最終レースの鬼(?)

 タイセイドリームやニホンピロバロン、マイネルプロンプトなどの強豪が次から次へと潰しにかかってきても、その馬はものともせず4コーナーを回った。


『最後のハードル障害へ。オジュウチョウサン先頭! 外からシンキングダンサー、踏み切ってジャンプーっ!』


 もう誰もには追いつけない。坂を駆け上がって後続を突き放す一方だ。


「うおおおおおオジュウすげえええええええええええええ!」

 と、声に出したいところだが、一軒家ではないので叫ぶわけにもいかず、興奮を腹の中に押し殺すようにがゴール板を通過するのを見届けた。


 ライバルのアップトゥデイトの戦線離脱により、このレースはつまらないものになるのではないか、と俺は考えていたのだが、実に見応えがある競走になった。厳しいレース展開になっても迫り来るライバルをみんな返り討ちにしたことで、オジュウチョウサンは自らが正真正銘の王者であることを印象づけたのだ。



 ところで、オジュウチョウサンが負けない限り、このレースに馬券的な妙味は皆無であった。利益を出すならば買い目をできる限り減らしてドカンと賭けるより他はない。そう考えて買った俺の馬券――オジュウとタイセイドリームの馬連うまれん――は(ネットで買ったので適切な表現ではないかもしれないが)紙屑と化したものの、それが些末なことに思えるほどの良いレースだった。


 しかし、馬券を外してしまったからには現実に向き合わなければならない時は必ずやってくる。それは最終レースの時間、すなわち負けた金を取り返すラストチャンスだ。


 今日は5000円くらいだろうか……よく耐えた方だと思うが負けは負けだ。これは学生の身分では中山グランドジャンプの観戦料だ、などと誤魔化せる金額ではない。



 俺の馬券スタイルは基本的にワイド主体で、中穴を4頭ボックスで買うことが多い。高配当が予想でき、かつ3着以内に入りうる馬が絞りきれないときは5頭買うこともある。最近は3連単にも手を出すようになってしまった。


 だが、どんな券種にするにせよ1レースの購入金額が2000円を上回ることは滅多にない。学生にはこれくらいがちょうどいいのではないかと思っているが、これ以上の馬券を買っていたら破産しかねない。


      ***********


 買い方の話はとりあえず置いておく。兎にも角にも買う馬を決めなければ話が進まない。


 メインレースまで終わった時点では、阪神競馬場のレースは全く当たっていなかったため、ここで勝負することを本能が拒否していた。また福島についてはよくわからないコースだという苦手意識がある。

 したがって、今日の最終レースは中山に絞ることにした。


※これからこの物語はJRAの公式サイトとかnetkeibaなんかで馬柱等のデータを各自で調べて参考にしてください。多分その方が読みやすいです。


 今日の中山の最終レースはダート1800メートル戦である。俺はダート戦の方が得意なので、これは実にありがたいことだ。


 ここで買うとしたら13番、8番、11番、2番あたりだろうか。中山のダート1800メートルでそれなりに結果を出せていて、あまり人気がない馬たちだ。

 あとは……14番のレピアーウィットが気になる。前走から2ハロン(400メートル)延長で、しかも中山での実績はないのだが、アジアエクスプレスの弟だから何となくこなせそうな気もする。


 こうやって思考を巡らせていると頭がこんがらがってくる。悩んでいる時間が楽しいのだが、負けが込むとヒリヒリしてくる。そういう時こそ冷静な判断をしなければならないのだが、切羽詰まって修正するとだいたい裏目に出るものだ。


 結局、締め切り5分前になって直感を信じて思考を放棄し、14番も含めたワイドで1000円分の馬券を購入した。

            

     ***********   


 結果的には14番を買い足しておいて正解だった。8番・14番のワイドは7000円弱の払い戻しで、今日の負けはほぼチャラになった。


 これがワイドの威力だ。配当は落ちるが穴馬でも絡め取るように拾えるのだ。


      ******


 愉悦に浸りながら競馬中継のエンディングを見届けると近所の公園に嫌々ながらも向かった。新入生歓迎コンパに出るためだ。


 ハッキリ言って、俺はコンパだの飲み会だのそういった集まりは苦手である。先輩が入ってくるものは最悪だと思う。今日は気分がいいのでマシではあるけれど、会費として1000円徴収されていることを思うと、重たい足を引きずってでも回収しに行かねばなるまい。


      ***********  


 凶悪犯が籠もるビルに人質を救いに向かうような気分で歩を進めていると、


俊英としひで、今日の競馬はどうよ?」

 俺の気分をいっそう害するほどの快活な声がした。


北国きたぐにか。ダメだったよ。阪神なんか一つも当たらなかったし」

 この返答は嘘とホントが半々である。他人には――特に競馬について理解が深くない者に対しては――当たったときにはタカられないように「ダメだった」と言い、負けたときは心配させないように「トントンだった」とか「ちょっと負けた」などの言葉を使い分けるのだ。


「またか。お前も物好きな奴だな、他に金の遣い道はないのか?」


 この後何を言われるのか分かりきってはいたが、「ないね」と言い放った。


「彼女作れよ。4年にもなって女子と付き合ったことがないのはお前くらいだぞ」


 ほらきた。陽キャけんじょうしゃは簡単に言ってくれるぜ。


「……儲かる牝馬ひんばを探す方が面白い。人間はめんどくせえ」


 大学生は頭の中がピンク色している奴ばっかりで反吐が出そうだ。大学生に限ったことでもないか。人間辞めたくなる。


 まあまあ毒を帯びた口調だったが、北国は心が広い奴なので、このくらいの憎まれ口はスルーする。


「そう言うなって。合コンがあったら紹介してやるからよ。競馬好きが見つかるかもしれないぜ。もしかしたら新入生の中にもんじゃないか? なにせウチは獣医学科だからな」


 出たことないけど合コンとかそういう集まりは苦手だ。どうせ俺みたいなのに出る幕はない。

 それに、お前らと違って俺は競馬のおかげでリアルが充実しているのだから上から目線で見下さないでもらいたいね。言い訳ととられても仕方ない主張だと自覚しているが、一応満足しているんだからほっといてほしいものだ。


「……獣医で大動物志望がどれだけいたよ。そんな物好きな女なんかいやしねえよ」


「ま、彼女がいなくても馬券を外しても気を落とすな。生きてたら良いこともあるさ。またGⅠがあるときは一緒に競馬行こうぜ」


 自殺志願者に向けてこういう励まし方をしたら逆効果だろうな、と思う。


「……そうだな」


 北国は悪い奴ではないのだが、恋愛談義を始め出すと、いちいち癇に障ることを言いやがる。加えて、こいつと一緒に競馬を見に行って馬券が当たった例しがない。


 競馬は独りで行きたいんだよ。


 そうこうしているうちに、会場となる公園の入口にたどり着いたのだが、ここからがまた長い。というのも、小山の頂上が公園になっており、優に百段はあろうかと思われる階段を上っていく必要があるのだ。


 俺の足どりは重くなる一方である。これから発情した猿の群れに突撃するようなものだからな。





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