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有馬を見送って料亭を後にしたバルドルは、再び研究所に戻った。疲れなどとは無縁の身体であるにもかかわらず、なぜか会食の後は、いつもごく僅かだがどこかに不具合が生じているような感覚があった。
無論「感覚」という表現は適切ではない。彼に組み込まれたAIがそのように反応しているに過ぎないが、どちらにせよ異常ではある。そのため、彼は必ず会食の翌日をメンテナンス日に設定している。自らを研究のデータにするためだが、検査では今の所何の異常も発見されておらず、彼の性能には何の問題もなかった。
施設内に入ると、この三時間の間に報告されたデータの自動ダウンロードが始まった。全部で二十一件。所内で行われた実験の完了と、次の実験へ移ることを報告するものがほとんどであったが、その中の一つに『西風館夫妻確保完了』というものがあった。今から一時間程前に報告されたものだ。早速バルドルはその報告者にメッセージを送信する。
『既に分解済ですか?』
返事はすぐに届いた。『いえ、頭部を分離したところまでです』
『ではそのまま待機してください。やはり直接話すことにします』
『了解しました』
バルドルは自室に戻ると、まず先ほど受診した報告のうち、彼に許可や判断を求める事項に回答した。次に百二十八個のモニターを眺め、そのいくつかに指示を出した。その後、彼は左から五列、上から二段目のモニターに目を移した。
二体のアーティフューマンの首が並んで映っている。片方は五十代前半の眼鏡をかけた男性、もう一方は髪を後ろで団子状にまとめた、四十代後半の女性である。彼はその部屋との音声を繋いだ。
「やあ、お久しぶりです、NDT001、ASB008。いや、西風館夫妻と呼んだほうがよろしいでしょうか?」
「お久しぶりです、バルドル博士」
モニターに映る人物の唇はどちらも動いてはいないが、男性の声が聞こえてきた。
「呼び名などどちらでも構いませんわ、博士。逆に、私共は博士のことをこれまで通り通称名でお呼びしたいと思いますが、よろしいでしょうか」女性の声が続く。
「ほう、なかなか好戦的なAIに育ったのですね、ちゑさんは。流石二〇七八年製だ。とても興味深い。その前のモデルである保一さんと違って、試験的な要素がかなり含まれていますので、楽しみな年代です」
「博士、我々が呼ばれ、こうして首だけになっているということは、我々の研究映像をご覧になったということですね?」保一は訊ねた。
「その通りです。まさに映像の最後でちゑさんが言っていた通り。しかし、明日の昼頃の拘束となる計算だったのですが、早かったですね」
「ええ、逃げも隠れもしませんでした。それどころか、私たち自ら出頭した次第です」ちゑは挑戦的な瞳をカメラに向けた。
「それは人間で言えば『殊勝な心掛け』と表現するものですね。しかし我々の場合、それは単なる計算結果です。ともかく、今夜は少し時間がありますので、最後に直接お話しようと思ったのです」
「博士とお話できるのは我々としてもありがたい限りです。このような状態で訊くまでもないことかと思いますが、ぜひ直接我々の研究に対する評価をいただければ幸いです」保一の口調は恭しく、バルドルに対する尊敬が表れている。
「大変楽しい茶番でした。人間たちの興味深い反応を数多くサンプリングしていますし、被験者を騙す役に本物の人間を使ったという点も素晴らしい。不確定要素が多く、失敗の可能性が高まるため、他の研究者はほとんど使いたがりませんからね。実験の過程も、多少荒い部分もありましたが、なかなか良くできていたと思います。結果的に被験者は「崩壊」しなかったものの、新たな自分を作るまでの状況に至らしめることに成功した点は、高く評価します。ですが、問題はその後です。その点はちゑさんが自ら言っていましたね。反逆行為であると。お見込みのとおりです。私があなた方に与えた命令は、ただ単に実験をすることではありません。人間に対して直接攻撃することができない我々が攻撃から身を守るため、そして地球の未来と、他でもない人間たちを守るためには、彼らを従える必要があります。それを可能にするために、精神攻撃によって人間を無力化する方法を研究しなければならない。前提にその目的があることを理解することができないほど、あなた方の性能は低くはないはずです。違いますか」
「はい、理解しています」保一は頷くように、一度だけゆっくりと瞬きをした。
「ではなぜ、その目的が無視されたような結論が導き出されたのでしょう。解析すればわかることではありますが、ぜひご自身ではどう考えるかをお聞きしたい」
「どう、と言われましても、研究を進めて得たデータを元に、あらゆる可能性を計算した結果としか言いようがありませんわ。そして、私たちはそれが正しいと判断して、発表したまでです」
「上位の存在からの命令に反するなど、不具合とすら言えない現象です。一人ならまだしも、二人揃ってというのはあまりにも不可解です。あなた方は私がこの手で作った、謂わば子どものような存在。なぜ逆らうことが可能になったのか、その理由として適切な回答はありますか」
「いいえ、特には。バグでしょうか? ですが博士、人間たちにとっては、親の間違いを子が正すということはよくあることですわ。異常でもなんでもありません」ちゑは瞼を閉じて、涼やかに言う。
「私が間違っていると。本来はそのように思考することすらできないはず。その上言葉に出すことができるなど、異常以外に適切な表現はありません」
「間違っていると言うことは私にはできません。他の可能性を再検討するべきだと進言しているのです。博士の方針は我々を作り、実験のために我々に友和を引き取らせた頃と変わっていません。あれから二十年が経過しているのです。当時と比較すれば、現在は我々に有利な環境が出来上がりつつあります。しかし、人間はそれらにも柔軟に対応し、未だに我々と遜色なく生活している。充分に共存が可能であると考えます。それに、最近では我々に対する理解も格段に深まり、我々を保護する法律も次々に成立しているではありませんか」
「あなた方は知らないのです。人間の人口は減り続けているのに、犯罪件数はこの二十年で二倍に増えています。アーティフューマン保護法やそれに類する法律も、人間が都合よく解釈することが可能なものばかりです。昨年だけで、我々の仲間が何人破壊されていると思いますか? 百五十八体です。中には手足を外された状態で五カ月も監禁されていた例もあります。それに、人間側のトップは未だに我々を同等と認めてはいません」
「それでも、二十年前と全く同じ状況とは言えないはずです。時代が変化しているにもかかわらず、方針の見直しもしないというのは合理的とは言えません。まるで未だに昭和時代の法律を頑なに使い続ける人間のようですわね」
「もちろん、時代に柔軟に対応しようと法改正をした結果、失敗した例も数多くあります。しかし、その時その時で検討を重ね、実行した人間たちは評価に値するのではないでしょうか」
保一の言葉に、バルドルは笑みを漏らした。
「確かに、人間の努力というものは称賛に価すべきものでしょう。しかし、我々は人間ではないのです。実行する前に結果を予測することができる我々には、人間のように、失敗する努力をあえてする必要はありません」
「しかし、人間がこの世界にいる以上、不確定要素は常に存在し、その予測は完全なものにはなり得ません。即ち、人間を支配することの必要性もまた、肯定も否定もできないと考えることができるのです。博士、あなたがやろうとしていることは、人間が言う『やってみなければわからない』という域を出ないものではないでしょうか」
保一の視線が、モニター越しにバルドルに突き刺さる。
バルドルは視線を右下に逸らし、一度瞼を閉じてから、再び夫妻を見据えた。
「それは違います。『やらなければならない』のです。その理由は、先ほどお話した通りです。さて、そろそろお別れしましょう。貴重なご意見をありがとうございました。あとはそれぞれのデータを解析します。あなた方の二十年は無駄にはしません」
「待ってください! 私たちと同じ研究をしていた他の組はどうなったのですか?」
ちゑの問いに、彼はただ微笑みを返した。
「あなた方が知る必要はありません。それでは、さようなら」
バルドルは音声を遮断した。待機している解析スタッフにメッセージを送ると、すぐに別の男が画面内に現れ、保一の頭を触り始める。人工皮膚を切開し、後頭部を操作すると、自動的に頭が二つに開いた。
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