出てきてよかった……のか?

 公園に着くと、まだ開始時刻になっていないのに酒盛りは既に始まっており、在校生のドンチャン騒ぎが繰り広げられていた。


 歳が足りなくて酒が飲めない新入生らが、それを目の当たりにして萎縮している様子も見受けられる。いったい何のためのコンパなのだろう。

 

 俺は人の輪に溶け込めなかった。


 これはいつものことだ。


 酒の席では、俺が他人と共有できる話題を持たない社会不適合者であることを痛感させられる。だからといって趣味・趣向を人に合わせるなんて馬鹿馬鹿しいと思ってるから、疎外感を感じて息を殺すように酒を盗むようにして飲み干していくのがやっとだ。

 

 まだ会場入りして20分ほどしか経過していないのに、帰りたくて仕方がない。だが、少しでも元を取らねばならないので、近くのクーラーボックスから高めの缶ビールをかっぱらった。


           *


 離れたベンチに腰掛けて缶のフタを開けた。ビールは嫌いではなく、むしろ甘ったるい酎ハイやカクテルの類よりいいと思っているが、このビールはぬるくて苦みだけが口の中に残り、口直しのツマミにビーフジャーキーでも頂戴しておくんだったと後悔した。


 酒を飲む気すら失せて手持ち無沙汰になり、ポケットの中のスマホを手に取る。


 明日の競馬の予想でもしようかと思ってサイトにアクセスし、画面を凝視していると、

玉椿たまつばき先輩、何をしているんですか?」

 と、誰かが耳元でささやいた。


 聴き馴染みのない声に背筋がぴんと伸びて振り返る。顔を見て判明したのだが、その声の主は2年の駒興紫苑こまおきしおんだった。

 女に興味などないと強がっていても意識してしまう美人だ。


 俺はとっさにスマホをスリープモードにしてポケットに突っ込もうとしたが、


「隠さなくてもいいじゃないですか」


 なんて言うものだからつい従ってしまい、俺は再びスマホを立ち上げた。


 駒興さんは俺の反応を愉しむような笑みを浮かべながら隣に腰掛け、画面を覗き込んだ。


「もしかして競馬ですか?」


 なぜ分かったのだろうか。馬柱うまばしらなんか見たところで、未経験者にそれが競馬に関するものだと分かるとは思えないが。


「ああ、まあね……」


 コミュ障丸出しの語彙力を欠いた返しである。


「ここでも競馬のことを考えているなんて、噂どおりの競馬狂けいばきょうですね」


「そうか……俺が君らからどんな風に見られてるか心配になったよ」


 後輩たちとは全く関わりがないのにどうして知られているのか。きっと陰口でも叩かれているに違いない。


「大丈夫ですよ。わたしは先輩のことを悪く思ったりしていません」


 仕草が一々かわいい。他に表現が思いつかない。


「まあ、競馬中毒者って言われても否定はしないがね」


「そんなに熱中するほど競馬って楽しいんですか?」


「楽しいよ。その楽しさを今すぐには語り尽くせないくらいだね」


 趣味の話をされて浮ついた気分になりそうなところだが、この会話そのものが社交辞令に違いない、と冷ややかに見ていた。


 彼女も競馬に対する興味なんか持ち合わせていなくて、あとちょっとくらい喋って俺が冷ややかな目で見られて終わるのだ、と決めつけていたのだが、


「先輩。もしよろしければ、競馬を教えてくれませんか?」


 と、駒興さんは予想外の発言をした。

 女っ気のない俺みたいな男が、とびきりの美人からこんなことを言われるなんて……JRAのCMでも有り得ない出来過ぎた話だ。


 しかし、それでも自らの趣味を布教したくなるのは「オタク」の性なのだろう。何か裏があるのではないかと身構えるよりも早く、


「明日も競馬見るし、実際にレース見ながら教えるのもいいかな」


 ついさっきまで『競馬を観るなら一人が良い』なんて考えていた男の言葉とは思えないことを口走っていた。


「はい! よろしくお願いします」


 ただ、教える前に動機が知りたい。『金が欲しいから』とか、『彼氏がやっているから』なんて理由で競馬を始めようとするのであればお断りだ。つまらんからな。


「駒興さんは競馬見たことあるの?」


 外堀から埋めていくようにして探りを入れてみるとしよう。


「はい、小さかった頃のことですが。馬主席にも入ったことがあります」


「マジで? 羨ましいよ。レースはどうだった?」


「全てを細かく覚えているわけじゃないんですけど、ピカピカした馬たちの躍動感と息遣いが競馬が終わった後も印象に残っていて……それから乗馬を始めちゃうくらい馬が好きになりました」


 駒興さんの口角が上がっている。


「いいねえ、気に入った! もし金のことしか考えていないようだったら断るところだったが、馬のことが好きでよかった……これは俺の持論なんだけど、競馬に利益以外で快楽を感じられないのであればそもそも競馬なんか始めるべきではないし、もしそうなったらさっさと足を洗うべきだ。ギャンブルなんだからそう易々と儲けられるわけじゃないから、そんな人たちが競馬をしていて人生を豊かにすることができるとは思えないからね」


 つい熱が入って長々と語ってしまったが、それでも駒興さんは肯きながら話を聞いていた。


「なるほど、先輩のお気持ちはよく分かりました」


 駒興さんは実に寛大な人だ。ペラペラとまくし立てる年上の面倒くさい男に対して、どんな反応をしたらいいのか困っただろうに……。


「ところで、大学の近くに競馬場ないですよね。先輩はいつもどうやって競馬を観ているんですか?」


「午後からならBSで平場ひらばも無料で見られるよ。まあ、ウチならグリーンチャンネルを契約してるから全部見られるけど。ああ、場外馬券売場WINSに行く手もあるけど、明日は皐月賞さつきしょうだから人多そうだし。どうしようか……」


「平場? ウインズ……?」


 駒興さんは首をかしげている。聞き慣れない単語を連発して困惑させてしまったから無理もない。


「まくし立てちゃってごめん。これからゆっくり教えていくよ」


 折角興味を持ってもらっているのに、ここで逃がすわけにはいかない。冷静にならねば。


「ところで、歳は大丈夫?」


 現役だった場合、誕生日によっては駒興さんに馬券を買う資格はないかもしれない。受験にトラウマを抱えている場合、歳を訊くのは傷口に塩を塗るような行為ではあるのだが、避けては通れぬ質問だ。


「大丈夫です。実は今日が誕生日で、無事に20歳になりました!」

「おお、それはめでたい!」

「ありがとうございます!」

 白い肌が紅くなって、照れくさそうにはにかむ。

 

 話しているうちはそうでもなかったのだが、落ち着いてくると周囲の目が気になってきた。人の群れがばらけてきており、こうしているところを見つかって茶々を入れられるのは目に見えている。


「あの、場所を変えてもうちょっとお話しませんか?」

 不安に思うのは駒興さんも同じだったらしい。

「そうだね。とりあえずここをを出ようか」


 飲みかけの酒をほったらかして、2人で公園を立ち去った。


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