第141話 頭が高い!>>知りません、下げません、いくら軽い頭でも
「僕はお前の主人のセーラレインの主人になる、ゴーベイ・ノ・アリワラ王子だ。下郎め、頭が高い、ひれ伏せ!」
俺は無視した。するときいきい声はますますうるさく喚き始めた。
サリーさんの長い白い睫毛が震える。目を開けようとしているようだ。うるさいからだ。
無理しないで、眠っていていい。俺が守るから。あんな男を、もう一瞬だって見てほしくない。
サリーさんが薄く目を開ける。俺は苛立った。あの王子め、黙らせてやろうか。不意打ちなら自信がある。
そんな俺の気持ちが伝わってしまったのか、サリーさんが少し手に力を込めて呟いた。
「クロノ、ケンカ、しないで……」
ひどく不本意だが、サリーさんが言うなら仕方ない。俺はちょっと頭だけ下げてやった。
王子はそのわずか数センチの上下が気に入らなかったらしく、きいきい喚いた。が、俺は水が耳に残ったのかな、聞こえないや、ということにして知らんぷりした。こんな奴に、いくら俺の軽い頭でもこれ以上下げられるか。
王子は顔を真っ赤にして立ち上がった。立つと手足の短さと背の低さが際立つ。
「男の侍従を入れたとは聞いていたが、連れてくるのを許した覚えはないぞ!メガネ、お前まさか、僕のセーラレインに不届きなことを働いてはいるまいな!」
さすがに聞き捨てならなかった。自分こそ裸みたいな格好の女性を3人も従え、ちょっぴりだけ濡れたらしい服の裾をいつまでもねちねちと拭かせておきながら何を。不届きなのはお前だ。そしてサリーさんはお前のじゃねえ。
「クロノ」
サリーさんが目を閉じたまま、わずかに手に力を込めて俺を制する。
俺はうなずき、荒れた心を整えようとサリーさんを見つめた。あれの後だと、いつもきれいなサリーさんが百倍、いや千倍きれいに見える。いや百万倍。倍率はいいか。
俺は改めて決意した。
絶対に君を、こんな奴に嫁がせることはできない。
これ以上は指一本触れさせず、連れて帰る。
「メガネ、さっさと国へ帰れ!」
唾を飛ばして王子が怒鳴る。俺は返事をしなかった。王子がきいきいまた何か言っているが、知るものか。
王子はひとしきり喚き散らした。腹の虫は収まらなかったようだが、それよりも目的を思い出したらしい。
王子はぶつぶつ不平を言って椅子に座り直した。そして、相手をしない俺より、言うことを聞く従者たちに向かって話し始めた。
「皆の者、セーラレインは疲れているのだ。妻になる分際で主人たる夫の僕より先に疲れるなんて、そんなザマでさぞかし恐れ多かろう。だが心配することはない。婚約者たる心の広いこの僕はそれを許し、勿体なくも自らの手で、介抱してやることにした」
俺ははじめ聞き流していた宣言を理解し、ぎょっとした。
「休ませてやる部屋を手配し、用意してやったから、そちらへ運ぶのだ」
王子がきいきい喚く。おい、待て、部屋って。
俺は慌ててサリーさんを強く揺すった。
「サリーさん、サリーさん起きて。歩ける?」
つらそうに薄く目を開けたサリーさんを、急いで支え起こす。
「うん……」
何とか立ちあがろうとするサリーさんの体はぐにゃぐにゃで力が入らない。しかし王子の手に任せる訳にはいかない。かといってここで抱きかかえるのもはばかられ、俺は何とかサリーさんを支えて立ち上がった。
「メガネ、セーラレインに触るな!僕の家来が運ぶからどけ!」
俺は近寄ろうとする黄土色の従者たちを牽制して身構えた。
「殿下は自分で歩けます。介抱はいりません。俺が支えますので、その部屋へ案内してください」
「メガネ、お前は来るな!」
「お休みになるなら殿下の身支度の手伝いが必要です。侍従ですからお供します」
サリーさんがひどくぐらぐらする。身長が合わず上手く支えられない。俺は腕一本で何とか支えながら、やはり抱き上げるしかないかと思った。
その時、さっきまでタオルを持っていた黄土色の女性が、反対側からサリーさんの肩を支えてくれた。身長も無理がないようで、ようやくサリーさんが安定する。
「殿下の婚約者の姫殿下を、男性とふたりきりにはできません。私もお供いたします」
黄土色の女性はキッと俺を睨みつけた。ありがたいくらいだ、俺だって変な疑いを持たれたくない。でも部屋に着いたらもうサリーさんには触らせない。誰も信用できない。
「お、お前まで!来るな!誰も来るな!僕がせっかくセーラレインをモノに、いや、介抱してやると言っているのだぞ!邪魔するな、ネムリイバラは高かったんだぞ!」
王子が叫ぶ。俺の反対側でサリーさんを支える黄土色の女性がはっと息を飲む。そして周囲の者が、水着みたいな服の女性たちですら、ぎょっとしたように王子を見た。女性たちの手が王子から離れる。
「殿下、まさかと思い信じられませんでしたが……本当にそれを、ネムリイバラを姫殿下にお使いになったんじゃないでしょうね!卑劣な!」
黄土色の女性が叫ぶ。あれ?
「う、う、うるさい、下女め!僕に口答えなど無礼だぞ!お前みたいな黒髪は黙ってろ!」
王子は何かまずいことを口走ったらしい。従者の様子に焦ったように王子はきょろきょろして脂汗を滲ませながら、それをごまかすように怒鳴り散らした。
しかし黄土色の女性は負けなかった。
「姫殿下はゆっくりとおひとりでお休みになっていただきます!ネムリイバラの寝覚めはきつうございますから!」
黄土色の女性は、王子の後ろでおろおろしている同じく黄土色の制服の男性に、さっさと案内しなさいと命じた。男性が弾かれたように動き出す。
「クロノさん、俺もお供します」
さっき俺を助けてくれたカーキ色の青年が駆け寄ってきた。着替えたらしく、濡れているのは髪だけだった。しかし助けてもらったとは言え、彼もヤード公の家来だ。信用できない。
俺は身構えたが、彼はそっと鞘の内側を見せた。
あ、黒いリボン。え、じゃあ君。
青年が囁く。
「名誉騎士団長、俺も魔女の騎士団です」
仲間がまた増えた。俺は気が抜けて倒れそうになった。力が抜け、サリーさんがぐらつき、黄土色の女性が小さく悲鳴を上げる。
「ご、ごめん」
「大丈夫です」
気丈に答える女性を助けるように、カーキ色の青年が寄り添う。そう、騎士(未来の)は女性に親切なのだ。
俺たちはきいきい喚く王子を置き去りにして、サリーさんを支えて休憩所に向かった。
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