婚約破棄を要求されましたが、俺に婚約者はいませんよ?

紅葉ももな

第1話

「レオ・フロマージュ様!貴方に婚約破棄を要求致します!」


「はい?」


 背後から響いた声の主を振り返えれば、一人のご令嬢が涙を浮かべてこちらを睨み付けていた。


 あっ、どうも。はじめましてこんにちは、俺はアラノ・フロマージュと申します。


 フロマージュ侯爵家の次男坊です。

 ちなみにレオ・フロマージュは俺の双子の兄に当たります。

 長年過ごした留学先から呼び戻されて帰国し、今日は転入届けを学園へ提出するためにやって来たんですが……。


「あの~「私もう我慢がなりませんわ!婚約者である私がありながら、男とみれば節操なく尾を振るアバズレ女の肩をもつなんて!」」


 激昂して俺の話をぶったぎる彼女は、口振りからして多分兄の婚約者リリー・ブランシェット公爵令嬢だったかと思います。


 俺が留学中にブランシェット公爵家の御令嬢と婚約したと聞いては居ましたが……、目の前に女神がおる。


 キラキラと陽の光を浴びて輝くプラチナブロンドの髪を振り乱し、スカイブルーの瞳でこちらを睨む彼女。涙を堪えているのか潤んだ瞳が可愛い。


「もしもし?「触らないで!穢らわしい!」」 


 伸ばした手を勢い良く払われてしまった。


 はぁ、レオのやつ一体何をしてんだよ。公爵令嬢として誰よりも自戒を求められる事を教え込まれているはずの彼女がここまで激情に駆られるとかマジで何やった?


 うちより領地も財産も上位の公爵令嬢を泣かせるとか何考えてんだ?フロマージュ侯爵家潰したいのか!?


 しかも愛らしい女神を泣かせるとかあり得ないだろう。


 暫くあっていないレオの考えがさっぱりわからない。双子なのに……。


「ブランシェット様?はじめまして、アラノ・フロマージュと申します。貴方の婚約者であるレオ・フロマージュの弟です。よければ使ってください。」 


「えっ、嘘!彼に弟が居るなんて話聞いたこと……、あっ!」


 いやぁ、嘘と言われてもねぇ、直ぐに何かを思い出してくれたのか口許に手を当てて驚いている。泣き腫らした顔が痛々しく見てられなくてハンカチを手渡した。


「あー、とりあえずお茶でも一緒にいかがですか?」


 立ち話もなんですし、とお茶に誘えばまだレオだと疑ってはいるものの渋々頷いてくれた。


 お茶にと誘ったものの、内容が内容だ。未婚の男女が密室では色々と後々問題となっても不味いため、学園に併設されたカフェスペースへとやって来た。


 ガーデンテラスは薔薇の蔓が絡み付いた格子状に組み上げられた衝立が目隠しとなり席が半個室となるように作られているため、利用する生徒も多いようだった。


 リリー様は俺の対応がレオとあまりに正反対のため、俺がレオではないと納得してくれた後、人違いでしてしまった婚約破棄の要求を顔を熟れたイチゴのように真っ赤にして謝罪してくれた。


 まぁ実の母親すらたまに俺とレオを間違うからな。しかも、留学してたからかもしくは同じ顔だからか、家族にすら忘れられてる可能性が否定できない。


 リリー様は幾分か落ち着かれた様子で運ばれてきた何層にも生地を重ね合わせたケーキを幸せそうに顔を綻ばせて上品に食べている。


 洗練された所作と美しいリリー様につい見とれていれば、こちらの視線に気が付いたのか恥ずかしそうに慌てている。


 やっべ、何この子可愛すぎ。くるくる動く表情はまるで小動物のような可愛さで萌える。


 うーん、惜しい……レオの婚約者なんだよなこの娘。


「あっ、あの、フロマージュ様……」


「アラノって呼んで?」


「えっ、フロ「ア・ラ・ノ」アラノ様?」


 小さな紅い唇から自分の名前を聞きたくて呼び名を無理矢理変更させる。


「ありがとうございます。リリー様。」


 嬉しさのあまりファーストネームで呼べばボンッ!と音がしそうなほどに赤面して狼狽えている。


 それからお茶がすっかり冷めてしまうまでリリー様の話を聞いた。


 なんでも今年庶民上がりの男爵令嬢が入学してきたそうだが、マナー等を学んできた様子がなく、屈託なく高位貴族の子息やあろうことか畏れ多くも第二王子のアーサー殿下にまで愛想を振り撒き、現在多くの男子生徒を次々と籠絡しているらしい。


 リリー様は公爵令嬢だが、お母上が現国王陛下の妹君なため、血統が濃くなりすぎるという理由から同じ年の王子殿下ではなく、爵位は一つ下だが、財力のあるフロマージュ侯爵家のレオと婚約した。


 男爵令嬢に熱をあげている複数の生徒は家が決めた婚約者がいるわけで、アーサー殿下にももちろん婚約者がいる。


 確か侯爵家の令嬢で、仲は良好だったはずだが、男爵令嬢が現れてからはあまり芳しくないようだ。


 一つ年上のアーサー殿下と男爵令嬢が、卒業を記念するパーティーへ揃って出席する意向を示したらしく、婚約者である侯爵令嬢のラステル様を支持する者たちの間で騒ぎになっているらしい。


 しかもアーサー殿下の戯れ言に感化された令息達が、次々と婚約者に婚約破棄を自分の婚約者へ告げているらしい。


 あほか。


 そんな中、レオへの日頃の不平不満が溜まりに溜まり、そこへ卒業パーティーでアーサー殿下とレオが自分の婚約者へ婚約破棄を告げるとの噂を聞きつけたリリー様が『捨てられるくらいなら捨ててやる!』と奮起し、今回の突撃での婚約破棄要求を決意したそうだ。


 はぁ、聞いているうちに頭痛がしてきた。一体何を考えているんだあの馬鹿は。


「わかりました、リリー様のお気持ちと現状は私から父に報告いたします。レオとの婚約破棄については後日改めてリリー様のお父上と父上とでご相談させていただきます。」


「お願いいたします……。」  


「ところで、リリー様はお慕いしている方がいるのですか?」


「いえ、おりませんわ。私はずっとレオ様と結婚するものだと思っておりましたので。」


 フルフルと首を横に振って否定する姿も可愛い。


 ついつい抱き締めたくなる衝動を抑え込みリリー様の真っ白ですべらかな右手を掴むと、その指先に口付けた。


「アラノ様!?」


 その後リリー様を寮まで送り届けると、その足で、アーサー王子殿下への帰国の挨拶とレオに話を聞くために、殿下の執務室をたずねた。


「おう、お帰り!久しぶりだな。」


 俺の姿を見て、長いソファーに座ったひらりと手を挙げて出迎えてくれた殿下の隣には図々しくも見慣れないピンクブロンドの女子生徒が座っており、自然と怪訝な視線になってしまった。


 ここはアーサー殿下の執務室だ。勉学中でも執務は有るため、この部屋には機密となる重要な書類もあるのだ。


 軽々しく部外者をいれてよい部屋ではないし、王子殿下を補佐するはずの令息たちも少女を取り囲み懸命に彼女の気を引こうとしているようだった。


 俺は足元に散らばっている書類を拾い集めて角を揃えてテーブルの上へ置くと、そこは書類の山だった。


 一体いつからこの状態なのか?なぜこんなになっているのに誰も忠言しない?


「殿下、無事帰国致しました。ところで、そちらのご令嬢はどなたですか?」 

 

 つとめて平静を装い問えば、アーサー殿下は少女を抱き寄せて所有権を誇示するように少女の柔らかそうな薄紅の頬に唇を寄せる。


「アラノ、紹介しよう彼女はシャーラ。マイヤー男爵家の令嬢で俺の未来の正妃だ。」


「男爵令嬢……殿下のご婚約者はラステル様だったと記憶しておりましたが、シャーラ嬢がお妃様ですか?」


 訝しむ俺をよそに他の令息達が王族にたいして異議を唱える。内容は皆同じ、シャーラ嬢は自分の愛する少女だといって所有権を主張する。


 王子の思い人に、声高に自分の方が愛していると言っている令息たちにも理解に苦しむが、それを容認しているアーサー殿下の姿も異様だった。


「レオ、先程リリー様に逢いました。」


 シャーラ嬢に纏わり付く兄の情けない姿に、リリー様の泣き腫らした顔がちらつき、拳を握り締める。


「リリー様に?そうですか、一体どうしてました彼女?学園へ戻ってきたばかりのアラノは知らないかも知れないがあの女は悪女だ。自分よりも才能に溢れたシャーラに嫉妬し、下劣な嫌がらせを続けているんだからな。」


 心底うんざりしたような声で発せられた言葉、レオは一体彼女の何を見たと言うのだろう。


 少しだけしか話すことが出来なかったが、リリー様が悪女?


「アラノ様!私シャーラ!はじめまして!本当にレオとそっくりね!ねぇ並んで並んで!ねぇってば!」


 いつのまにか側にやって来たシャーラ嬢が右腕にしがみついてきた。自分よりも上位の子息を呼び捨てにしている事実に驚愕を覚える。


 互いを呼び捨てにするほどの関係があるのだろうか、シャーラ嬢は豊満な柔らかい胸を押し付けてぐいぐいと強引にレオの隣へと引っ張ろうとする。


 夫でもない異性に淑女がとるべきでないと始めに誰もが教えられる事を、この少女は意に介さず躊躇いなく実行する。


「シャーラ嬢、腕を放してただきたい。ご令嬢がむやみやたらに男性に触るなど要らぬ誤解を招きます。」


「もう!アラノ様のケチ!良いじゃない少しくらい。ねぇアーサー?」


「そうだなアラノは真面目すぎるんだ。シャーラは俺と居ろ。」


 王族すら呼び捨てにする恐れ知らずな令嬢をアーサー殿下は腕を引っ張り自分の腕の中へと抱き込んだ。


「もう!アーサーったら強引なんだからん。そんなところも素敵!」


 アーサー殿下の首に腕を回して飛び付くシャーラ嬢と、嫉妬に顔を歪めてそれを引き離そうと躍起になるレオの姿に、一緒に国王陛下や王族の方々を支え、よりよい国を造ろうと話しあった二人はもう居ないんだとわかった。


 留学中に新しい技術があれば積極的に学び、職人と友誼を結び帰国の際に同行してくれるように尽力した日々は何だったのだろうか?


「アラノ、どうかしたか。異国の話を聞かせてくれ。」


「きゃー!聞きたい聞きたい!私国から出たことないのぉ~!ねぇ連れていってアーサー?レーオー?ヨハン~!」


 黙り込んだ俺を不審に思ったのだろう……いや、俺がいることを思い出しただけかもしれないが、シャーラ嬢の声が耳障りだった。


「申し訳ございません、長旅ゆえまだ疲れているようで今日は休ませていただきたいと考えております。」


「そうか、引き留めて悪かったな。ゆっくりと休んでくれ。」


 執務室を出る間際、アーサー殿下とレオに問うた。


「二人は卒業パーティーを誰と過ごされるのですか?」


「「シャーラだ。」」


 俺は扉を閉めると同時に、見切りをつけた。

 

 それから卒業パーティー当日まで、嵐のような忙しさだった。


 婚約破棄を叩きつけられたご令嬢と、シャーラ嬢に骨抜きにされている令息の両家のフォローと、シャーラ嬢の素行調査。留学中に得た知識や情報の報告やリリー様やラステル様の無実の証明。やらなければならないことが山積していた。


 シャーラ嬢の素行調査は、出るわ出るわ。男爵家に引き取られる前のあまりの素行悪さに呆れ果てた。


 マイヤー男爵家に引き取られる前から、売春や美人局は当たり前、苛めの自作自演やアーサー殿下やレオに貢がせた金額も相当だった。


 いくら庶子だとしても良くこんな娘を引き取ったものだ。


 いや、見事に高位貴族の嫡子ばかりを狙って籠絡している手腕を考えれば、ハニートラップとしての彼女の才能は計り知れないのかもしれない。


 そんなある日俺は王城の一室に秘密裏に招かれていた。


「アラノ殿、良く来たな。アーサーのことで話を聞きたくてな。」


 国王陛下は俺が調べ得た結果を目を瞑り只静かに聞いていた。


「そうか……、卒業パーティーでもしアーサーがラステル嬢との婚約を破棄するようなら……。」


 俺はこの国を背負う男の下した決断に頷いた。


 この召還で水面下で行われてきた沢山の家を巻き込んだ交渉は一気に加速していった。


 中には我が子が可愛くて、息子を改心させようと苦言した親も居たようだが、残念ながら効き目は今一つだったようだ。


 そして今日俺は父と一緒にブランシェット公爵家に来ている。


 用件は勿論両家の婚約についてだ。


 リリー様との約束は勿論守らなければならないし、ここが本懐正念場だ。


 この交渉が崩れれば俺の努力は泡と消える。


 そんなことに絶対にさせるか。レオの不幸を願うような形になってしまうのはいささか不本意だが、レオとリリー様の婚約破棄は同時に俺の幸せに直結するんだから仕方がない。


 嫌なら俺が付け入る隙を作らなければ良かっただけだから。


 リリー様のお父上はこの国でも有数の実権を握って居る。きっと彼にかかればフロマージュ侯爵家など一捻りでプチっと潰される。


 今回は只でさえレオの馬鹿のせいでフロマージュ侯爵家はブランシェット公爵家に泥を塗った形なのだから。

 事前に約束を取ってからの訪問だが、はっきり言ってこの約束が取れたことすら奇跡だ。


 卑怯かと思ったが、リリー様に助力頂いたお陰が大きい。


 リリー様とはあれから何度か文のやり取りをしている。


 他愛ない内容ではあったが、無理を為さりませんようにとの言葉が添えられている手紙からは彼女が纏う香水の香りがした。


 応接室に通されると、暫くしてリリー様を伴ったブランシェット公爵閣下が部屋へとやって来た。


 挨拶もそこそこに父様は公爵閣下へ最上級の謝罪を示すため、床に伏せた。


 相手に急所となる首の後ろを晒すこの謝罪は滅多に見ない謝罪方法だ。

 命をかけて謝罪するとの意思の現れなのだから。


「この度は愚息レオがリリー様への不誠実な対応をしたこと謝罪のしようも御座いません!」


 父と共に頭を下げれば、暫くしてため息と共にブランシェット閣下から頭を上げるようにと申し出があった。


 父と閣下が話し合う間も気が付けばリリー様にばかり視線が行ってしまう。


 リリー様もソワソワと落ち着きなくこちらに視線をくれるし、視線が合い微笑みを向ければ慌てて逸らす。


 そんな姿も可愛くてつい頬が弛みかけて、父様がこれ見よがしにした咳で自らを律する。


 駄目だ駄目だ!今日は謝罪に来たのに!


 そんな俺達の様子に公爵は渋い顔をしていたが、溜め息を吐き後ろに控えていたリリー様に声をかけた。


「リリー、アラノ殿に我が家の庭園を案内して差し上げろ。そんな桃色の空気を撒き散らされては気が散って話し合いにならん。」


「えっ、でも……よろしいのですか?」


「あぁ構わん。アラノ殿、宜しいか?」


「はい閣下。リリー様をお借りいたします。」


 胸元に手を当てて閣下に退出の挨拶をする。


 リリー様に手を伸ばせば戸惑ったような様子を見せた後、その美しい手を軽く乗せてくれた。


 俺たちは退室した後、リリー様に導かれて案内された庭園は薔薇が咲き誇る美しい庭だった。


「リリー様、本日はフロマージュ侯爵家のためにご助力頂きましてありがとうございました。」


「いえ、こちらこそ色々と私達のために働き掛けて頂いていると友人と話しておりましたから。少しでもアラノ様のお力になりたかったのです。」


 いつも貴族の子息令嬢の手本となるように凛とした姿は誇り高く咲き誇る気高き白百合のようだが、今目の前で頬を染める姿がいじらしく、リリー様の頬に伸ばしかけた手を理性を総動員して止める。


 あっ、あぶねぇ、危うくレオの二の舞になるところだった。


 俺は紳士、俺は紳士、俺は紳士!今手を出せばブランシェット公爵にリリー様の婚約者にしていただくどころか、息の根を止められかねない。


 正式な婚約者になれれば、夜会に茶会と公式の場で堂々と彼女の隣に並べるのだから、我慢だ俺!俺は紳士!


 その日はそのまま暫く散策を楽しみ、リリー様の名残惜しげな瞳を心の糧にして明日からの活力源にさせてもらった。


 その後何度かブランシェット公爵様のお許しを頂き、リリー様との会瀬を重ねた結果、ブランシェット公爵からリリー様との婚約のお許しを得た。


 家同士の婚約は受理されたも同じだが、俺は全てが終わったら自分でリリー様に婚約を申し込みたいと思っている。


 浮ついた心に弛む頬を引き締めるべく両手で叩く。


 すべては今日この日のためにあったのだ。失敗は許されない!


 卒業式典を見ながら俺はレオを、そしてアーサー殿下に視線を向ける。


 事前に得ていた情報が正しければ、婚約破棄は、卒業を祝うパーティーの席でおこなわれるはずだ。


 安全のためにリリー様には公爵家で待機して貰っている。


 さっさとこんな茶番劇を終わらせてリリー様に大きな薔薇の花束を届けに行くんだ。


 学園の卒業式典は滞りなく進み、卒業生と在校生、卒業生の親達が多く集まる中、生徒達は色とりどりのロングドレスを纏い、華やかなパーティーが佳境へ入ると、それは情報通り前触れなく唐突に始まった。


「本日は卒業おめでとう!聞いてくれ!俺はこの国の第二王子アーサーだ。今日この場を借りてラステル・シルベスター侯爵令嬢との婚約破棄をここに宣言する!」


 そうしてレオに拘束されたラステル様が会場に設置された雛壇に引き出され、多くの観衆の見守る中で断罪は始まった。


 ラステル様は抵抗することなくアーサー殿下とシャーラ嬢、そして他の令息達の前へ出された。


 断罪内容は概ね予想通り、シャーラ嬢への度重なる私物破損を含む嫌がらせと罵詈雑言。そして階段からシャーラ嬢を突き落とし怪我を負わせたと言うものだった。


 シャーラ嬢はこの断罪の後、アーサー殿下との婚約発表が有るため、美しい装飾が施されたドレスをその身に纏い取り巻きの伯爵令息に凭れかかっている。


 罪状と証人を一通り告げて、抵抗するそぶりのないラステル様を見下すと、一際大きな声で宣言を始めた。


「これらの証拠からも犯人はラステルお前だと示している!これをもってラステル・シルベスターとの婚約を破棄し、シャーラを我が妃に迎える!」


 あまりの展開に静まり返る会場内から一人の男性が手をゆっくりと叩きながらアーサー殿下の前に進み出た。


 俺は青年の斜め後ろから付き従い歩を進める。


「いやぁ見事見事。実に下らない演出だったよ、アーサー。」


「ロアーク兄上!貴方がなぜ学園にいるのですか?」


 この国の第二王子アーサー殿下を呼び捨てにした彼は、この国の王太子ロアーク・レサルス殿下。


「私は陛下の名代だよ。」


 ロアーク殿下が告げると会場にいた者達が一斉に頭を下げた。


「国王陛下からのお言葉をここで伝えよう……。第二王子アーサー・レサルスとラステル・シルベスター侯爵令嬢との婚約破棄を正式に認め……今よりアーサー・レサルスが王族から外れることをここに宣言する!」


「なっ!?ロアーク兄上!これは一体なんの冗談ですか!除籍など急にもほどがある!」


「急?陛下は何度も日々の態度を改めるようにと人を介して伝えていたはずだ。もちろんそちらのラステル嬢もな。私は国王陛下の御意志をこの場にいる者たちへ伝えるためにここへ来た。それに……。」


 ロアーク殿下は壇上にいる彼等を鼻で笑い飛ばすと、ラステル・シルベスター様の前に膝を折り、右手の爪先を優しく掴むと口付けを落とした。


 事前にアーサー元殿下との婚約が破棄されることはラステル様と打ち合わせ済みだったし、助けが入ることも告げてあった。


 だからって助けが王太子だとは思っていなかったのだろう。絶対に婚約破棄されたことよりもロアーク殿下が自分の指先に口付けを落とした事実に衝撃を受けてるよ。


「ラステル嬢、貴女の婚約が正式に破棄された今、私はやっと貴女に長年告げることが許されなかった思いを伝えられる……お慕いしています。私の正妃になっていただけませんか?けして貴女を哀しませることはないと神と国民に誓いましょう。」

 

「……はい……。私で宜しければ、ロアーク殿下を支えられるように精進いたします……。」


「な!?」


 自分が婚約破棄した女への兄、王太子の突然の求婚に驚きの声を上げた。


「そんなに意外だったか?アーサー、今この国に国王の妃を勤めあげる実力を伴う女性が一体どれだけいるか知っているか……?」


「国王の心を支えるのが妃の役目だ。その為に俺はシャーラを選んだんだ。ラステルは俺を逆撫でする!休まることはない!」


 状況についていけず首をかしげながらも、違う男にすり寄り甘えたような声で説明を求めるシャーラ嬢に、この王族の妃が勤まるとは誰も思えない。


「王族の妃に求められるものは癒しではない。長く険しい終わりない修羅の道を国王を支え共に戦う覚悟だ。たとえそれが滅びに向かう道ならば国王を諌め、国が滅ぶ時には王族と共に追従する覚悟だ。シャーラ嬢にその覚悟があるか?」


 ロアーク殿下の鋭い視線は、吹けば飛んでいきそうな雰囲気を振り撒くシャーラ嬢に据えられていた。


 そう現に今この時すらシャーラ嬢はふわふわと綿毛のように男たちの合間をたゆたっている。


「私の婚約者だった女にはその覚悟があると言うのですか?」


 鼻で笑うアーサー元殿下を見据えてロアーク殿下は静かに告げた。


「あぁ、私の婚約者だったマリアが亡くなった今、この国で王妃の器はラステル嬢だけだ。」


 ロアーク殿下の婚約者マリア・グレック公爵令嬢は昨年の春に病で命を落としたと聞いた。

 

「はっ!自分の婚約者の代わりていう訳ですか。」 


「ふっ、そうとられても仕方がないだろうが、マリアを喪った俺が今、こうしてまだ王太子の座に居られるのは、家臣やラステル嬢の支えがあったお陰だ。」


「ロアーク殿下……。」


 気遣わしげに、ラステル様がロアーク殿下の前でドレスの裾を摘まみ、深々と王族への礼をとる。 


「先程までなぜロアーク殿下が私のような捨てられた女を必要として下さるのか疑問でしたが、ようやくわかりました。慎んでロアーク殿下との婚約をお受けいたします。」


「ありがとう。この場をもってロアーク・レサルスとラステル・シルベスターとの婚約を正式に発表する。またアーサー・レサルスは王族から除籍となり、王妃陛下の実家であるアスピリン伯爵家に養子に入った。伯爵家から持参金を持ってシャーラ・マイヤー男爵家に婿入りとなる。」 


「え~!アーサー王子さまじゃなくなるの?なら私レオと結婚するぅ~!」


 あまりの展開にざわめく周囲を他所に不満げな声が響いた。 


 ロアーク殿下は先程から王意だと告げているのだから、それは王に反意を示したようなものだ。


 それがわかっているのか、シャーラ嬢の保護者であるマイヤー男爵の顔色が頗る悪い。


「なっ!?シャーラ!それはどういうことだ!」


「えー、だってぇ~。アーサーは王子さまじゃないなら只のわがままな暴君なんだもん。私嫌よ。ロアークさまぁー!いいでしょ?ねえねぇ!」


 あまりの変わり身の早さに絶句するアーサー殿下。


 ロアーク殿下が無表情でリリーいわくアバズレ女らしいシャーラ嬢の行動をつぶさに観察している。


 陛下の名代に対してこの態度、ロアーク殿下がマイヤー男爵とご夫人に笑みを向ける。

 

「どうやらマイヤー男爵家はとことん我が王家を愚弄したいらしいな……?」


「ヒイィ!シャ、シャーラ!いい加減にしないか!?」


 あまりの展開に気を失ったマイヤー男爵夫人をその場に残して娘の側に来ると男爵はレオにしがみつき甘えるシャーラ嬢を必死に引きはなそうとしている。 


「イヤよ!だって父様が~アーサーと仲良くなれば贅沢三昧出来るって言ったんじゃない。私頑張ったのにぃ!なんで怒られなくちゃいけないのぉ?」


 両頬をリスのように膨らませて不満だと訴えるシャーラ嬢の発言に男爵は急いで口を手で塞いだ。


 シャーラ嬢の発言でこの馬鹿げた婚約破棄はマイヤー男爵家が引き起こしたと証言したようなものだ。


 それを今のやり取りで察せぬ貴族はこの場には居ない。


「マイヤー男爵、反逆罪で追って国王陛下から沙汰があるだろう。」


 ロアーク殿下の言葉にマイヤー男爵がその場に座り込みウワァァー!と声をあげて頭を抱え込んだ。


 いまだに状況を察していないのか、この予定外の状況に呆然とするレオの腕にしがみつき甘えるシャーラ嬢の姿に、俺はロアーク殿下の許可をいただき対峙した。


 黙って同じ格好をすれば親ですら見間違うだろうほどに似通ったレオを見据える。


 まるでもう一人の自分の姿を見せられているようだった。


「レオ・フロマージュ及び、今回アーサー・レサルス、いやアーサー・“マイヤー”と共に騒ぎを起こしたレイモンド・キース、ヨハン・ブロム、グレック・ローブは各当主から陛下へ廃嫡の許可が上がっており、昨日付けで受理された。それに伴い次男以下養子の者が新に嫡子として陛下へ報告されこれを受け入れられた。またそれぞれの婚約者も、両家、両者の合意の上で新たな嫡子の婚約者となることが既に決定している。」


 そう、俺はこの為に粉骨砕身してきたと言っても過言ではない。


 両者混乱の中で卒業パーティーは幕を閉じた。


 愛しのリリー様、ここまで来るまでに色々と問題があったけれど、これで俺は堂々と貴女の隣に立つことができます。


 抱えるほどの美しい深紅の薔薇を腕に抱いてブランシェット公爵家の門を潜る。


 知らせを聞いて待っていてくれたのか屋敷の前でリリー様が出迎えてくれた。


 俺はリリーの前に跪き薔薇の花束を差し出した。


「俺と!結婚してください!」


 あれ?


******


「旦那様!旦那様!奥さまが無事にご出産されました!母子ともにご無事でお産まれになられたのは元気な男のお子様です。」


 それから数年後、フロマージュ侯爵家に響き渡った家令の声に屋敷が喜びに包まれた。


 廃嫡されたレオは今、フロマージュ領内の田舎町で、次男以下の若者を集めて領内の治安維持に貢献している。


 もともとの女好きもたたってか、市井に下りてからも暫く浮き名を流しては刺されたりしていたが、今年に入って平民の鬼嫁に捕まったらしい。


 余所見をすれば耳を引っ張られたり、包丁を持った嫁に村中を追い掛け廻されたりしているが、それすらも嫁に構って欲しいが故の行動だろう。

 

 もうすぐ子供が産まれる事もあり、父に相談して領地の一部を任せる許可を陛下からいただく予定だ。


 マイヤー男爵は反逆罪で家宅捜索が入り、脱税や過剰な徴税が明るみになり、爵位が没収された。


 本来ならば、反逆罪だけでも処刑になるほどの大罪だが、既に王命でアーサー殿、アーサーの婿入りを宣言していたため、恩赦を賜り爵位、私財の没収で済ませた。


 アーサーはシャーラ嬢共々市井に下ったが、シャーラ嬢の“嫌だ”発言が効いたのか、たちまち離縁し暫く酒に溺れたようだった。


 マイヤー元男爵家はまたたく間に離散し、アーサーが個人に与えられた下賜金は没収されずに済んだが、金銭感覚などあるはずもなく、まるで湯水のように使い果たした。


 どうやらかなりの額を王家の家名を無断で乱用し借金もしていたらしく、困り果てた商人から王城に知らせが入り事態が発覚した。

 

 普通に幽閉するかという話も出たが、幽閉では生温く再犯の恐れが高いこともあり、自分で借金を払い終わるまでの期限つきで強制労働となった。


 労働先は監視つきで国境の防衛の要となっているクラン砦。近くの村まで馬車で二日かかるためまぁ幽閉と変わりはない。


 アーサーはクラン砦で借金が払い終わるまで働くわけだが、クラン砦の長官がヤバイ。


 大変優秀で容姿に優れた美丈夫だが、女性に興味を持たれない方なのだ。


 しかも美しい男性に目がない。少年から青年へ移行する年頃など大好物らしい。


 俺も昔尻を撫でられて飛び上がったことがあるからな。


 そこはある意味で男達の楽園として有名な砦だ。はっきり言おう!俺は絶対に行きたくない。


 一部の熱狂的な貴腐人には、夢のような楽園だが、入れられる方はたまったものじゃないだろう。


 再教育と不要に女性を寄せ付けないためとは言え、容赦なくアーサーを生け贄に放り込んだロアーク殿下と国王陛下が恐ろしい。 


 他の者達もそれぞれ自分の道を歩んでいる。


 そして本日フロマージュ侯爵家にも大きな変化がもたらされた。


「そうか、無事に産まれたか!」


 昨晩から妻のリリーが産気付いた為に気が削がれ仕事が手につかず、ロアーク陛下に子が産まれるまでは出てくるなと王城から追い出された。


 ロアーク陛下はラステル正妃陛下との間に二人の王女殿下と王太子を授かっている。


 母子ともに無事産まれたことでほっとして、ぐったりとソファーに身を投げ出した。


 どうやら心配のあまり全身に力が入りすぎていたらしい。


 バタバタと廊下を走る足音が部屋へと飛び込んできた。


「旦那様!お嬢様がお産まれになりました!」


「本当か!?」 


 もともと腹部が通常より大きく、双子かも知れないとは知らされていたが。親子揃って双子とは。


「旦那サマー!元気なお嬢様がお産まれになりました!」


 続けて走り込んできたメイド長が先程聞いたばかりの報告をあげる。


「ああ、先程聞いたよ。」


「違います!三人目のお子様です!お嬢様がお産まれになりました!」


 さ、三人目!?


「リリー!」


 居てもたっても居られずに俺は廊下へ飛び出した。


「お、お待ちください!まだ産室に入ってはなりません!旦那様~!」 


 俺は今とっても幸せです。


完!

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