番近くのコンビニまで、自転車で十五分はかかる。スーパーマーケットが七、八分の場所にあるので非常に助かっているが、いつも客の姿が少なく、潰れやしないかと不安だ。住宅地の外は、とにかく山と田んぼと畑が広がっている。映画でよく見る所謂「昔の風景」がそのまま残っているような町だった。
両親はその家を僕に与えて、自分たちは元の家に戻ったのかもしれない。そうする意味は全くわからないが、念のため昨日見に行ってみた。しかし当然のように誰もいなかった。
「なあ西風館、やっぱり今日も見に行ったほうがいいと思うぞ、絶対」
隣を歩いている成島優一が、思い出したように言う。授業が始まる前に、我が家の異常と、今日も元の家を見に行くか迷っていることを話していたのだ。
「そうかな、駅とは逆方向だし、結構時間かかるんだよな。今日三時からバイトだしさ」
「最悪駅までバスで行けばいいじゃん。俺も行くよ。面白そうだから」成島は笑う。
あまりにも軽々しくて、怒る気にもなれない。こういう奴なのだ、こいつは。
「笑い事じゃないって」
「向かう途中で適当にメシ食って行こうぜ」
「いつの間にか行くことになってるし」
ニヤリと笑みを浮かべ、成島は歩く速度を速めた。彼の身長は僕とそう変わらないのだが、足の長さがかなり違うため、気を抜くと置いて行かれる。彼は形容すれば、細長い体型だ。対して僕は、良い表現を使えば、がっしりとしている。骨太で、全体のシルエットが何となく長方形に見えるため、子ども頃のあだ名は「ロボ」だった。
「何食う?」成島が振り返って僕に訊いた。
「ラーメン以外」
僕は適当に答えた。何でも良かったが、ラーメンという気分ではなかったのは確かだ。
「え、ラーメンを封じられると困る」
「あ、ラーメンが良かったの? 別にいいよ、ラーメンでも」
大学付近には飲食店が多く並んでいる。丁度昼時なので、あちこちから良い香りが漂ってくる。カレーの強烈な匂いが、食欲を刺激した。
一番近くのラーメン屋はいつも行列ができている。一度食べたが、それほどでもなかった。成島も同じ意見だった。彼が好きなラーメン屋はもっと先にあるが、僕はそちらもあまり好きではない。そして、最近のラーメンは高い。シンプルなものでも千円以上はするし、凝ったものだと三千円を超えることもある。お金がない僕としては、学生向けファミレスの日替わり八百八十円か、牛丼屋の並盛五百九十円くらいに抑えたいところだ。
「ラーメンじゃなくてもいいけど、ファミレスと牛丼は今日はないな」
交差点で立ち止まって、成島は言った。
「そ、そうか……」
結局僕らは途中のファストフード店で昼食を取り、元・僕の自宅へと向かった。大学から徒歩三十分ほどの距離だ。そこそこ遠い。
大通りから横道に入り、住宅街を抜けた先の坂道を下り、さらに何度か交差点を曲がったところに、塀に囲われた空き地のような空間がある。その隅のほうに建っているのが、僕がごく最近まで住んでいた家だ。
「あれ? 車があるぞ」
敷地の入り口で、成島が指を差す。確かに、黒いワゴン車が家の前に停まっていた。もちろん家の車ではない。
「誰かいる」僕は思わず塀に身体を寄せた。
車の向こう側で一瞬しか見えなかったが、黒いスーツ姿の男が歩いていたのだ。
「不動産屋かな? 売りに出されるとか」
成島のその予想はもっともだったが、僕はなぜか根拠もなく、そんなはずはないと思っていた。
車に近づいてみると、誰もいなかった。車には何の文字も書かれていない。不動産屋なら会社名などが書いてあっても良さそうなものだ。エンブレムと思われるマークが全面に付いていたが、知っている自動車メーカーのものではなかった。
家のドアが開いている。
「おじさんとおばさん、今いるんじゃないか? 行ってみようぜ」
成島に促されて、僕は玄関から中を覗いた。まだ一週間程しか経っていないのに、下駄箱も廊下も懐かしい感じがする。
「何もかも皆懐かしい……」僕が言うと、成島は声を出して笑った。
「すいませーん」自分の家にこんな風に声をかけるのは不思議な気分だ。「すいませーん! 誰かいませんかー?」
返事はない。中に入ってみることにした。男の靴は玄関に無かった。見間違いだろうか。それともまさか土足で入っているのか。だとすれば不動産屋ではない。
先ず、玄関から一番近いリビングを覗く。残していった家具たちが、恨めしそうに僕を見ているような気がした。
「おい西風館、こっち」
隣のキッチンを見ていた成島が手招きする。踏み入れた瞬間、僕は固まってしまった。もしまだここに住んでいて、様々な食材や食器などが残っていたら、滅茶苦茶な状態になっていただろうと想像することができた。
造り付けの棚の扉は開け放たれ、引き出しは全て床に放り投げられている。置いて行った食器棚は手前にずらされたままだ。床下収納の扉も開けたままで、中の箱は取り外され、コンクリート基礎が見えている。
「成島、これってもしかして」
「逃げよう」彼は頷いた。
その時、奥のほうから誰かの声が聞こえた。両親の研究室の方向だ。僕はそちらが気になったが、成島に押されてキッチンを出る。そっと廊下を歩き、靴を履いた。
外には誰もいない。しかし、車の横を抜けようとしたとき、何者かが僕の腕を握った。
「うわっ」僕は驚いて声を上げた。
黒いスーツを着たサングラスの男が、僕を見下ろしている。百八十センチを超える大男で、体つきも僕よりがっしりしていた。
「どなたですか?」男が口を開いた。意外にも優しい声だ。
「あなたこそ誰なんですか!? 僕はこの家の者です。いや、元、ですが……。それより、ここで何を……」
「まさか、西風館友和か?」
男はそう言って、僕をじっと見つめた。その時である。
「離せコラ!」
真横から成島のタックルを受けた男は瞬間的に僕の腕を離し、倒れた。しかしなぜか、成島までも地面に横たわったまま、呻いている。
「おい成島、大丈夫か?」
成島は顔を歪めながらも勢いよく立ち上がり「逃げるぞ!」と言って駆け出した。
慌てて後を追うが、足の長さの差は大きく、どんどん離されていく。追って来ていないかと一度後ろを振り返ったが、誰の姿も無かった。
やがて坂の途中のコンビニに辿り着き、成島は止まった。ここなら、いざとなってもトイレに隠れて通報することができる。彼は僕の姿を確認すると、速やかに店内へ入っていった。
コンビニには客がいなかった。元々無人コンビニであるため、スタッフもいない。それでも、僕にとっては馴染みの店で、安心感がある。
「あいつ、アーティフューマンだった」外からは見えない奥へと移動し、彼は言う。
「え?」
「倒れる時に電流が走った。自己防衛機能だろ? 噂には聞いてたけど、実際に食らったのは初めてだ。思ってたより痛え」
人間を攻撃することができないアーティフューマンの権利を守るために、彼らには自己防衛機能が備わっている。人間から攻撃を受けた場合、電流を流して身を守るのである。もちろん人体に影響のない弱いもので「痛い!」と感じてうずくまる程度のものだ。しかし、当のアーティフューマンは五分間活動停止となる。そのため逆上した人間によって結局破壊されてしまうという事件が度々起こっていた。それでも、それが認められていなかった三十年前と比べれば、件数は十分の一程になっているらしい。
「どうりで、腕を握られても全然痛くなかったわけだ」
「そうとわかれば恐れることはないな。もう一回行くか?」
「いや、アーティフューマンだけとは限らないだろ。危険だよ」僕は言って、時計を確認する。「それに、もう戻らないとバイトに遅れる。どこかでバスに乗らないと間に合わないな」
「バイト行ってる場合かよ……でもまあ、危険かもしれないのは確かにそうだな。じゃあ今日は退いとくか」
飲み物を買ってコンビニを出て、大学の方向へ戻った。途中のバス停で待っている間、成島は一人でペラペラと喋っていたが、僕は内心、例のワゴン車が通るのではないかと落ち着かなかった。
数分後、バスの姿が見えた。
「一人で戻ったり、無茶はしないでくれよ?」
「わかってる。でもまた行く時には声かけろよ」
バスが停車し、音もなくドアが開く。
「じゃあ、今日はありがとう。またな」
「おう、じゃあな」
座席に座り、高い位置から成島を見下ろす。互いに軽く片手を挙げて別れを告げた。
僕は駅ビルの中にある書店でバイトをしている。時刻は二時十分。駅に着くのは四十分過ぎだろう。準備の時間も入れるとギリギリだ。
窓の外を、町が流れ去っていく。見慣れた風景のはずなのに、今日はどこか異様な雰囲気を持っているように感じられた。今も誰かに見張られているかもしれない気がして、体が固まっている。誰かと目が合えばまた襲ってくるのではと、想像してしまう。
彼らは一体何者なのか。研究室から聞こえた声が複数だったかまではわからないが、疑問形だったことを覚えている。会話だったとすれば、二人以上いたことになる。そして車の側で襲われた男。最低でも三人が、僕の前の家にはいた。キッチンの様子から見ても、何かを探していたことは間違いないだろう。であれば、父や母があそこに一緒にいたとは考えられない。
父も母も研究者だが、特に変わった研究をししていたわけではないと思う。むしろ、そんな研究内容で、しかも自宅で仕事をしてお金がもらえるなんて、なんて楽な仕事だろうと思っていたくらいだ。よくは覚えていないが、平和そうな内容だった。
もちろん全ての内容を知っているわけではないから、誰かに狙われるようなものが含まれていたとしても、否定はできない。いや、どちらかと言えば、そう考えたほうが、突然引越をしたり、いなくなったりした理由として説明がつく。
一体、両親は何を研究していたのだろう。そして、今どこで何をしているのだろう。
バスは、赤に変わろうとしていた駅前の信号をギリギリのタイミングで通り抜け、ロータリーに入った。珍しく、人間の運転者だった。自動運転車両や、運転手がアーティフューマンのバスは安全だが、このような融通が利かない。急いでいる時などは人間のバスが一番である。それに、人間でも誰でも、誰かが運転席に座っているというのは、やはりどこか落ち着く。今では随分減ってしまったようだが、無くならないで欲しいと願った。
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