第177話 たくさんの笑顔(で、済めばいいんだけどな……)
「見ての通りだ。僕の、負けだ」
王子は晴れ晴れとした顔で、負けを宣言した。
立会人のおじさんたちはなかなか王子の言葉を信じず、俺が王子の上に馬乗りになって剣を喉元に突きつけたままなのに、しばらく押し問答があった。手が疲れる。
「では、そこまで殿下がおっしゃるのでしたら。本当によろしいんですね。言いますよ、宣言してしまいますよ。取り消せませんよ、よろしいですね、本当に、本当に言っちゃいますよ」
「いいから早くしろ。重いぞ」
そう言われても、本当に勝ちが宣言されるまでは俺も心配だから、この体勢は譲れない。
「では、いいですか、もう、いいんですか、本当にいいのかなあ……勝負あり、勝者、クロノ」
逃げるような早口で立会人が勝者を告げた。
「きゃあ!やった、クロノ様!すごいわ!姫殿下、やりましたよ!」
エリアさんのはしゃいだ声がひどく遠く聞こえる。
やっと終わった。
俺は剣を鞘に収め、王子の上から下りて、広場に寝転がった。あちこち痛いし、体が重くて腕も上がらない。
空が青い。疲れた。
「クロノ様!」
エリアさんがサリーさんの手を引いて駆け寄ってくる。俺は慌てて体を起こした。
「楽にして構いませんよ。見事な働きでした」
サリーさんがそっと手巾を差し出してくれた。俺は頰の傷を思い出したが、手を伸ばすのはためらわれた。血で汚してしまう。
俺がぐずぐずしていると、サリーさんは苦笑してかがみ込み、俺の頬に手巾を当ててくれた。布越しにサリーさんの手の感触が伝わる。少し痛いが、嬉しい。
そしてそれに紛らせた内緒話のようにサリーさんが微笑み、囁く。
「お帰りなさい。約束を守ってくれて、ありがとう」
美しい淡い色の瞳に見つめられて、俺はくたくたとへたりこんだ。
「早く手当しないと。他にもたくさんケガをしていそうだわ。メガネも直さなきゃ」
サリーさんが笑う。エリアさんが涙を拭いながらうなずく。シーラさんがアユさんに目配せした。アユさんがさっと動く。おそらく治療の道具などを用意してくれるためだろう。
「クロノ様、腹は大丈夫ですか」
「あ、大丈夫です。ちょうどこれがあって」
シーラさんに言われ、俺は短剣を取り出した。
やっぱり、弾が鞘にめり込んでいる。裏側を見るとそこが少し膨らんでいるから、本当にギリギリで止まったのだ。
今更だがすごく怖くなった。
「クロノ様、どうしました、やはりどこか痛めましたか」
「いえその、……腰が抜けて」
震えながら短剣を差し出すと、緊張した面持ちで俺をのぞき込んだシーラさんが笑い出した。エリアさんも泣きながら笑い、サリーさんも微笑んでいる。
「これは見事な短剣ですね。特にこの鞘の飾りは、なかなか他では見られません」
シーラさんが短剣をよくよく眺めて返してくれた。俺は苦笑した。笑うと腹が痛い。シーラさんはこんな強面で、意外と冗談が好きな人なのかもしれない。鞘の飾りって、俺を狙った弾だよ。
「クロノ様!」
王子の従者たちもこちらに向かってくる。家族に会えて安心したのだろう。満面の笑顔で手を振る金髪の女性が先頭だ。美人だ。あの水着の女性の誰かか。水着の時よりずっときれいだ。表情が明るいからだろうか。少し照れたような笑顔で腕を組んでいるお父さんらしい人は、普通のおじさんなのに。
ああ、この人たちのこともあったな。どうしたらいいんだろう。もし本当にサリーさんの従者になりたいのだとしたら、仕事は、住むところは、家族は。
俺は苦笑した。頭を抱えたくなることばかりだ。ひとつ済んでも次から次にやらなければならないことがたくさん出てきて、なかなかすっきり片付かない。
けれど。
目の前のたくさんの笑顔を見て、俺はほっとした。
サリーさんの見たかったのは、これだろ?
振り返ると、サリーさんは幸せそうに、彼らではなく俺を見ていた。
「クロノ、ありがとう」
「ええと、あの……はい」
俺も幸せに満たされた。
俺のいちばんのご褒美は、君のその笑顔だ。
どおん。
突然、大きな音がした。空気が振動してびりびりする。俺たちは驚いて音の方を見た。湖だ。
どおん、どおんと音が続き、遅れて爆風が吹きつける。
「きゃあ!」
サリーさんとエリアさんが悲鳴をあげ、抱き合うようにして支え合う。
「な、何だ!?」
見つめた先の光景に、俺は目を疑わずにはいられなかった。
「な……」
俺たちは絶句した。
湖に鎮座していた、巨大な金の輸送艇が爆発していた。
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