異世界に転生したら、婚約破棄されたわがまま姫魔女の従者になってしまいました。でも何だか俺の前でだけ、えらく可愛いんだが。
第139話 溺れる者はしがみつく(救助の際は二次遭難に十分注意し、訓練されていない人は泳いで助けに行くことはやめましょう)
第139話 溺れる者はしがみつく(救助の際は二次遭難に十分注意し、訓練されていない人は泳いで助けに行くことはやめましょう)
水がこちらに向かってきたように見えた。悲鳴を上げ続け、さらに予想以上に早く水がきたので、俺は息を吸う間もなく水に落ちた。
体中に受けた衝撃は危惧したほどではなかったが、水に揉まれて上下もわからない。ひたすらもがく手には水の感触しかない。苦しい。息が続かない。まずい、このまま溺れ死ぬのか。
俺は気が遠くなりながらも水面を求めて水を掴んだ。
死んでたまるか。転移魔法まで使ってただ溺れて死んだら、トマ師があの世まで説教に来かねない。
サリーさん、サリーさん、今行く。絶対。
指先に何かが触った。
俺は夢中でそれにしがみついた。するとそれは俺を振り解こうとした。離したらもう助かる術はない。俺は必死にしがみつき続けた。
業を煮やしたのか、それは、おそらく人の手であるそれは、俺を沈めようとしてきた。俺は懸命に逆らったがもう力が残っていない。力が抜け、最後の空気を吐き出してしまう。水が入ってくる。
サリーさん。ここまできたのに。
「……」
頭を押さえつけられ、俺はついに意識を失った。
頬がひやりとした。風だ。
風。
「がはっ、げほ、うえぇ」
はっとして息を吸い込み頭を動かしたら、ひどくむせた。そのまま膝をつき、両手をついて激しく吐く。
吐いた水が草を通して土に染み込んでいく。風が濡れた体を撫でるのがわかる。
陸だ。助かったんだ。
背中をさすられ、涙目で振り返るとカーキ色の服の青年だった。彼もずぶ濡れだ。彼が助けてくれたらしい。咳き込んでいて声も出ないが、謝意をこめてとりあえず頭だけでも下げる。
俺は彼に支えられて水から引き上げられたところのようだった。湖はすぐ後ろだ。引き上げられてすぐに俺は目を覚ましたらしい。
水を吸った服が重い。が、手足も無事だし、メガネも剣もなくしていない。良かった。
とりあえず水を吐いてしまって、息をする。息ができる。息ができるっていいなあ。
「……サリーさん!」
俺は立ち上がろうとしてよろけた。息をしている場合じゃない。
「急に立つと危ないですよ」
「サリーさん、あの、姫殿下はどこですか!」
俺はまだ咳き込みながら辺りを見回し、青年に尋ねた。青年が苦笑して少し向こうを指差す。
「サ……」
サリーさんはほど近い木陰に、ぐったりと横たわっていた。両側に若い女性が2人、静かに控えている。
「サリーさん!」
俺は駆け出してまたよろめいた。足が言うことをきかない。気持ちばかりが焦り、のめりそうになりながら懸命に足を運ぶ。
「サリーさん、サリーさん!」
サリーさんに手が届く前に待ちきれずに叫ぶ。サリーさんは濡れた髪をそっと拭かれながら目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。
そんな。
俺はサリーさんに掴みかかるようにして叫んだ。
「嘘だろ、サリーさん、サリーさん起きて!」
「おやめください、乱暴しないで!」
止めようとする女性を振り払い、俺はサリーさんの肩を掴み、揺すった。
「サリーさん起きて」
黄土色の服の女性が俺を引き離そうとするが、俺は止まらなかった。
力なく揺れ続けるサリーさんが不意に滲んでぼやける。俺は涙で詰まる声を絞り出した。
「サリーさん……!」
されるままだったサリーさんの眉間が、嫌そうにきゅっとしかめられた。
ん?
「サリーさん?」
こわごわ呼びかけると、サリーさんの目が細く目が開いた。驚いて見開いた俺の目から、溜まってしまっていた涙がぽろりとこぼれる。サリーさんはぼんやりと俺を見つめた。
「クロノ、どこか、痛いの……?」
俺はサリーさんから手を離し、へたへたと座り込んだ。
サリーさんはひどく眠そうだった。
「クロノ、大丈夫?」
か細い声で心配そうに尋ねられ、俺は慌てて答えた。
「俺は大丈夫。サリーさん、心配したよ」
「心配したのは、こっちよ。あなたは、無茶ばかりして」
サリーさんは少し笑い、ふっと目を閉じ、また何とか瞼を開けた。今にも眠ってしまいそうになるのを必死になって起きているようだ。
だが、ひどく眠そうな以外にはケガもなさそうだし、服も濡れているが乱れたりもしていない。様子も落ち着いている。
間に合ったのか。俺はようやくほっとした。
「せっかくお休み中でしたのに。無礼者!」
「すみません」
さっき俺が振り払った黄土色の女性が俺を押し退け、サリーさんを拭く作業に戻る。俺はおとなしく避けた。
サリーさんは頭からすっかり濡れてしまっているようだった。さっき湖のかなり近くにいたから、水をかぶってしまったのだろう。両側から女性2人に拭かれているので時々タオルに埋もれてしまう。
両側の女性はそれぞれカーキ色と黄土色の服だ。さっき俺を助けてくれたのもカーキ色の服の男性だった。他にもそれぞれ同じ色の人がまわりでうろうろしているから、おそらくそれぞれの国の担当部署の制服の色なのだろう。
「クロノ、ベラは?」
うとうとしていたサリーさんは、ふと目を開けて尋ねた。俺はうん、とうなずいた。
「ちゃんと送り届けたよ」
「……泣いてなかった?」
俺は答えあぐねた。それが答えになったように、サリーさんはそう、と少し悲しそうに呟いて目を閉じた。
サリーさんはまたしばらくうとうとして、目を開けた。
「クロノ、ヴィオが、髪を引っ張られたの。助けて」
細く開いた目にぼんやりと恐怖を浮かべ、サリーさんが俺にゆっくりと手を伸ばす。俺は慌ててその手を取った。
「大丈夫、助けたよ。ヨスコさんとカズミンもついてるよ」
「ヨッちゃんが。良かった、じゃあ、大丈夫ね」
サリーさんがまた力尽きたように目を閉じる。
君は、こんな時なのに人のことばかり心配している。君らしい。
俺は思わず微笑んで、眠るサリーさんを見つめた。そしてやっと気付いた。
何か変だ。
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