第170話 いい話、のち、最低の話(品がなくてごめんなさい)
人の心配なんかしている余裕はないのに気になってしまう。不安が募り辺りをそぞろ見た俺は、サリーさんと目が合った。
サリーさんは少し微笑んで、うなずいた。
大丈夫。私が手配するわ、心配しないで。
サリーさんは声を出さずに言い、エリアさんの両親を少し振り返った。エリアさんの両親は何やら電鈴で懸命に連絡を取ってくれている。何とかできないかと、知る限りの伝手を辿ってくれているようだ。
もう手を打ってくれていたのか。
またサリーさんに俺の気持ちの後始末をさせてしまった。エリアさんのご両親にも。申し訳ない。
俺が少しうつむくと、シーラさんは少し笑った。
「……姫殿下はお優しい方ですね。お会いしたのは初めてではありませんが、以前とは少し変わられたように思います」
そうか、シーラさんはずっと王子の警護を担当してきたから、サリーさんとのデートにもいつもついてきていたのだろう。
「クロノ様だから申し上げますが、以前の姫殿下は人を人とも思わないようなところがおありでした。いえ、それは、王族と呼ばれる方々にはよくあることです」
俺は黙ってうなずいた。そうだったかな。そうだったかもしれない。
初めは俺も処刑されるかと思った。サリーさんは会ったばかりの頃、その命令の重さも理解しようとせずに、簡単に処刑を命じていた。平然とそう言えなければ恥ずかしいとでも思っているようだった。
「だが、それが今は、下々の者にまでお心を配られ、実に親身に、優しく目をおかけくださる」
シーラさんが噛みしめるように言ってくれた。俺は体が熱くなった。
そうだ、そうなんだよ。
わかってもらえた。嬉しい。サリーさんは、そうなんだ。こんなに泣き虫で怖がりなのに、こんなにみんなの幸せを思い、祈って、みんなの願いを受け止めようとする。
サリーさんはみんなの幸せのために必要な人なんだ。やっとそれが伝わり始めた。
嬉しい。サリーさんの気持ちが、頑張りが、知ってもらえることでやっと報われる。
「クロノ様。あなたのおかげなんでしょうね」
シーラさんが買い被るから、俺は苦笑した。
「いいえ、殿下はもともとそんな人なんです。少し大人になったから、気持ちに正直に振る舞うことが怖くなくなったんでしょう」
シーラさんが微笑んでうなずく。納得していなさそうだな。本当なのに。
王子は結局6人がかりで、引っこ抜かれるようにしてようやく地上に戻った。鎧の胸の辺りがへこんでいる。落とし穴のふちにぶつけたのだろう。少し金が剥げて中の金属がのぞいている。何だ、メッキか。
王子はさすがにまだ今は兜は早いと思ったのか、脱いで騎士に持たせた。頭は大切だけど、それ、ない方がいいんじゃないかな。
「よくもやったな、邪悪なメガネめ。それほど僕が、セーラレインに愛される僕が妬ましいか!」
汗だくの王子が叫ぶ。俺は答えなかった。答えようがない。落とし穴はそっちの命令だとバラしていいのか。今のサリーさんの恋人は俺だし。今だけだけど。
「だが、僕はそんなことでセーラレインを愛することをやめたりしない!僕はお前のような卑怯者には屈しないぞ!」
決め台詞だったのだろうか。騎士がまたがちゃがちゃと拍手喝采し、人々が何となくそれに倣う。
「待っていろ、セーラレイン!すぐにこのメガネを倒してお前を僕の腕に抱きしめ、熱いキスと、それ以上のこともしてやるからな!」
「お断りだと申し上げたでしょう!」
さっきから気持ち悪そうに青ざめて、それでも何とか言葉を挟むことを控えていたサリーさんがついに爆発した。
「私の名前を出さないで!呼ばれるだけで気持ち悪」
「ああああっ!」
叫ぶサリーさんをキンキン声が圧倒する。
「セーラレイン、そ、そ、その髪は何だ!」
気勢をそがれて、サリーさんが戸惑ったように髪に手をかける。さっき結いそびれて下ろしたままになっているが、サリーさんの髪は癖もなく真っ直ぐだから、そんなにおかしいことはないはずだが。
サリーさんに確認を求められたエリアさんとアユさんも首を傾げている。
「なぜ髪型が変わったのか聞いているんだ!」
「えっ」
サリーさんは戸惑ったように髪を触った。確かにお風呂に入って髪を洗ったので、半分眠らされて連れてこられた時より髪がきれいに落ち着いてはいるが。
「いかがわしいホテルから男と出てきたと聞いた時から危惧はしていたのだ。セーラレイン、まさかお前、この男に手込めにされたのではないだろうな!」
「な……」
サリーさんが唖然として言葉を失う。
「してません」
俺は一応反論しておいたが、もう誰も俺の言葉など聞いていない。俺はもう背景の一部になっている。
みんな、怒りのあまりに青ざめてキリキリと目を吊り上げている魔女に釘付けだ。
そして一応断っておくが、あれは王子が手配したホテルだ。いかがわしいという自覚はあったのか。
「無礼な!」
怒りをたぎらせ、空気を裂くようにサリーさんは叫んだ。
「そんなこと、ある訳がないでしょう!」
「私共もずっとおそばに控えておりました!殿下、誓って、そのようなことはありません!」
「殿下!お言葉が過ぎます!姫殿下への侮辱と取られても言い訳ができませんぞ!」
エリアさんとシーラさんも叫んだ。エリアさんが煽り立てていた自分の行いをすっかり忘れていてくれてとてもありがたい。今後、思い出すたびに反省してもらいたい。
王子が怒鳴り返す。
「うるさいうるさい!お前たちのような裏切り者の言うことなど信用できるか!おい!あれはどうなった!」
王子が手を上げた。また別の黄土色が広場の前に進み出る。
「こちらでございます、殿下」
「ほら見ろ!何もしないで、こんなにティッシュを使うか!」
「きゃああ!」
サリーさんが悲鳴をあげる。王子が指差したブルーシートの上には、タオルなどの布類と、丸めたティッシュや入浴剤の空袋などのゴミが整然と整理されて並べられていた。
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