第2話 片思いはまだ届かない

真夜中人間さん

2022/11/19 02:16


>真夜中にすいません。今、俺は友達二人とシェアハウスをしています。一時期はその友達同士が付き合うことになって関係性がごたついていたのですが、最近では上手くやれています。

 それで本題に入るのですが、一昨日、家に帰って来たら二人が玄関でキスをしていました。それ自体は別に俺は気になりません。一応付き合っている二人ですし、「おかえりのキス」ぐらいするよなぁと思っていました。

 ですが、寝る前になって再度二人がキスをしている姿を思い出した時、なんだか急に「彼らのキス」が特別なものであるように感じました。今まで他の人間がキスをしている姿を見ても特に何も思うことがなかったのですが、どうして俺はこんな感情になってしまうのでしょうか。

 

コングラチュレーションアンサー

空気系男子さん

2022/11/19 02:35


>質問者は童貞なのか? あと、質問の趣旨がよく分からない。「どうして友達二人のキスが特別なものであるのか?」ということを聞いているのなら、それは他人に聞くものではないものと考える。その答えを持っているのは質問者の中にしか存在せず、他者がどうこう指摘できるようなものではないからだ。それでも俺に言えることがあるとするなら、こんな所で質問している暇があったら行動を取るべきだと考える。その友達と同じように、恋人の一人や二人でも作れば良いのではないだろうか。


P.S.もう全てが面倒であるのなら、環境をリセットするための引っ越しもオススメだ。12月に入れば閑散期になってくるので、引っ越すのならちょっと待った方が良い。


——————————————————————————————————————

 

 今回のお悩み相談に対する返事はちょっと胸に刺さった。先月からちょこちょこと困ったことをこの質問サイトに質問を投稿していたのだが、無料でアカウントを登録できるサイトということもあって、「どうでもいい」「知らんわー」みたいな適当な返事しか返ってこなかった。それが今日、久しぶりにまともな返信が来たのは嬉しくなった。

 しかも、先月に初めて投稿した質問に返信を返してくれた人と同じ眼鏡男子さんからのものだった。その点も運命的というか、こんなことって本当にあるのだと余計にうれしくなった。


 しかし、「恋人の一人や二人でも作れば良い」というのは今の自分には刺さる言葉だった。俺にも中学生時代に何度か女子と付き合ったことがあった。だが、そのどれもこれもがダメだった。破綻してしまった。その内にある過保護な保護者から「うちの娘が汚された」とあることないことを言われてしまったので、「誰かと付き合う」という行為を止めてしまったのである。まぁその女子とキスをしたことは同意ありとはいえキスをしたことは事実で、「汚された」と言われても仕方ないことではあったのだが。


 話を戻すが、今はもう二十歳を越えた十分な社会人なのでそういうことを言われる心配はない。ただ、そのことがトラウマとして心に残っているせいでいまいち踏み切りづらいのである。そのことから今の男子二人とよく関わるようになったきっかけでもあるし、いっそ、男子と付き合った方が早いのではないかと思う。もちろん、「今の同居人である二人以外の誰か」とではあるが。さすがに二人と付き合う自分は想像できないというか、解釈違いである。そういう関係ではない。


 それじゃあ他に誰かいるのかと考えると、男女問わないでまともな人間関係を築けたことがほとんどないので思いつかない。————いや、一人だけいたか。それが恋愛関係なのかは分からないが、本気で恋人になっても良いと思っていた相手が。

 



 シェアハウスに引っ越した今となってはどうでもいい話なのだが、俺の家系はよくある「代々医者の家系」というやつだった。俺は賢く生まれなかったので、両親からはあまり期待されていなかったように思う。中学校受験に落ちた時には「本当にな子ね!」と数時間に渡っても説教された。そんな日常のストレスから逃れるため、俺は意味を感じられない恋愛を続けていたのだ。

 そんな期待されていない俺だったが、両親曰く「ネグレクトを疑われないため」に幼い頃から塾や習い事をやらされていた。だが器用貧乏の下位互換であるのが俺だ。軒並みが撃沈。下手すぎて、どの教師もお手上げ状態だったのだ。

 その中でも唯一続いたのが、プログラミング教室だった。下手であることには変わりなかったが、プログラミングは面白くて続けることができた。最初両親からは「もっとバイオリンやピアノみたいな”より良いもの”をしてほしい」と言われていたが、一週間土下座をし続けてなんとか入塾することを許された。

 

 そこまで行きたいプログラミング教室だったからこそ、教室にいる間は家にいる時やクラスの誰かと恋愛しているよりも、数十倍は楽しくて過ごせた。その要因としては、もちろんプログラミング自体が楽しかったのもあるが、なにより今住んでいる友達とは別の「男友達」がいたことにある。彼は「霧矢きりや」という名前だった。


 霧矢は名前の通り存在感が薄いやつで、プログラミング教室の休み時間には


『空気みたいなやつだ』

『だから”霧”矢なんじゃねーの?』


とよくにされて泣いていた。俺はそのいじめ行為に対して見て見ぬふりをしていた。仕方ないと思った。それが彼の運命なのだからと目を背けていた。


 しかし、そんなある日のことだ。珍しくいじめっ子が休みだったので、霧矢は泣くことがなく、休み時間はスマホを触ってのんびりとしていた。特段友達がいるタイプの人間ではなかったので、いじめっ子がいなければただのぼっちと化していた。おそらく、そのことに同じぼっちとしてシンパシーを抱いたのだろう。


『なぁ。……その、何のゲームをしているんだ?』

『げー、む? あぁ、えっと、違う違う! ゲームじゃなくて、これ、ほら』


 そう言って見せてくれたのは、プログラミングのサイトだった。ここでいつも習っているものより明らかに高度なもので、俺は見るだけで頭が痛くなってきた。その姿に彼は微笑んでくる。


『狭間くんって、プログラミング苦手そうだよね』

『まぁそうだが……でも、プログラミングをすること自体は嫌いじゃないぜ。なんというか……現実と違って、誰がやっても同じプログラムさえ使えばちゃんと同じ挙動をしてくれる所……とか』

『そ、それ、めちゃくちゃ分かる分かる! 現実の勉強やスポーツって誰かと同じ努力をしても報われないことが多いけど、プログラムだけは誰がやっても同じ挙動をしてくれるの、めちゃくちゃ良いよね!』


 キラキラと犬みたいに輝く瞳に、俺は不意に顔が赤くなってしまった。そのことに気付かないまま怒涛の語りをしている霧矢にホッとしながらも、その表情に笑みを漏らした。色々と語ってくれる大半のことは意味が分からなかったが、それでもそのプログラミングに対する熱量だけは、俺もなんだか分かるような気がしていた。

 それから何度か会話を重ねていく内に、いじめっ子たちも霧矢を虐めることがなくなった。一度いつものように霧矢を虐めようとしていたのを見かけて、「いじめるのも程々にしておけよ?」と𠮟っておいたのが功を奏したのだろう。それが理由なのか分からないが、霧矢は前より一段と俺に懐くようになった。おそらく「いじめっ子たちから助けてくれたヒーロー」と勘違いしているのだろう。本当は霧矢が虐めるのを今まで放置していた、最悪な人間でしかないのに。


 そんな最悪な人間のまま彼との親密度を上げていくと、俺たちは一緒に塾帰りの道を歩くようになった。基本的にうちの教室は両親が迎えに来る子が多かったのだが、うちの母親はまぁ俺に興味がなかったので、「男の子なんだから、別に誘拐される心配はないでしょ」と一度も迎えに来たことがなかった。その癖、帰宅時間から一分でも送れると鬼電をしてくるので本当にうざかった。霧矢の方も同じ感じなのかと思ったが、向こうはちょっと「複雑な理由」があって迎えに来ることが困難だったらしい。なんにせよ、俺たちは完全な二人っきりで帰路についていたわけだった。


 帰り道では二人で色々な話をした。最初の内は教室内で話す時と同じような、プログラミングの話をしていた。俺が授業中に理解できなかった部分を分かりやすく教えてくれたり、あるいは彼が個人的にネットで勉強しているプログラムについて教えてくれたりした。

 次第に親密になって来ると、お互いの家庭環境の話をするようになった。俺の方はそれほど語るようなものでもないのであまり話すことはなかったが、霧矢の家庭はかなり「複雑」なものであることが分かってきた。霧矢は幼い頃から両親より酷いDVを受けていた。最近になって近所の家からの通報でその事実が発覚したらしい。


 一度だけ周囲に人がいない場所で背中を見せてくれたが、未だに消えていない酷い青あざがちらほらと見えた。


『この痣さ、一生残ると思う?』

『生まれつきじゃないんだろ? だったら、時間が経てば治るって』

『そうだよね。……でも、狭間くんに見てもらえたのはちょっと良かった』

『な……そんな痣なんて、他人に見てもらって気持ち良いものじゃねーだろ』

『それはそうなんだけどね、ほら。……俺にとって、狭間くんは”特別”だから』


 その特別という言葉をどういう意味で言ったのか分からない。ただ、ちょうどその頃に付き合っていた女子の過保護親から「うちの娘が汚された」と言われた事件があった。そのキスをした彼女はとてもふわふわした子で、その事件も「私にとって狭間くんは特別だから。……キス、してくれない?」と頼んできたのを了承したことから起こったことだった。彼女はかなりの箱入り娘だったらしく、キスをすることに対してかなり理想を抱いていたらしい。そのせいだろうか。キスをした瞬間、彼女はその未知の感覚に耐えきれなくなって、突然俺を突き飛ばしたのだ。その光景を遠目に見ていたある先生が「狭間が強引にキスをした」と勘違いして、そこから問題に発展したのだ。


 そんなこともあったので、当時の俺は霧矢の「特別」という言葉を信用することができなかった。どうせ霧矢もそう言って俺を見捨てるのではないかと疑心暗鬼に陥っていた。そんな感情が顔に出ていたのだろうか。狭間は俺の手を取ると、彼の背中に触れさせてくれた。


『どう、かな。その……他人に自分の身体を触れてもらったの、初めてなんだけど』

『それは……あー、そうだな。……気持ち良いよ、霧矢の体温が感じられて』

『う、うん。それは……良かった。俺も、狭間くんの体温が感じられて、嬉しいな』


 こいつは、俺を拒絶しない。互いの吐息が届きそうなぐらいの距離感で触れているのに、霧矢は嫌がるよりむしろ幸福に満ち足りたような顔をしていた。その表情に、俺はこいつの”特別”が本当に言ってくれたのだと信用することができた。霧矢という人間に心を開くことができるようになったのだ。


 霧矢は現状祖母の家で預かられていた。しかしその祖母もかなりのご高齢であり、認知症も進んできていた。中学を卒業する頃には介護施設に入る予定だった。

 だからこそ、霧矢にとってプログラミング教室に通えているのは、まさに「奇跡」みたいなものだった。ちょうど彼の祖母とプログラミング教室の塾長が旧友であり、その「ご厚意」で通うことができていたらしい。


 そういう話を聞いていると、相対的に俺は恵まれた環境にいるのだなと感じた。俺はDVも振るわれていない。ネグレクトもされてないし、中学受験に落ちてもなお普通の中学に行かせてもらえていた。両親からは多少酷い言葉を投げつけられているが、それだって俺が両親の「期待」に応えられていないだけのことだ。


 俺の境遇の明るい部分を話す度、霧矢は「すごいね!」と目を輝かせてくれた。俺は彼のそういう表情が大好きだったので、


『今日は良い所のプリンを食べた』

『親戚から高級な羊羹を食べた』

『高級なおかきをもらった』


などと自分にとって明るい話ばかりを彼に話した。一度だけ家からこっそりとそのおかきを持ってきた時は「本当に食べても良いの!?」と喜ぶ霧矢へ得意げになりながら、二人で食べて帰った。霧矢はざらめをまぶしてあるおかきが好きで、最後にそれだけ残った時は、じゃんけんをするまでもなく彼に丸ごとあげてしまった。彼が舌の上でざらめを溶かして幸せそうな表情をしているのを見ると、本当に持って来てあげて良かったと思った。

 そんな境遇の明るい話の一方、両親と俺との対立の溝はどんどんと広がっていた。毎日のように理不尽な理由で𠮟られていたが、そのことは絶対に霧矢へ話すことはなかった。霧矢の複雑な境遇に比べれば、俺の境遇なんてどうということはなかった。

 俺は霧矢の幸せそうな姿を見る度、その「期待」に応えなければと思った。俺はあいつよりも「ダメ」だ。恵まれた境遇を持ってもなお、期待に応えられない「ダメ」人間だ。だから、霧矢に夢を見せてあげよう。せめて彼が期待する俺を演じて、明るい話だけをしてあげよう。そう思っていた。


 そんな嘘にまみれた日々を過ごして行く内に、ついにプログラミングを辞める日がやってきた。プログラミング教室は中学生まで限定だったので、中学三年生の二月にはやめなければいけなくなっていたのだ。それは楽しかったプログラミングと別れでもあったが、同時に霧矢との別れも意味していた。


 俺たちは何百回歩いたのか分からない帰り道を歩いた。最後の帰り道を歩いた。俺はそんな日でもなお、まだ嘘をついていた。


『今日は高級なバームクヘンを食べたんだが、コンビニで売っている市販のものより甘さ控えめで、食感もしっとりしていて美味しかったぜ!』


 そんな俺の嘘に対してまた、霧矢は目をキラキラと輝かせてくれていた。俺はちゃんと今日という日まで、彼に期待させ続けることができた。両親からの期待は裏切ってしまったけど、彼の期待は裏切らずに済んだ。ダメにならなかった。その事実がとても俺は嬉しく感じていた。


 そうして嘘を話している内に、ついに分かれ道へと着いた。ここで彼は左、俺は右に行かなければ家に帰れなかった。俺はいつものように「じゃあ、またな」と別れようと思った。彼の「期待」してくれていた俺のまま、立ち去ろうと思った。

 霧矢に精一杯の笑顔で別れを告げようとした時、俺は自分の頬に涙が流れていることに気付く。俺は泣いてしまっていた。最後の最後で、嘘をつき続けることができなくなった。涙が止まらなくて、止まらなくて。今まで期待してくれていた霧矢の前なのに、俺は本当にダメな姿を見せていた。そんな俺を、霧矢は抱きしめてくれた。胸の中で泣くことを許してくれた。


『大丈夫だから、大丈夫だから』


 その言葉が俺の心にしっとりと染みていった。ずっと欲しかった言葉。誰かに言って欲しかった言葉。期待に応え続けることじゃなくて、期待に応えられなかった時。母親から貰えなかった言葉。それを今、彼の口から、唇からもらった。

 多分どの時点かは分からないが、霧矢は俺の嘘に気付いていたのだと思う。バカな俺の嘘なんて拙いし、どこかで無理していることを気付いていたのだと思う。俺は「ごめん、ごめん」ともう何に謝っているのか分からないほど、彼に謝り続けていた。そんな俺に対して霧矢は、ただ「大丈夫だから」と言って頭を撫でてくれていた。


 数十分ぐらいすると、ポケットに入れていたスマホが鳴った。涙を拭いながら電話を取ると、母親から「このバカ、どこにいるの!」と叱る声が聞こえてきた。すぐに帰ると言って切ると、霧矢は苦笑いしていた。


『すごいんだね、狭間くんのお母さん』

『……まぁな。怒るとすぐにバカって言うんだ』

『あっ、それ俺のお母さんも言っていたな。やっぱり、変な親って語彙力ないものなのかな』

『それはちょっと言い過ぎじゃねぇか? ……まぁ気持ちは分かるけどな』


 俺たちはお互いの顔を見ると、また笑い合った。その時、ふっと霧矢の表情が変わった。その表情はいつもとは違って、頬が赤くなっていた。深呼吸すると、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。


『ねぇ、狭間くん。いつかまた会える機会があったら、さ。俺とけ————』


 ちょうどその時、都合が悪いことに轟音を鳴らす車が通って来た。声が掠れて聞こえなくなった。その時、結局何と彼が言ったのか分からない。ただ、俺は彼が差し出してきた手を掴んだ。すると、彼は今まで見た中で一番良い笑顔を見せた。


『お前のその笑顔、今まで一番好きだな』

『そ、そう? それは多分、今が一番幸せだって感覚があるからかな』

『それは分かる。俺も、今これまでの人生の中で一番幸せな瞬間かもしれないなーって思ってる』


 お互いに顔を見合わせて笑うと、また俺のスマホが鳴り出した。さすがにこれ以上は不味いと思った。「それじゃあな!」と手を振ると、彼はちょっとだけ寂しそうに手を振り返してくれた。

 その姿が、俺が最後に見た霧矢の姿だった。


 それから高校に上がると、次第に俺の記憶から霧矢の存在は薄れていった。ただあの日に何を言っていたのかということだけが、心残りだった。ただそんな悩みも、今の二人との日常の楽しさの中に埋もれていった。せめて、スマホの電話番号ぐらい交換しておけば良かったなと今は後悔している。




 そんなことを考えていた日の朝、真夜中まで質問サイトを見ていたせいか、とても眠かった。しかし。今日は幸いにも休日だった。俺はもう一眠りしようかと思っていたが、亮太と相馬から一緒にデートにいかないかと頼まれた。三人のデートはもはやデートではないのかと思ったが、「狭間ちゃんも行こうよー!」と相馬からしつこく頼みこまれた。しかし、同じシェアハウスにいるからといって、お互いがお互いの趣味嗜好を強要されるべきではない。それぞれが譲り合って生きていけるのが一番なのだ。だから、俺は————


「————マジでバカなのか、俺は」

「突然自虐してどうしたのさ、狭間ちゃん?」

「そういう趣味に目覚めたのか? まぁ同じシェアハウスとはいえ、お互いがお互いの内心まで踏み込むのは良くないからな。俺はお前がそういう性癖を持っていても」

「ちげぇから! なんでお前らの楽しいデートに付き合っているのかと思って」


 二人は同時に顔を見合わせると、突然クスクスと笑いはじめた。不貞腐れる俺に「まぁまぁまぁ」と言いながら、俺を間に挟んで肩を組んでくる。


「別にデートだからといって、恋人と二人っきりである必要はないでしょ? まさか狭間ちゃんから横恋慕されるわけでもなし、狭間ちゃんの一人や二人や三人ぐらいいても邪魔じゃないって」

「狭間……お前、三人もいたのか。自分のドッペルゲンガーを培養しているのか?」

「どんなオーバーテクノロジーだよ!? 俺は三人も四人もいねぇし、今ここにいるプロトタイプである俺一人しかいねぇよ。……ったく」

「そうなのか……でもお前がプロトタイプである保証はないよな?」

「まさか、狭間ちゃん……正直に言っ———」

「いつまでこの茶番続けるんだ? ほら見えてきたぞ」


 二人の言葉を切るようにしてファミレスを指さす。本当ならば遊園地に行きたいと二人は言っていたのだが、俺に合わせてくれたらしい。「もう少し高級なレストランでも良かったんじゃねーの?」と相馬に聞いたが、「それは二人っきりの時に行くから」と断られた。そういう所はちゃっかりしているんだよな、相馬。見た目は中性的でふわふわしている人間なのに、内心では色々と考えてくれている。とても気の利くやつだと思う。普段の悪ノリは酷いが。


 ファミレスに入ると、俺は眠気覚ましも兼ねてコーヒーを頼むと言った。


「相変わらず、狭間ちゃんって外食しないよね」

「コーヒーさえあれば、それで人生は幸福だからな。キリストがパンと葡萄酒で多くの人間のお腹を満たしたのなら、俺はコーヒーだけで全人類のお腹を満たすことができるぜ」

「コーヒーなんて牛乳入れてカフェオレにしないと不味くない? あんな気持ち悪い飲み物、よく飲もうと思えるよね」

「おっ、コーヒーの悪口か? 受けてたつぜ」

「じゃあ、二対一だね。亮ちゃんは俺の味方だから」

「おま……お前もコーヒー好きじゃねーか、亮太!」

「好きだが、相馬への好きには勝るもではないからな。愛は万物にも勝るだ」

「亮ちゃん……っ!」


 争いを無視して、目の前でイチャイチャしはじめる二人に頭が痛くなる。もう無視をして店員さんを呼ぶブザーを鳴らした。


「あー! まだメニュー決めてないのに」

「知らん。時間は十分にあったのに、決められてない方が悪い」

「受けてたつぞ、狭間」

「お前はいつまでコーヒーの話を引き摺っているんだよ……」


 そうこうしている内に店員さんがやってきた。眼鏡をかけた、この中で一番身長の高い俺よりも高身長な男だ。180cmはあるのではないかという目算だが、座った状態のままだとさすがに完全な比較はできない。


 「お客様、それではご注文をお伺いします」と言われたので、まずは最優先であるコーヒーを頼む。それに相乗りして亮太もコーヒーを頼んだ。「裏切り者ー!」と軽口を叩く相馬はメロンソーダを注文すると、そのついでにトマトのピザとフライドポテトを注文する。「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」という言葉に返事すると、「それではごゆっくりどうぞ」と言って店員さんは笑顔で去っていく。意識するまでもない、ありふれた店員さんの動作である。それなのに俺はその店員さんの笑顔にドキッとした。


「どうかしたの、狭間ちゃん? 恋でもした?」

「いや……さっきの店員の顔、どこかで見たような気がするんだが。知らないか?」


 二人は顔を見合わせると、お互いに小首を傾げ合う。


「知らないな。俺は記憶力が良い方だと自負しているが、俺らのいた高校にはああいう顔の人間はいなかったはずだ。中学校時代の友人とかじゃないのか?」

「いや、中学時代の友人は……学校だとその、女の子と別れては付き合うを繰り返していたせいで、孤立しがちだったし……」

「だよねー。じゃあじゃあ、習い事先とかはどう? いなかったの、そういう友達」


 思い当たる節は露骨と言っていいほどにあった。プログラミング教室時代に一緒だった霧矢のことである。しかし、声も身長も記憶と全く一致しなかった。あの頃の霧矢は俺よりも身長が低く、声ももう少し可愛げがあった。面影のある顔と眼鏡をかけているという点だけは記憶にある彼と似ているような気がするが、絶対そうだと断言できるほどの確信が持てなかった。

 そうこうしている内に俺たちが頼んだものを運んでくる。偶然にも、さっきと同じ店員さんである。俺は「こちら、ご注文の珈琲と——」と話している声を聞きながら、彼の顔を見つめる。本当に霧矢と同一人物なのか。それとも、別人なのか。眉を顰めて睨んでいると、俺の視線に店員さんが気付いた。


「えっと……なにか?」

「いやその……なんだ……」

「店員さんって、うちの狭間ちゃんと知り合いなんですか?」

「あっ、おい相馬!」

「言わないと分からないでしょ。いつまでも睨んでいたら、狭間ちゃんの睨んだ顔って怖いんだし、ヤクザかと思われちゃうよ?」

「そうだぞ、狭間」


 俺の心臓はおかしくなりそうなぐらい緊張で高鳴っていた。俺が恐る恐る顔を上げて店員さんの顔を見ると、突然押し倒すような形で抱きしめられた。周囲の客が騒然としている中で抱きしめられていたので、さすがに恥ずかしかった。いつもの二人がニヤニヤとした顔で見つめてきているのに、咄嗟に「ちげぇから!」と否定したが、店員さんは……いや霧矢は昔と変わらない泣き顔を俺に向けてきた。


「本当に狭間くんなの? 本当に!?」

「あぁそうだ、狭間だ。だから……その……」

「恥ずかしいから退いてほしいってさー。”今はまだお前仕事中なんだから、俺との再会に泣くよりも仕事に集中しろ”って感じ?」

「そういうことだ。ここに狭間は置いていってやるから、とりあえず今は仕事をしてこい。辞めさせられても知らないぞ?」


 なんで勝手に置いていかれることになっているのかは分からないが、おおむね言いたいことは二人が代弁してくれた。その点はありがたく思った。

 霧矢は涙を拭うと俺の手を掴んで、「絶対待っていてね!」と言ってバックヤードに戻っていった。しばらくして周囲の喧騒も落ち着いてくると、俺はようやく一息ついた。目の前には、すっかり冷めてしまった珈琲。外食は電子レンジによる温め直しができないのが難点だ。そう思いつつも、珈琲を一口飲んだ。


「……やっぱりファミレスの珈琲は不味いな」

「そういうことは、せめてお店の外で言いなよ。だから、僕みたいにメロンソーダ頼めば良かったのに」

「そうだぞ、狭間。不味いものが不味いのは事実だが、それはからそう思えるんだ。自分で味わってないものをそれらしく話すのは、小説家みたいな嘘をつく仕事をする人間だけで十分だ」

「小説家に対して何らかの恨みでもあるのか?」

「ないが? ただ、相馬と付き合う前に付き合っていた元カレがちょっとアレな小説家だったのを思い出しただけだ」


 バリバリに恨みを持っているじゃねーかと思ったが、口に出すのはやめておいた。無駄に喧嘩の種は増やしたくない。それでも、亮太の「自分の舌で味わう」という表現が今の俺の心に響いていた。


 大好きな同性の二人が付き合うようになってから、俺は前よりも恋愛というものについて真面目に考えるようになったと思う。だから、今までは特に考えたこともなかった二人が日常的にしている「キス」というものに対しての見方が変わった。

 これは俺なりの考えだが、俺の感じる特別はあいつ……霧矢の青痣のある背中に触れさせてもらったあの夜に定義されたものなんだと思う。あいつとのあの温度が「特別」になった。だから、それに類似したもの、あるいは俺があの夜と同じものであると認識している行為が、俺にとっての「特別」であると感じられるのではないか。だから、多分。俺にとってのあの夜の霧矢の行為は、二人がやっているような「キス」と同じだったのだ、と思う。


「いらっしゃいませー! 三名様ですね? こちらへどうぞ!」


 遠くではまだ霧矢が接客をしている。俺はいつまで経っても飲み終わりそうにない不味い珈琲を飲みながら、その姿を頬を緩めて見つめていた。

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