第138話 姫様を追いかけろ

 カズミンの背から降りたトマ師が嘆息する。

 「王は城の全ての鍵を持つのじゃ。もちろん魔女の塔の鍵も。摂政の引き継ぐ役目には、鍵の管理も含まれておる。じゃが、ここまでするとは……」

 鍵を持っていたのなら、侵入は容易だっただろう。

 2人にするんじゃなかった。

 後悔しても、もう事は起こり、サリーさんは連れ去られてしまった。


 サリーさんを今すぐ取り戻せるような魔法はないそうだ。

「転移の魔法は正確な位置がわからんと使えんのじゃ」

「じゃあ他に、サリーさんに追いつけるような魔法はありませんか」

 俺は必死に尋ねた。じきに昼になる。王子と会ったら何をされるかわからない。味方のはずのこちらの従者もあてにならない。何とか王子に会う前に、俺たちでサリーさんを守らないと。


 トマ師は皺くちゃの顔をもっと皺だらけにして考え込んでいたが、ふ、と息をついた。

「何かありますか」

 勢い込んで尋ねる俺に、トマ師は静かに目を向けた。

「クロノ殿だけなら何とかなるかも知れん。じゃが、わしも試みたことはないし、何が起こるかは保証できん。危険の方が大きいと思う」


「それをやってください」

 俺は即座に答えた。

「早く、サリーさんに追いつけるならそれを」

「待ちなさいよクロノ、危険だってトマ爺が言ってるでしょう。トマ爺、そんなに危険なら私がやるわ。私の方がクロノより頑丈だし、何にでも対応できる。それに」

 カズミンは俺にばちんとウインクしてみせた。

「クロノに何かあったら、やっぱりサリーが泣くことになるじゃない。私に任せて」


 しかしトマ師は首を振った。

「クロノ殿しかできん。魔女の祝福を受け、姫様の魂を分け与えられたクロノ殿しか」

「魔女の、祝福……!?」

 カズミンと、泣いていたヴィオさんが俺を見つめた。俺はそれに応える余裕もなく、トマ師を急かした。

「トマ師、お願いします。早く」

 トマ師はうなずき、すぐに床に模様を描き始めた。


「クロノ殿は姫様を思うのじゃ。できるだけ強く。魂の呼び合う力を辿るからの」

「はい」

 俺はペンダントを握りしめた。サリーさんのお母さん、王様。力を貸してください。


 トマ師の歌が始まる。

 床の模様の中心に立ち、俺はサリーさんを思った。


 サリーさんの色んな顔が浮かぶ。怒ったり泣いたり、ツンとすましていたり。驚いたり戸惑ったり、眠そうだったり。


 魔女の祝福をくれた時は、とても強い目をしていた。

 その心の強さが魔女ということなのかと思った。研ぎ澄まされ過ぎて、予測の外に少しだけ力が加わるだけで折れて砕けてしまう。そのことを恐れない強さをサリーさんは持っていて、俺に示してくれた。

 その思いを貫いてくれたから俺は今、ここにいる。

 

 俺がサリーさんに好意を持ったばかりに。 

 

 いつからだろう。初めて会った時はそうではなかったような気がするが、もう思い出せない。ずっとずっと、会う前から好きだった気がする。

 

 だから君が俺のために死をも厭わないことが、俺は恐ろしくてたまらなかった。だから恋人ごっこをやめて、でも俺の気持ちは、もしかしたら君の気持ちも変わらなくて。


 君と、何度かキスをした。

 初めはそれでも嬉しくて幸せなものだったのに、この前も、その前も、君とのキスはつらくて苦しい。


 それは君も同じだろう。だから余計につらいし、愛おしくてたまらなくなる。

 

 俺は深く呼吸した。思い出を辿る。

 俺はサリーさんの全部が好きだけど、こうしていて一番浮かんでくるのは、笑顔だ。

 おいしいものを食べてふにゃふにゃになったり、子供みたいにはしゃいだり、別人のように気高かったり、かと思うと腕の中でちょっと恥ずかしそうだったりしながら、サリーさんはたくさんの笑顔を俺に見せてくれた。


 サリーさんが笑うと本当に嬉しい。その笑顔のためなら俺は全てを捧げる。

 サリーさん。サリーさん、どうか無事でいて。


 胃が迫り上がるような不快感が俺を襲った。


 思わず目を閉じ、開くと、俺は空の下にいた。

 塔にいたはずなのにと思い、すぐに気付く。

 転移したんだ。

 魂が呼びあったのだとしたら、近くにいるはずだ。どこだ、サリーさん。

「サリーさぁぁ……ぁぁあああ!?」

 俺は叫びながら落下した。

 床がない!


 俺は空中にいた。咄嗟に周囲、というか下を見る。

 湖の真上だ!

 俺は湖が湖だと認識できる程度の、結構な高所から落下していた。下が水でも、これはまずいのではないか。小学生の夏、近所の淵で度胸試しの飛び込みに失敗し、水面に叩きつけられたことを思い出す。

 今回はその何倍も高い。下手したら死ぬ。

 そう思いつつ悲鳴を上げて落下しながらも目を凝らし、俺ははっとした。

 

 いた!サリーさんだ!

 サリーさんは何だかふらふら湖のほとりを歩いていたが、俺の悲鳴に気付き、こちらを見上げて唖然とした。そこに追いかけてきたらしい金色の服の人物がサリーさんに追いつき、抱きすくめた。

 何をするんだ!俺はカッとしたが、落下中だ。悲鳴は出続けているが、手も足も出ない。

「クロノ!」

 サリーさんは金色の人物を振り解いて湖に駆け寄り、不思議な抑揚で手を振り、ひと声叫んだ。俺の腹に殴られたような衝撃が走る。

 俺の下の水が膨れ上がった。俺を飲み込もうとする。


 と、長々と説明してきたここまで一連の流れが落下中の一瞬で起こり、俺は。

 どぼーん。

 水飛沫を上げて湖に落ちた。

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