第185話 そして忙しい日常へ戻る(前と全然違うけど!)

 あれから2週間しか経っていないとはとても思えない。

俺は山のような帳簿と伝票を整理しながらため息をついた。


「何よクロノ、誰のためにこんなことしてると思ってるのよ!」

 ヴィオさんが吠える。変身してないのに狼に似てきた。

「だから専門家に頼もうって言ってるのに」

「ダメよ、お金がかかるんだから。その分私がやるから私にちょうだいよ、新しい靴がほしいの。クロノが靴を買ってくれるなら頼んでもいいわ」

「だからこれは俺のお金じゃないんだってば!」

 

 やっと塔に帰った翌日、俺はヤード公(息子)に内々の話で、と呼び出された。

「あなたがクロノさんですね。ヤード家は父が急な体調不良で隠居しましたので、私が家督を継ぎました。私が今のヤード家当主、ヤード・マダマーシです。どうぞよろしく」

 銀行員のような神経質そうな線の細い白髪のおじさんが、何度も手首のカフスを触りながら淡々と自己紹介する。俺はヤード公(旧)にたてついた身なので警戒したが、新しいヤード公には俺を何とかしようという意図はなさそうに見えた。


 そしてそのヤード公の持ち出した話の内容は、俺の想像を超えていた。

「父のしたことをこれで、忘れていただきたいのです」

 ヤード公が書類を差し出す。

 内々の話なのでサリーさんの付き添いは頼めなかったが、ヴィオさんが付いてきてくれたので見てもらった。

 書類に目を通していたヴィオさんがばさりと書類を取り落とす。

「これ……は」


 呟いたきりヴィオさんが動かないので、俺が書類を集めて揃える。

「ヴィオさん、それ、何なの?」

 俺が小声で尋ねると、ヤード公が答えた。

「ヤード家領、エーデルラトライヒ市の譲渡証です」

 聞いたことのない言葉に、説明されてもわからない俺がぽかんとしていると、ようやく我に返ったヴィオさんががくがく震えながら書類を握った。目を皿のようにして熟読しているが、手の力の加減がおかしくて書類の端がぐしゃぐしゃになっている。


「本当に?これ、何で、こんなに、だって」

「口止め料です」

 ヤード公が事もなげに答える。

「摂政の地位を使って姫殿下を拐かすようなことまでして、しかも賄賂を受け取っていたことがわかりました。これを明らかにされ、議会にかけられたらヤード家は潰されます。それだけは避けたいのです」


「ここにはずいぶん、利益が集中しているようですが?」

 ヴィオさんが震える手で書類を何度もめくったり戻したりする。横から見ていても何だかさっぱりわからない。

「父が貯め込んだのです。どういう経緯で手にした利権かは私にはわかりません。その町は父がそうして好きに牛耳ってきた、陛下も手を出せなかった町です」

 ヤード公が書類を追加する。ヴィオさんが手に取り、ヤード公を二度見した。


「クロノ様、全てあなたにお譲りします」


「これを全部」

 ヴィオさんがまた書類をぎゅっと握りしめて絶句する。

「何?何か大変なの?」

 ヴィオさんがあんまり大きく反応するので、俺はだんだん不安になってきた。ヴィオさんがかすれた声で質問する。

「失礼ですが、これを全部譲渡したらヤード家の財産はかなり目減りしてしまうのではありませんか」

「ええ、そうですね」

 ヤード公は淡々とうなずいた。


「私はそれでいいのです。どんな手段で手に入れたものかわからないものが多く、父に聞いてもまともに答えてはもらえませんでした。私は父ほど野心家ではありません。正直、私の手には余るのです」

 賄賂を貯めて置く場所だったんだろうか。そんなきな臭い町、怖いところなんじゃないかな。


 警戒した俺に気づいて、ヤード公が少し表情を緩めた。

「家の者ではない第三者に譲ったとなれば、資産も利権もただの数字になるはず。父の急な隠居で家に関わる人々も浮き足立っています。今なら、どさくさに紛れて譲ってしまえます。数字だけで見れば、悪い条件ではないはずですが」

 ヤード公がヴィオさんを見る。ヴィオさんは答えず、質問を返した。

「領主として実績のある姫殿下の領地に加えることは、お考えにならなかったのですか」


「それはやめようと思いました。何の対価に領地を差し出したのか、調べればすぐにわかってしまいます。あなたやヨスコッティ様も同様です。何の後ろ盾もない彼なら、詮索も的外れなものになるでしょう」

「そりゃあねえ、唐突過ぎるし、これだけのものを譲っても何の見返りもないのは明らかだし。だけどねえ」

「もちろん、交渉などで私が力になれることでしたら協力は惜しみません。父の意向の強く残るこの町を、私は手放したいのです」

 ヤード公の本音が漏れた。


「父は好き放題しすぎました。陛下と王位を争ったのはもう何十年も前なのに。私はずっと陛下に、痛くもない腹を探られながらお仕えしてきたのです」

 ヤード公はカフスをいじりながら話し、ふとその手を止めた。

「とはいえ陛下はあの通りの豪放磊落、警戒されながらも陛下に裏表はなく、まるで年の離れた兄のように私に接してくれました。私はずっと陛下に赤心を示したかった。ここまですれば信頼も得られるでしょう」


「それでも、クロノはただの侍従に過ぎません。爵位も社会的地位もなく、いきなり領主は」

 ヴィオさんがまだ渋る。何だかずるい感じになってきた。しかしヤード公はそんなヴィオさんの態度も織り込み済みらしく、こともなげに答えた。

「それでしたら、ゴーベイ王子殿下が、騎士と伯爵の称号を叙勲したいと熱心に仰せでしたよ。あちらの国の爵位にはなりますが、あればこちらで叙勲する時も円滑にことを進められるでしょう。もちろん私もそのつもりで動いております。では早速、連絡を」

 またゴーベイ王子か。朝から電鈴が止まらず困っているのだ。もう関わりたくないのに。


「やめてください、俺は爵位なんていりませぐ!」

 だん!とヴィオさんが俺の足を踏みつける。ハイヒールだ。足に穴があいたかと思った。

「それなら是非、とクロノも申しておりますわ。ヤード公のお力添えをいただけるなんて、なんて光栄なんでしょう。ね、クロノ」

 ヴィオさんが踵を支点にしてぐりぐりと足をえぐる。脂汗が吹き出す。は、ハイヒールが。


「こちらこそ、ヴァイオレット様。話が早くて助かりました。本題もどうかそのスピード感でお願いしたい。この譲渡は、とにかくごたごたのうちにすませたいのです。細かいことは後からでも交渉に応じます。どうか、うんとおっしゃっていただきたい」

「そこまでおっしゃられるのであれば」

 ヴィオさんはひどく渋々書類を受け取った。ヤード公がほっとしたようにカフスに手を置く。


 ヴィオさんはそれでもいくつか確認し、条件をつけた。慎重過ぎるほど慎重だ。やはりそれだけ大きな契約なのだろう。

 俺はヴィオさんが許可した1箇所にだけ、ようやく署名した。


 まずは試しに預かるだけ、という感じで書類を預かって、塔に帰るとヴィオさんが飛び上がった。

「ひゃっほう!クロノ、すごいわ、大金持ちよ!」

「えっ」

 ヴィオさんが抱きついてきた。いい匂いがして、お、おっぱいの圧がすごい。サリーさんに慣れた俺には刺激が強い。い、いや、こんなことおくびにも出せないし、俺は圧がない方が密着できるから好きだけど。いやいや、そうでなくて。


「電気、交通、工場……大きな設備はみんな公営よ!がっぽがっぽよ!ウハウハよ!しかも他の町からも、絹の独占購買権、金属加工技術指導料、鉱山の優先権、数え切れないくらいの顧問料……ああもう、どうしよう!」

 ヴィオさんがひとりで踊っている。踊れない俺は早々に捨てられた。

「……鉱山の権利は、サリーさんの身代金だよ。返すよ」

「いやよ!返せって言われたら返すわよ、それまではうひひひ」

「返すよ、ダメだよそんなの」

「こっちの宝石店の顧問料もおいしいわね」

「断ってよ、俺はそんなことできないよ」


 とまあ書類を見ただけでは埒があかず、主なものだけでも現地で確認することになった。

 とはいえ魔女の塔を何人も離れる訳にはいかないので俺がひとりで行くことになり、なかなかの遠距離なのでバスを使うことにした。


 しかし、注意はされていたのだが、乗り換えを間違えて変なところで1泊することになってしまった。

 その旅館だか民宿だかみたいなところの老主人が昔、戦争に参加したことのある人だった。

 そこで俺の剣を見た主人がやけにはりきり、ちょうどそこで行われていた祭りに連れ出され、ミスコンの審査員をさせられそうになったり、神輿の上に乗せられそうになったり。


 まあいろいろあってやっと目的地であるエーデルラトライヒの役所のようなところに辿り着いたら、領主だと信用してもらえず半日以上足止めを食った。

 外部からは直接魔女の塔には連絡できないらしい。同心円かと思うくらいにたらい回しにされ、ようやく俺の身元を保証してもらえるところに行き当たった時には担当者と握手してしまった。


 ちなみに領主変更の書類は当日中に写しが届いており、俺が訪ねた時には原本も届いて、担当者が確認して周知の貼紙もしてあった。平謝りされたが、いい。慣れてる。指名手配ではあるまいし、顔写真付きではなかったし、俺はどうせモブ顔だ。

 おかげですまないと思ったらしい役所の人に車を出してもらえ、見たいところを案内してもらえたので良かった。


 王都ほどではないが、エーデルラトライヒも大きな町だった。そして、王都よりも自然の近い町だった。

 雪を頂いた高い山々に囲まれ、深い森が近く、ここにも美しい湖があった。川も多く、水の豊かなところだ。

 リストには入っていなかったはずだが、俺はその湖にも連れて行かれて、名物の果物を使ったアイスをごちそうしてもらった。農業も盛んらしい。


 その日は譲られた領主の家に泊めてもらった。お城のようだった。家を管理してくれている人が住み込みで十人もいると言われて驚いた。この人たちの給料を、今度は俺が払わなくてはいけないのだ。使用人の人たちは雇い主が代わって不安そうだった。俺も不安だ。やっていけるだろうか。

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