第143話 眠る君は、俺が守る(やっぱりエロはありません)
エリアさんはビニール袋をぱん!と広げた。常に使い捨てのビニール袋を持ち歩いているらしい。同じような袋にまとめられているのは、サリーさんの服か。
「俺はいいです、タオルで拭きます」
「そんなものでは乾きません。大丈夫、通りの向こうのコインランドリーには超特急仕上げがあります。二十分でできますよ。早く」
俺はビニール袋を持たされて風呂場に続く脱衣所に詰め込まれた。え、え、脱がなきゃいけないのかな。
「まだですか」
エリアさんが急かす。俺は慌てて上着と、少し考えてからズボンも脱いでビニール袋に入れ、脱衣所の扉を細く開けて差し出した。
「……全部です。シャツも、下着も、靴も!」
新しい袋が戻ってきた。
「いいです、それは大丈夫です!」
俺は必死に訴えたが、エリアさんは聞き入れてくれなかった。
「姫殿下をいつまでバスローブで寝かせておくんです?あなたが脱がないと、私はいつまでも洗濯しに行けませんよ」
それはもはや脅しでは。でも嫌だ。女の人にパンツまで洗ってもらうなんて。
「クロノさん、こんなにお若いご婦人に男の下着を触らせる訳にもいきませんから、俺も一緒に行ってきます」
扉の外からトミヨ君の声がする。男ならいいということでもない。けれど、女の人よりはマシだ。マシだけど嫌だ。だいたい、待っている間、俺は裸じゃないか。
そしてエリアさんはわかっていないような気がするのだが、例えば意中の女性が眠る鍵付きの部屋に、不埒な輩が裸でふたりきりで配置された場合、その男が裸であるということは抑止力にはなり得ない。
ある意味服を脱ぐという手順をひとつ省くだけのことで、余計に危険なのだが。俺は違うけれど。
その今ひとつわかっていないエリアさんが俺を急かす。
「お風呂に浸かっているうちに済みますよ。このやり取りの時間で終わるくらいです。早くしてください。脱げないなら、手伝いますよ」
「やめてください!」
根負けして、俺はシャツも下着も全部脱いでビニール袋に入れた。
脱いで初めて気がついた。脇腹に痣がてきている。これは。
俺ははっとした。慌てて上着の袋を戻してもらい、ポケットを探る。
「ああ……」
俺は思わず声を漏らした。
俺が湖に落ちた時、水が、こちらに向かってくるような不自然な動きをしていた。
あれは魔法だったのだ。サリーさんがきっと、俺を助けようとして咄嗟に魔法を使い、封印のせいで力が足りなくて。
俺がお守りにと持ってきてしまった、サリーさんのお母さんの形見のペンダント。大切な、みんなの思いのこもった石。
その透明な涙型の石は、砕けて粉々になってしまっていた。
やっとサリーさんの手に戻ったものだったのに。ヨスコさんが雪の中の川に入って拾った、大切な石だったのに。
「どうしよう……」
大きな破片でも、元の石の半分どころかその半分にもならない。泣きたくなるが、砕けた石を元に戻す術が俺にはない。
でもこれがなければ俺は水面に叩きつけられて、こうして無事ではいられなかっただろう。だけど。
持ってくるんじゃなかった。サリーさんもヨスコさんも、悲しむだろうな。
深くため息をつくと、体が一層冷えていることに気が付いた。そして、辺りが静まり返っていることにも。
エリアさんとトミヨ君がいない。もう出かけてしまったのだろうか。
俺は再度ため息をつき、がば、と頭を上げた。
俺は思い切って脱衣所から顔を出した。
やはり誰もいない。誰もいない……いない!?
俺は愕然とした。
2人が出かけて、俺は裸で風呂場から出られなくて……誰がサリーさんを守るんだよ!
鍵はかけて行ったようだが、部屋をとったのがあの王子だ。鍵なんて何とでもなるだろう。チェーンでもあれば気休めになるのに、当然そんなものはない。
俺しかいない。俺がサリーさんを守らなければ。
俺は差し当たってタオルを腰に巻いた。下が素通しですかすかする。不安だ。
夜会服で走って下半身がパンツだけになった時は、あんなに頼りなく苛立たしく思ったのに。今はパンツがどれだけ頼もしい存在だったのかを痛感している。
溺れた時は息さえできればいいと思ったのに。
それからいくらも経たないうちに、俺はパンツを履きたい、パンツさえ履ければ他には何もいらないとすら思っている。人間の欲には限りがない。パンツがない不安。人生にはこんなに心細いことがあるのか。
それでも俺はサリーさんを守らなければならない。
俺はそろりと脱衣所を出た。他意はない。サリーさんを守る、俺にあるのはその気持ちだけだ。本当に。見た目はもう、言い訳のしようもない格好ではあるけれど。
サリーさんは広いベッドの真ん中で、ちょこんと眠っていた。よく眠れているようだ。可愛い寝顔だ。
俺は少しだけ寝顔を見つめ、守りたいものを確認した。
俺はカーキ色の女性から取り上げた革の袋から、注意深くネムリイバラの棘を取り出した。袋にはバラの枝を指先ほどの長さに切ったものがまだいくつか入っている。
これで罠を仕掛けるのだ。だって俺がここでこんな格好で見張りをしていたら、違う誤解を招くじゃないか。
何かあっても眠らせてさえしまえば、真っ裸の俺がそれから飛び出しても何とか間に合うはずだ。あの2人が帰ってきて止める間もなく引っかかっても、知るか。
サリーさんに良からぬことをしようと侵入してきた者を、どうすればこの棘で仕止められるか。本当なら眠り姫くらいバラの棘で埋め尽くせたらいいのだが、これしかないから効果的に配置しないと。
俺は周囲を警戒しながらできる限りの予測をした。例えば、悪漢がもし無作法にも眠るサリーさんにのしかかろうとするなら手を置くのはここか、とか、キスをしようとするならここに触れそうだ、とか。
……あんまり悪漢の気持ちになると、変な感じになりそうだ。冷静に、冷静に。
タオルが時々ずり下がりそうになって気になる。最後の1枚が頼りない。体勢によってはおそらく丸見えだろうし。ああ、パンツ履きたい。
俺は何とか棘を仕掛け終えた。緊張し過ぎて汗をかいたが、裸だから少し落ち着くとすぐに冷える。
もう少しだけ、と思ってサリーさんの寝顔を見ていたらくしゃみが出そうになった。
「へぶしゅ」
こらえたら却っておかしな音が出た。ぎょっとしてサリーさんを見る。まずい、起きそうだ。
俺は慌てて風呂場に駆け込んだ。
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