第186話 お嫁に行く君へ、持たせられるだけできる限りの誠意を
俺が領主になったエーデルラトライヒから、予約制の直通バスでやっと城に、魔女の塔に帰れたのがそれから3日後。
その頃には俺は隣国の騎士と伯爵になっていた。叙勲式には出ない旨を先に伝えていたので、書類と勲章が届いていた。認可が早過ぎる。
そこから、先にヴィオさんが見てくれていた書類へのサイン、王様が留守なので摂政のお兄さんへの挨拶と報告。
しばらくして帰城し公務に復帰した王様への挨拶。
その間に次々と送られてくる詳しい経理の書類の整理と管理。
他にも雑務は数え切れず、俺は言われるままに右へ左へと奔走しているうちに、今に至る。
そうそう、俺の頬は城に帰ってすぐに縫ってもらえ、抜糸も済んだ。泣きそうに痛かったが、くっつくはくっつくらしい。それは良かったのだが、跡が消えるまではしばらくかかるそうだ。平凡な顔にますます変な箔がついた。
壊れたメガネは買った方が間違いないそうだ。
では同じものをと頼んだら、店員は申し訳なさそうに店内の手作り感あふれるポスターを指し示した。
そこには、メガネの粗い写真と、どこかで見たことのある俺の写真が印刷されていて、「あの不死の剣士も愛用!」、「←」(俺の写真のメガネを矢印で目立たせている)、「大好評につき売り切れ、入荷未定」と表示されていた。
俺はダメ元で修理を頼み、前のとできるだけ似たフレームで新しくメガネを作った。メガネがないと不便さを感じるくらいに慣れてしまった。
久しぶりにメガネをして、帰りのバスで思い出した。
あの写真、いつキシの、サリーさんが半目のあれだ!
いつキシの読者層の幅広さ、恐るべし。
そんなこんなで日常が少しずつ戻ってくる。
戻らないのはこの事務作業の量だけだ。
「ヴィオさん、なるべく、この機会に減らせるもの減らしてね、顧問料もらうほどのことは俺、できないからね」
「うるさいなあ、何もしなくても相手がいいって言ってお金をくれるんだから、もらっておいたらいいのよ」
「良くないよ!」
「いいからここに署名」
これでも署名を求められた時はその書類を読むようにはしているのだが、字は細かいし、言葉は難しいし、眠くなるし。
「クロノ、しっかりしなさいよ!もーう、誰のために私がこんなに」
「だから専門家に頼もうよ!」
「じゃあ靴買ってよ!」
「ダメです、俺のお金じゃないんだから!」
言い合っているとサリーさんが戻ってきた。王様に呼ばれていたのだ。
王様は先日やっと帰ってきて、王様に復帰している。俺たちも挨拶を済ませてりんごをもらってきたのだが。
「おかえり。大丈夫だった?」
「うん……」
サリーさんはうつむきながら答えた。
「何の話だったの?」
ヴィオさんも手を休めて尋ねた。
「うん。あの……」
サリーさんの歯切れが悪い。
「サリーの結婚の話だよ。早く動けって催促だ」
供をしたヨスコさんが肩をすくめた。そうだ、それもあった。
サリーさんはまだ若いけれど、この辺りの姫としてはかなり婚期が遅れているのだ。今度こそ婚約はダメになったし、えらい人の結婚は準備だ何だと時間がかかる。確かにもう動かなくてはいけない。
「議会の方で話し合ったりはしてないのかな」
「何十年と議員を務めたヤード公が急に引退したから、派閥争いでそれどころじゃないさ」
そんなこと、やってもいいけど先にすることを済ましてからにしてくれたらいいのに。
人に任せるとまた変な人を押し付けられるかもしれない。俺も少しはこの世界に馴染んできたんだ。俺も誰かいないか探してみようか。
「ヴィオさん、今日はこの辺にしよう。俺、ちょっと用事を思い出したから」
「え、ちょっと、クロノ!」
呼び止められるのも聞かず、俺は部屋を飛び出した。
トマ師に相談して、図書館から紳士録を借りてきた。本当は持ち出し禁止らしいが、トマ師が顔を利かせてくれた。
土地勘がない俺は地図も借りてきた。こちらはちゃんと貸し出しカードで借りてきた。
俺はそれらと首っ引きで、一晩かけてリストを作った。もちろん、サリーさんの花婿候補のリストだ。
トマ師に見せて助言も仰ぎ、集められるだけ写真や必要な資料もつけてファイルにした。
サリーさんと結婚するにふさわしい、家柄と年の独身男性の一覧表。こんなことは議会でも既にやっているだろうから、少し場所と地位の範囲を広げた。
俺は爵位というものがよくわからないのだが、トマ師が伯爵以上であれは体面は保てると言っていたので、機械的に伯爵以上の人を拾った。結構な人数になった。
人柄や財産はわからなかったから、そこはトマ師に聞いた。トマ師は遠い国の小さな貴族のことまでよく知っていた。
俺の勘だが、トマ師にはもう思う人物があるようだった。それなら何よりサリーさんを大切にしてくれている、トマ師が勧める人でいいんじゃないかと思った。しかし、いつものように煙に巻かれて、俺はこれという名前を聞くことはできなかった。
そのトマ師に連絡をつけてもらって、輸送艇を操縦していたサリーさんのお兄さんにファイルを見てもらった。
俺が面識があるのは彼と王太子のお兄さんだけだ。王太子のお兄さんよりはこっちのお兄さんの方が優しそうだからという理由で、まずはこちらにお願いした。
お兄さんはファイルをぱらぱら見て苦笑していた。すぐには見られないそうなので、預けて後日感想を教えてもらうことにした。
魔女の塔に帰って以来、何かと忙しかったり出かけなければいけなかったりして、サリーさんとゆっくり話ができていない。
ゴーベイ王子に付き添ってマリベラさんを迎えに行った時も、王子が途中でぐずるから、朝早く出たのにその日のうちに到着できなくなった。
あまりに遅くなったから翌日出直すことにして、国境のサバ君たちの駐屯地に王子と2人で泊めてもらった。俺がそこで夜食代わりにカレーを作ったら評判が良くて嬉しかった。異世界にもカレールーがあって良かった。
そしてマリベラさんに面会し、説得するのに1日かかり、結局こちらも3日間、塔を空けるはめになった。
その報告も形だけのをしたくらいで、マリベラさんがどんなに驚いて、どんなに喜んで……までは喜んではいなかったかな、とにかくまあまあ喜んでいたのを詳しく話せていない。
マリベラさんの子供は引き取って王子と2人で育てるそうで、そのことは忘れずに言ったけど、そのくらいだ。
マリベラさんの歯の治療が途中で、まだおかゆのようなものしか食べられなくて、王子が反省して泣いたことも話したいのに。
せめて朝、髪を結う時にと思うのだが、サリーさんが最近少し沈みがちなのも気になる。
心配ごとはなくなったはずなのだが、あまり笑わないし、話もしてくれない。俺が前日の報告をして、それに対応して終わり、という日もよくある。もっと違う話がしたい。
お嫁にいくんだから、その前にもっと話したい。そばにいてくれるうちに。
こんな風に忙しいから、ダンスの練習までなかなか手が回らない。わざとではない。
今日もあまり話せなかった。
俺はベッドに転がって天井を見上げた。マリベラさんが暴れた痕跡はまだ片付けきれずにベッドの下に押し込んである。
サリーさん、来てくれないかな。今日は夜会はなかったはずだ。
サリーさんはよく夜会に誘われるようになった。ヴィオさんとちょくちょく行っているようだ。俺も誘われるけれど、行ったことはない。ダンスは嫌だ。
サリーさん、今日は早く寝るのかな。たまには早く寝ないと疲れるだろう。
お兄さんはいつ返事をくれるだろう。いい人がいればいいな。いや、いない方がいい。もう少し、こうしていたい。でも。
俺は何度も寝返りを打つうちに寝てしまった。
翌日もいつものように、しかし何かと忙しく過ごしていると、ヨスコさんが大慌てで食堂に飛び込んできた。お昼も済んで、帳簿を見ながら眠くなっていた俺とヴィオさんは驚いた。
「応接の間に急いで。陛下がお見えだ」
「え?そんな予定あったっけ」
「クロノ、どうせあなたと遊びに来たのよ。行ってきなさいよ」
「それが……」
ヨスコさんが困惑した顔で告げる。
「陛下だけでなく、妃殿下方と兄殿下方も全員お揃いなんだ」
「えっ!」
ヴィオさんが立ち上がる。俺はその様子を想像した。
「あの部屋、そんなにたくさん人が入ったら窮屈そうだね」
「呑気なこと言ってるんじゃないわよ!クロノ!正装して、帽子忘れないでね!」
ヴィオさんが慌てるのなら大ごとだ。
俺とヨスコさんは急いで部屋に戻り、きちんと服を着て応接の間に集まった。
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