第148話 お守り

「お母様の……」

 サリーさんがそっと手を伸ばす。


「ごめん、お守りにと思って、持ってきちゃったんだ。それで、俺を助けるための魔法でこんなになっちゃって……」

 手を傾けて、サリーさんの手のひらに石の欠片を移す。


 サリーさんはしばらくその欠片をじっと見つめていたが、ほっと息をついて微笑んだ。

「お母様がクロノを守ってくれたのね。良かった」

 そんな笑顔を向けられると、泣きたくなってしまう。

「大丈夫よ、ほら、イニシャルを彫ってあるところがちゃんと残ってる。私、上手に砕いたね」

 サリーさんは欠片をつまんで、冗談めかして笑った。少しだけ声が震えている。無理して笑ってくれているのだ。申し訳なくてつらい。


「ごめん、サリーさん、本当にごめんなさい」

「ううん。クロノ、一緒に来てくれてありがとう」

 サリーさんは嬉しそうに笑ってくれた。泣きたいのはサリーさんの方だろうに。どんどん心が溶かされ、俺は顔を背けた。溶けたものが涙になってしまいそうだったから。これ以上、サリーさんに情けないところは見せたくない。


「あのねクロノ、お守り、私も持ってきたの」

 サリーさんが言い、突然、スカートの裾をめくった。

 俺は思わず目を奪われ、慌てて目をそらした。黒い布の合間に白い足が、細いふくらはぎを越え、膝を越えて、太腿まで見えた。サリーさんは基本的に恥ずかしがり屋なのに、時折、急に恥じらいをどこかに忘れてくることがある。

 太腿にベルトで留めていたらしいそれを外して、サリーさんは裾を直し、はい、と俺に差し出した。

 動揺を押し隠して目を向ける。差し出されたその短剣の鞘と柄には見覚えがあった。


 それはずいぶん短くなった、俺の折れた剣だった。

「それ……」

 初めて剣を持った時の緊張と戸惑いを思い出す。

 それをきっかけに、その剣との思い出が、練習のきつさが、手の痛みが、これを腰にして右往左往していた魔女の塔での暮らしの困惑が、この剣を捧げた人との甘い苦い記憶が、次々とよぎる。


「覚えてる?クロノが使っていた剣よ。折れちゃったから、短剣に作り直してもらったの」

 サリーさんが大切そうに短剣をそっと撫でた。ヴィオさんが言っていた剣だ。俺ははっとした。


「大切な約束をした剣だから」

 サリーさんがじっと短剣を見つめる。


「お守りのつもりで持ってきたんだけど、使う前にあなたが来てくれたから。私やっぱり、この剣をクロノに持っていてほしい」

 サリーさんが真っ直ぐに俺を見た。俺は体が熱くなった。

 サリーさんもあの約束を大切にしていてくれたのか。


 あの時、折れる前のこの剣を俺の肩に置いて、サリーさんが無邪気に宣言した。

 結婚前にサリーさんが純潔を失うようなことがあれば、俺がこれでサリーさんを斬り、そして俺も死ぬ。

 あんなに軽々しくお互いの命をかけてしまった、今ではかけがえのない約束。その証人である、この剣。


「お父様の剣には見劣りするけど、受け取ってくれる?」

「そんなことない、本当に嬉しい。ありがとう」

 俺は短剣を受け取った。良かった、サリーさんがこれを使わなくて済んで。俺は間に合ったんだな。


 俺はサリーさんの刃だ。サリーさんが斬らなければならないものは、サリーさん自身であっても、俺が斬る。でも、決して、そうはならないように。


 短剣になってしまった俺の最初の剣は、ますますバランスが悪くなって、王様からもらった腰の剣に比べると変に重く軽く頼りない。

 それはいかにも俺らしく思えた。


 俺は短剣をよく確認した。長さ、重心。短剣の使い方はやったことがないから多分使わないとは思うが、武器として携帯するならとりあえずでも知っておかなければ。

 ふと、短剣にまだ少しサリーさんの温もりが残っているような気がしてきた。サリーさんの温もり。これは、つまり、太腿に触ってるのと同じということでは。

 変なことを考えそうになり、俺は急いで短剣を上着の下のベルトに留めた。サリーさんの刃たるもの、もっとクールに、無機質になれたらいいんだけどな。


「クロノが来てくれたから、私、安心してお嫁に行けるね」

 ぽつりと、サリーさんが言った。


 思いもしなかった言葉に、俺は驚いてサリーさんを見た。

「行かせない、帰るよ」

「えっ?」

 サリーさんが戸惑った顔を上げる。

「クロノ、一緒に来てくれるんじゃないの」

「俺は君を連れ戻しにきたんだよ。目が覚めたなら、帰ろう」


「ダメよ」

 サリーさんが固い顔で首を振る。俺は困惑した。

「ダメって……何言ってるんだよ、サリーさんだってこんな結婚、嫌だろう。毒を使う相手なんかダメだよ」

「でも、決まったことだもの。私がどう思うかなんて関係ない。これがいちばんいいのよ」

「良くないよ!」

 思わず声を荒らげてしまう。サリーさんがびくっと体を縮こまらせる。また怒鳴ってしまった。

「ごめん、でもダメだよ、帰ろう。もしサリーさんがどうしても納得できないなら、王様が帰ってきてから相談しよう。それまでは結婚の話は保留だ。とにかく帰るよ」


「いいえ、大叔父様がこんなにお急ぎになるなら、そうした方がいい訳があるのよ。ただでさえベラのことがあったりして、時間がかかってしまっているもの。確認しましょう」

「待って」

 今にも人を呼ぼうとするサリーさんを慌てて押し止める。確認なんかして、こちらの出方をわざわざ教えることはない。話は塔に戻り、身の安全を確保してからだ。


「クロノ、みんなのために何が一番いいのか、議会が考えてくれたはずよ。私はそれに従う義務があるのよ。大叔父様は議員もなさっているから、この結婚が決まった経緯もよくわかっていらっしゃるわ。それでお急ぎなのでしょう」

 議会も何も、鉱山半分、それがここまでの無茶をさせている理由だ。それにどれだけの価値があるのか俺にはよくわからないけれど、いくら国民のためでも、俺は嫌だ。


 廊下が急に騒がしくなった。キンキン声が叫んでいるから、王子が起きたのだろう。あれだけ棘を刺したのに。

 奴も鉱山半分、おそらくそれなりに大きな対価を払っているのだ。簡単には引き下がらないだろう。だから眠っていて静かな間にここを離れてしまいたかったのに。


「いいから帰ろう。行こう」

 せめてまだごたごたしているうちにと、俺はサリーさんの手を強く引いた。サリーさんは嫌がりながら立ち上がり、首を振った。

「ダメよ。帰らないわ。クロノ、このまま私についてきて」

 サリーさんが手を払おうとしてもがく。


「私の気持ちをわかって、来てくれたんじゃないの?私は責任を果たさなければいけないの。クロノがわかってくれなかったら、私、誰にもわかってもらえないよ」

「わからないよ、どうしてそんなに無理して結婚しようとするんだよ」

 俺は手を離さず、首を振った。


 サリーさんが動きを止め、目を大きく見開いて、囁いた。

「あなたが私を相手として見てくれないからよ」

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