第140話 私、どうしちゃったんだろう
何か変だ。俺はサリーさんを注意深く見つめた。
眠そうなサリーさんは何度か見たことがあるが、こんなではなかった。記憶も少し曖昧になっている。
「……サリーさん、どうしたの?」
俺は手に力を込め、サリーさんの顔をのぞき込んだ。苦労して目を開いたサリーさんは、ぼんやりと俺を見つめた。
「眠くて、起きて、いられないの」
そしてサリーさんは目を閉じながら、微かな声で消え入るように尋ねた。
「クロノ、どうして、ここにいるの?ここはどこ?私、どう、しちゃったんだろう……」
俺は異変を確信して女性たちを見た。黄土色の女性はきょとんとしたが、カーキ色の女性はさっと目をそらした。
「殿下に何をした?」
カーキ色の女性をじっと見る。女性はいえ別に何も、とあたふたして答えたが、再度質問を繰り返すと観念したように答えた。
「……連れてくる時に、暴れないように、ネムリイバラの棘を刺して……」
黄土色の女性がはっとしたようにカーキ色の女性を見る。俺は黄土色の女性にネムリイバラのことを尋ねた。
「棘に毒があって、刺さると眠ってしまうんです。生えているものなら数時間。切って鮮度が落ちてしまうと、それにつれて眠りの時間も短くなります」
それなら予備の棘を持っているだろう。俺はカーキ色の女性にそれを渡すように言った。女性は渋ったが、俺が剣に手をかけると観念したように革の袋を差し出した。
「そんなにたくさん……」
黄土色の女性が声を上げる。
「ネムリイバラはこの国の高山の固有種で、すごく高価なんです。私たちのお給料ではとてもこんなに買えないわ」
もちろん彼女が自分の給料で用意したのではないだろう。誰が用意し、使うように指示したのか。
もちろん王子とヤード公だ。
俺はカーキ色の服がヤード公の家の者、黄土色が相手方だということを察した。やはりこちら側の従者は言い含められていて、毒まで使うのだ。
誰も信用できない。サリーさんには今、俺しかいない。
俺はサリーさんの手を握った。小さな手は力なく、俺に握り締められるままだ。
時間が経てば、みんなが迎えに来てくれるはずだ。
それまで俺がサリーさんを守り抜かなくては。
黄土色とカーキ色の女性がタオルを手におろおろするが、俺はサリーさんに触れさせなかった。
黄土色の女性がちゃんと拭かないと風邪を引きます、と震える声で主張した。それに対して俺は、では斬りますと返した。彼女は黙った。サリーさんに風邪を引かせたくはないが、これ以上の毒はごめんだ。
サリーさんは青白い顔で眠っている。手が冷たい。濡れた服を着替えさせたいが、サリーさんがこの状態で、俺ひとりではどうしようもない。
俺はサリーさんを少しでもあたためたくて、手を握り続けた。俺も濡れているが、男の俺の方が体も大きい分いくらかあたたかいはずだ。俺の体温を全部、サリーさんをあたためるために使えたらいいのに。
しばらくそうしていると背後でごとりと音がした。
「おい、メガネ!なれなれしいぞ、僕のセーラレインが
それと共にやけにきいきいした喚き声がする。
僕の、だと。しかもサリーさんを呼び捨てるとは、お前の方がなれなれしい。
カチンときて振り返る。少し離れたそこには、金色の服、そして見事な金髪の男性が、こんな湖の岸辺には不釣り合いなほど豪華な椅子にふんぞり返っていた。さっきまでそんなものはなかったはずだ。いつの間に。
「離せと言っているだろう!メガネの癖に!」
「……」
俺はサリーさんの手を離すことも忘れてその不審な男に見入った。男の後ろには黄土色の衛士らしいごつい男性たちが控えている。彼らが椅子を運んできたのか。もしかしたらこの男ごと。ご苦労なことだ。
男はまだ何かきいきい叫んでいるが、声が変に甲高い上に滑舌の悪い早口で、何を言っているのかよくわからない。まあわかりたくもないし、わかる必要もないだろう。
そうして喚き散らしながら時折これ見よがしに髪を払う。見事な金髪がその度に風になびき、輝く。実に見事な金髪なのだが。
その下の顔は、やけにつるんとしている。全体的に腫れぼったくて凹凸に乏しく、顔が大きいのに部品が小さいのだ。そのため土台はさらに膨張して見え、目鼻口はより小さく見える。
しかしその大きな土台たる肌にハリはなく、たるんでいて、くすみが年齢を感じさせる。その割に皺がないから間伸びして気持ち悪い。俺より年上そうなのに。
その男がまるで美男子然とした仕草で髪をいじり、顎と首の境目がないのに懸命に肉を揺らして喚き、黙れば口をとがらせて不機嫌を表している。何だこの人。
唖然としていると、後ろからやけに肌を露出した意匠の、黄土色の服をまとった女性が3人現れた。俺は見たくはなかったのだが、本当に見る気はなかったのだが、こぼれそうな豊満すぎるおっぱいと、ほぼこぼれている豊かなお尻に一瞬釘付けになった。不慮の事故としか言えない。
3人は水着に申し訳程度のヒラヒラのついたような、曲線を隠す気のない衣装を身につけて堂々と立ち動いた。慣れているらしいのが俺にはどうも受け入れ難い。目のやり場に困るどころか、やり場がない。この格好で普段着って、どこのサンバだ。
その上3人はこれまた見事な金髪を揺らしながら、男にまとわりつくようにした。彼女たちは金髪碧眼のバタ臭い美人なのでそんな様子もまあサマになる。しかし男の方は彼女たちが媚びるほどの存在にはとても見えず、激しい違和感を残した。
彼女たちと並ぶとさらに男のバランスの悪さが際立つ。男は顔が大きく手足が短く、腹が出ている。しかも全体たるんでいる。ハリがあるのは金髪だけだ。ワカメが主食なのだろうか。それならこんな腹にはならないか。
こんなグラマーな美人がこんな男を相手にするとは。しかし彼女たちにとってそれは日常らしい。
絡みつくように彼女たちは各々の自慢らしい部位を男の頬にこすりつけた。それが挨拶の一端らしいが、人前で、大の男の頬に、大人の女が、胸や尻や太腿の内側をこすりつけるって何だ。破廉恥な。
破廉恥という言葉をまともに使う時が来るとは思わなかった。サリーさんが眠っていて良かった、こんなところ絶対に見せられない。
薄着の女性たちはひと通り男に自慢の体を見せつけた後、ひとりは男に何ごとか耳打ちし、2人はかがみ込んでレースの手巾を取り出した。ここから見てもわからないが、男の上着の裾が濡れているらしい。女性たちが男の金の上着の裾を、変に思わせぶりなねちっこい手つきで拭き始める。そんなもので、そんな手つきで水分が吸収できるか。タオルを使ってごしごし拭け。俺はげんなりした。
勘弁してくれ。恥知らずにも程がある。
そこでやっと俺も気が付いた。そういえばこいつ、さっきサリーさんに抱きついていた奴じゃないか。
俺がはっとすると、相手も俺を見て合点したような顔をした。耳打ちをしていた金髪美女もこちらを一瞥して、男に絡みつくようにして控える。俺のことを教えたらしい。
思わず手に力が入ってしまった。サリーさんがわずかに目を開け、俺の視線を追って、うつろに言う。
「ゴーベイ様よ……」
「あれが」
思わず振り返る。男は俺の声を聞き咎め、短い足をばたつかせて怒った。
「無礼者!僕を何だと思っている、お前の主人のセーラレインの主人になる、ゴーベイ・ノ・アリワラ王子だ。下郎め、頭が高い、ひれ伏せ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます