第147話 君ならいいかな

 サリーさんがくすっと笑った。

「クロノ、すごい顔してるよ。どうしたの」

 名前を呼ばれて笑顔を向けられると、ふわ、と俺の心が緩んだ。サリーさん、人払いしてくれたのか。

「あいつらが、服が、その、さっきは」

 俺はしどろもどろになって答えた。しばらく忘れてしまっていた、普通の自分に戻っていくのがわかる。ようやく心が自分の体にふさわしい大きさに戻って、ぴったりはまっていくようだ。

 

 身に染みるように思う。

 サリーさんは俺の拠り所なのか。


 俺はうつむいた。話しておかなければいけないことがたくさんあるのに、くだらないとわかっていても、俺はこれだけは聞いておかないと先に進めない。


「……さっき、……見た?」

 俺は尋ねた。サリーさんは少し迷い、答えた。

「うん。ごめんなさい」


 だよね、と俺は笑った。

 笑うしかない。自嘲めいた、ため息の延長のような重い笑いしかできないけれど。

 サリーさんが気遣うように優しく微笑んでくれる。

「びっくりしちゃった。あんな格好で、どうしたの?」

「エリアさんが濡れた服を洗うって持ってっちゃって、なかなか帰ってこなくて、王子が忍び込んできたから」

「こんな明るいうちから?クロノも考え過ぎよ」

 サリーさんが笑う。そんなことない。だが、サリーさんの屈託のない笑顔を見ていると、わざわざそれを曇らせるまでもないかと思う。俺がそばにいるなら俺が守ればいいんだから。


「……大人の男の人の裸を見たの、初めて。でも、クロノで良かったかな」

 サリーさんがそんなことを言いながら、真っ赤になって笑う。

 俺はまた気持ちがふわりと和らぐのを感じた。

 サリーさんがそう言ってくれるなら、俺もそう思うことにしよう。

 サリーさんになら、見られてもいいや。

 どうせ他に見せるあてもないし、勿体ぶるほどのものじゃない。俺は頑張って、明るく笑った。

「俺もサリーさんなら、いいかな」


「それはそうでしょ、あなたも私のを見たじゃない」

「あれは……あれは違うよ」

 サリーさんがすまして答える。俺は慌てた。最初に会った時のことだ。

 あれは不可抗力だったし、そんなに見えなかったってば。髪の長い女の人と短髪の俺では丸出し具合が違うし、サリーさんみたいに大きな目で凝視しなかったし、そのあと俺が気絶するほどビンか何かをぶつけた癖に。

 サリーさんが肩をすくめて笑う。俺も笑った。


 不意に訪れた2人きりの時間。このままこうして、話し続けていたいけれど。

 サリーさんはふっと笑顔を消した。

「クロノ、ここはどこ?私、どうしてここにいるの?寝たり起きたりしてたことは覚えてるんだけど、途切れ途切れで、何だかよくわからないの。塔にいたはずなのに」

 少しずつ記憶が戻ってきたようだ。サリーさんが額を押さえて、記憶をたどりながら呟く。


 俺はサリーさんとの穏やかな時間に少し未練を感じたが、振り切ることにした。俺の知る限りのことを説明する。

 ここは国境の湖の近くで、サリーさんはヤード公の私兵に塔を襲撃され、さらわれてきた。ヤード公はサリーさんの返事も聞かずに王子に差し出すことにしたのだ。眠くてたまらなかったのは、ネムリイバラの棘で刺されたから。


「ネムリイバラで眠らせてまで?大叔父様、どうしてそんなに性急に……そんなにお急ぎなら、状況を説明してくだされば対応したのに」

 サリーさんが考え込む。素直で人を疑わないのはサリーさんのいいところだけど、今はもどかしい。正当な説明なんかできないから強硬手段に出たのだ。ただそれをわかってもらえるように説明するのも難しい。


 サリーさんがふと気がついたように顔を上げた。

「クロノはどうしてここにいるの?ベラを連れて行ってくれたんでしょう?私、そんなにたくさん眠っていたのかしら」

 俺は今度はこちらのことを説明した。

 マリベラさんを送り届け、そこで魔女の塔の襲撃を知ったこと。必死に戻り、捕らえられたヴィオさんを助けて、サリーさんがさらわれたことを聞いたこと。急いで追いかけるために、俺だけトマ師の転移魔法で飛ばしてもらったこと。


 サリーさんは戸惑ったように俺を見た。

「転移魔法はそんな風に使えないはずだわ。位置を細かく決めなければいけないもの。でも、トマ先生ならできるのかしら。だけど……」

 サリーさんが両手で両頬をむにむにと揉む。しばらくサリーさんはそうして考え込んでいたが、ふっと顔をあげて笑った。


「きっとトマ先生だからできたのね。すごい魔法使いだもの。クロノも、そんなに危ない役目を引き受けてくれてありがとう」

「危なかったのかな」

「危ないわよ。目印もなしに飛ばすんだもの。頭や手足がバラバラにどこかに行ってしまわなくて良かったわ」

 俺は今更ぞっとした。ちゃんと確認しなくて良かった。説明されていたら集中できなくて、より危険だったに違いない。


「それでも危なかったけど。急に空から降ってくるんだもの」

「そうだ、サリーさんはどうしてあの時あそこにいたの?」

 くすくす笑っていたサリーさんが、首を傾げる。

「寝ぼけたんだと思う。目を覚ましたら知らないところにいて、知っている人が誰もいなかったから、怖くなったの。だから、帰らなきゃ、って思って」

 その割には王子しか追いかけていなかったな。ふらふらだったから逃げようがないと思って、わざと逃して楽しんでいたのだろうか。意地の悪いことをする奴だ。思い出しても腹が立つ。


「でも、クロノの声がして、やっとほっとしてそっちを見たら……驚いたわ。何だかもうわからないうちにあなたは湖に落ちちゃって、私は寝ちゃったみたい」

 サリーさんがおかしそうに笑う。


 俺も少し笑い、深呼吸して、覚悟を決めた。

「サリーさん、ごめん。その時、サリーさんは魔法を使って俺を助けてくれたんだ。眠くて覚えていないかもしれないけど」

 手のひらに砕けた石を乗せて差し出す。

「水が向かってくるみたいに動いたんだ。そうでなかったら、あの高さから落ちたんだから、俺はきっと無事ではいられなかったと思う」

 サリーさんがのぞき込み、息を飲んだ。


「その魔法は、きっとこの石の力を使ったんだよ。サリーさんのお母さんの形見の石」

「お母様の……」

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