第179話 姫魔女の歌
サリーさんが歌い始めた。
空を火を帯びた弾が飛んでくるが、落ちる前に凍りついて、見えない屋根を滑るようにして湖に飛び込んでいく。
見えない屋根はどんどん広がり、やがて町を覆い尽くした。弾は全て屋根を滑って湖に吸い込まれていく。
「セーラレイン、お前は」
王子が泣くのも忘れて呆然と空を仰ぐ。サリーさんはにやりと笑って、俺の手をさらに強く握った。
「姫魔女はひとりでも戦争ができるのよ。戦車くらい、どれほどのこともないわ。ゴーベイ様、あなたも早く避難して」
金の騎士たちが動き始めた。まわりの家々からも人が追い立てられるようにして避難していく。
湖が燃えている。焼夷弾は水の中でも燃えるのか。湖側の体が熱い。俺はサリーさんをかばうように立った。
俺の中のサリーさんの力がすごい勢いで吸い取られていく。気を抜いたらそのまま気を失ってしまいそうだ。俺は懸命に足を踏みしめた。
サリーさん。俺も頑張るから、頑張ってくれ。
風が出てきた。サリーさんが目を細める。白い髪が風に煽られている。俺はサリーさんを支えようとしたが、疲労のせいか、自分の体も覚束ない。
その時、突然ふわりと体が軽くなった。
はっと振り向くと、金の魔術師団の老人たちが、騎士に急かされながらも懸命に歌っていた。
「
サリーさんも気付き、嬉しそうにうなずいた。力の消耗が少しだけ緩やかになった気がする。体も軽い。
「ありがとう!早く避難を!」
歌うサリーさんに代わって礼を言う。老人たちが騎士に運ばれていく。
「あなたが最後よ。早く行って」
歌の合間にサリーさんが王子に告げた。
「嫌だ、僕も町を守る」
「大丈夫。終わったら叱りに行くわ」
サリーさんが笑う。王子が涙でいっぱいの小さな目を見開き、真っ赤な顔をますます赤くして、うつむいて嗚咽した。
シーラさんが王子を荒く掴む。
「姫殿下、できる限りの手は打ちました。もう少し、命令が行き届くまでもう少し、どうかご辛抱ください。町を守ってください。本当に、本当に申し訳ありません」
「いいえ。ありがとう、行ってください」
「姫、クロノ様、どうかご無事で!」
シーラさんがおそらく泣きながら深く礼をした後、有無を言わさず王子を引きずっていく。
サリーさんはゆったりと微笑んで、朗々と歌いながら見送った。
それは痩せ我慢だった。見えない屋根の魔法だけで、もうサリーさんはひどく消耗していた。
封印されているままのサリーさんが使える力は、それでも溢れたものと、俺が預かっている分しかない。木で言えばほんの枝葉だ。
魔女として大きな魔法をどんどん使っていたらしいサリーさんは、思うように魔法を使えなくてもどかしそうだ。俺の預かる力では到底足りないのだろう。それなのに体にかかる負担が大きいことに戸惑っているようにも見えた。
しかしサリーさんは引かず、歌った。歌いながら時折手を動かしている。違う魔法も同時に使っているようだ。それがよりサリーさんを疲弊させているように感じるが、相手も待ってはくれない。俺は祈るようにサリーさんの手を握った。
サリーさんは歌い続けた。ついに姿を見せた金色の戦車にも、魔法で挑みかかる気だ。
これは、言われるまま力を使っていた以前と違って、サリーさんが自分で考え、判断した、人を守るための戦争だ。
サリーさんは歌った。
俺の中のサリーさんの力がどんどん減っていくのがわかる。少なくなった力は、手のひらからだけではサリーさんに伝わりにくくなっていくような気がする。
俺はサリーさんの手をしっかりと握り、もう少しだけ体を寄せた。サリーさんが振り返って微笑む。
「クロノは、いてくれるよね」
「うん。ここにいるよ」
サリーさん、俺はここにいるよ。ちゃんと支える。君をひとりにはしないよ。
サリーさんが手を振り上げた。その動きに合わせるように、戦車の前に氷の壁が立ちはだかる。砲撃が少し止んだ。
今のうちに湖の火を消そうと、サリーさんが振り返った時だった。
どん、と腹に響く音がした。
「危ない!」
俺はサリーさんを抱いて建物の陰に飛び込んだ。一瞬遅れて音が届き、さっきまでいたところに大砲の弾が撃ち込まれる。
戦車は、1台ではなかった。
新たに姿を見せた金の戦車にサリーさんは唖然としたものの、すぐに気を取り直し、今度は戦車の腹の下に氷の山を作った。
氷の山はしばらく戦車の重さに負けて崩れていたが、サリーさんが歯を食いしばってなお手を振り上げると、氷は遂に戦車を持ち上げ、傾けて片方のキャタピラを空転させた。
「次よ!」
サリーさんが通りに出てまた氷の山作ろうとする。その向こうから来ていた3台目が傾きかけた時、氷の壁に阻まれていたはずの最初の戦車が、何度も体当たりして壁を壊すことに成功した。
戦車は氷の壁の残骸を乗り越えながら、撃った。
弾は俺たちを狙ってはいなかった。だから俺たちには当たらなかったが、背後のホテルを撃ち抜いた。建物が崩れる。
俺はサリーさんを反対側の建物に押し付けて覆い被さった。瓦礫がばらばらと降り注ぎ、周囲に洒落にならない大きさの破片が落ちる気配がした。幸い俺には当たらなかったが、これでは町もサリーさんも守れない。せめてどちらかは。
「サリーさん、少し退こう!」
「ダメよ!町が壊れちゃう!」
サリーさんは俺の手を引いてまた通りに飛び出した。距離がなくなったのでもう屋根の魔法は意味をなさない。サリーさんは戦車を直接攻撃する魔法に切り替えて集中した。
氷の壁を作り、氷の山で戦車を傾ける。
しかしサリーさんがそれを完成させるより、戦車が弾を装填する方が速かった。
「サリーさん!」
俺は強引にサリーさんを抱き上げ、走った。まわりの建物が砲撃され、崩れる。
「ダメ!」
「無理だ、逃げよう!」
「嫌!」
サリーさんは暴れて俺を振り解き、手だけを握りしめて歌った。だがわかる。もう俺は空っぽだ。
サリーさんがふらついた。もう氷が作れない。サリーさんは歌い続けながら、力尽きたように座り込んだ。
戦車の砲撃の音が続く。さっきと弾の音が違う。ひゅるひゅると後を引く。これは建物を壊す弾ではない。焼夷弾だ。
炎が飛び散る。町が燃え始めた。
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