第133話 勿体ないけれどお前にも教えてやろう。君と剣にかけて誓った大切な約束を

 マリベラさんが高らかに声を上げて笑う。

「ヤード家の私兵が今頃、魔女の塔を囲んでいるわ。サリーを塔から引きずり出すために」

「え?」

 兵を出したとは言っていたけれど。


 俺とヨスコさんは息を飲み、マリベラさんを見た。

「引きずり出すって、まさか、塔を襲う気!?ベラ、あなた、何を」 

 ヨスコさんが愕然として、しかしマリベラさんが逃げ出そうとするのを無意識のように押さえつけた。灰色の服の2人もそれに加わる。


 違う、ヨスコさん。今聞きたいのはそれじゃない。じれったい。

「マリベラさん、サリーさんをどうする気だ!?」

 俺は地に伏したままのマリベラさんに掴みかかり、問い質した。無理に顔を上げさせられたマリベラさんが表面だけで笑う。

「年寄りは気が短いの。もう今までみたいにまどろっこしいことはやめて、この機に、サリーを捕らえてゴーベイに引き渡すことにしたのよ。嫁ぐことは決まっているのだから、新居に入るのが多少早くても問題ないと、ゴーベイが急かすんですって」


 マリベラさんが瞬きもせずに目を見開き、口だけを動かして答える。ヨスコさんがかぶりを振って叫ぶ。

「嫁ぐ?サリーがまた、ゴーベイ王子に?嘘だ、そんな話、議会が許可するはずがない!」

「したでしょう。私の結婚がなかったことになったんだもの。全部やりなおしになっただけよ、初夜もね」

 俺は全身が冷たくなる気がした。


「私の役目はあんたたち2人を魔女の塔から引き離すことだったのよ。ログの私兵は数で勝るとはいえ、剣士がいると少し面倒だからね。ああ、でも残念だわ」

 マリベラさんが汗まみれの赤黒い顔にとろけるような笑みを浮かべた。

「サリーがゴーベイに手篭めにされるのでも、嫌がって飛び降りて死ぬのでもかまわない。サリーが死ぬよりつらい目にあうのを、大事なサリーを踏み躙られてあんたたちが泣く顔を、じっくり見物したかったのに!」


「……マリベラぁ!」

「ヨスコさん!」

 ヨスコさんが剣を抜きそうになり、俺はその手を全身で押さえた。

「離せ、クロノ!」

「ダメだよ、ヨスコさんの剣はこんな人を斬っちゃいけない!」

 その間もマリベラさんが壊れたように笑い続ける。

「もう手遅れよ、今から戻っても間に合わないわ!サリーを塔から引きずり出して、そのままさらってゴーベイに差し出すの。今度は前と違って、こちらの従者も糞ジジイの配下。みんな示し合わせてあるんだもの。あんたたちが駆けつける頃にはサリーはもう傷物よ!」


「黙れ!マリベラ、あなたは……!」

 俺は剣から手を離さないヨスコさんをマリベラさんから無理やり引き離した。マリベラさんは灰色の服の2人に押さえつけられたまま叫び続ける。

「ゴーベイは処女が好きなだけなのよ。サリーの貧相な体なんて、すぐに飽きて投げ出すわ。結婚式の前に捨てられたらいい、貞操だけを奪われて。今度はどんな顔をして国に帰るのかしらね!」

 マリベラさんの金切り声が、冷え切った頭に刺さる。

 ヨスコさんの剣はこんな人を斬ってはいけない。


 斬るのは、俺だ。


 俺はヨスコさんを離し、静かにマリベラさんの前にかがみ込んだ。

「その時は俺がサリーさんを斬るよ」

 叫び続けていたマリベラさんが、戸惑ったように口をつぐんだ。

「約束してるんだ。そんなことになったら、俺がサリーさんを斬って、その後に俺も死ぬ」

 俺は大切な約束をそっと教えた。大事な、大事な、サリーさんとの2人だけの約束。マリベラさんの前で口に出すのが惜しいくらいだ。


 俺は特に声を張り上げたりはしなかった。しかし、マリベラさんが叫ぶのをやめて音のなくなった森に、俺の声はよく通った。

 そのまま激することもなく、淡々と俺は言った。

「でも、もしそうなれば、サリーさんを斬った後、俺は必ずお前を殺しにいく。何があっても。お前とヤード公、ゴーベイ王子は、俺が殺す」


 俺の声が途切れると、マリベラさんの荒い息遣いだけが森に響く。俺は機械的に動くその口元と上下する肩を視界に入るまま眺めながら、ぼんやりと続けた。

「サリーさんにつらい思いはさせない。サリーさんが泣くようなら、俺が斬ってそのつらさを終わりにする。でも、絶対にサリーさんをひとりにはしない。俺も必ず後からいく。だけど」

 意識しないと焦点が合わない。

 殺意とはこんなに、俺の全てを持っていくのか。


 俺は体中に満ちていく殺意を心地よくさえ思いながら、繰り返した。

「その前に、お前は殺す。サリーさんが苦しんだ何倍も苦しませて、それを笑って、殺すよ」


 マリベラさんの顔色が紙のように白くなった。

「……いや!いや、いや、いやよ、助けて!」

 マリベラさんは体をよじった。

「いやよ、助けて!どうしてサリーなの、私がお姫様になりたかったのに!」


 マリベラさんはもがき続け、自由が得られないと悟ると、目の前の土に歯を立てた。

 がり、とマリベラさんの口の中で硬い音がする。

「ベラ、やめろ!」

 ヨスコさんが叫ぶ。がり、ぼり、とマリベラさんの口の中で音がしているが、それは何を砕いている音なのか。


「ベラ!」

 ぼんやりそれを眺めていると、ヨスコさんが俺を押し退けた。マリベラさんに飛びつき、口に指を突っ込む。噛まれ、それでもヨスコさんが手を離さないので、マリベラさんの口元からは赤い血がしたたった。


 その赤に、俺は一旦殺意から解放された。

 俺は慌てて手巾を丸めてマリベラさんの口に押し込んだ。やっとできた隙間からヨスコさんの手を引き抜く。

 マリベラさんのくわえた白い手巾が、みるみる赤く染まる。ヨスコさんの手にも血が滲んでいるが、ここまでではない。

「ベラ」

 ヨスコさんの手から歯と石がぽろぽろこぼれた。ヨスコさんは泣いていた。


 マリベラさんは血も涙も汗も涎も、出せるものを全て流しながら、赤い手巾をくわえてうなった。

 目だけを皿のようにして、過去を、もはや逃れられない自分のこれからを、そして世界中を呪いながら。


「おおおう!」

 叫び続けながら、マリベラさんは灰色の服の2人に引き起こされた。

 手巾をくわえたまま全力でもがきながら、修道院へ引き立てられるマリベラさんが獣のように吠える。

「おおおお!」

 手巾に染みこみ切れなくなった血を顔中に飛び散らせ、マリベラさんはおそらく呪いの言葉を咆哮した。


 扉の奥の老院長は身じろぎもせずにそれを一瞥し、ヨスコさんに短く尋ねた。

「ヨスコッティさん。久しぶりね。セーラレインが言っていたのは、彼女ですね」

「はい。どうか彼女を、マリベラをお導きください」

 ヨスコさんが肯定すると、老院長はマリベラさんを掴む2人に向かってうなずいた。

 灰色の服の2人がうめきもがくマリベラさんをものともせずに引きずって、扉の奥に消ていく。マリベラさんの姿が暗い廊下の影に溶け、声が石の壁に吸い込まれていく。


 ヨスコさんは傷ついた手で立ち尽くしていた俺の手から小さなカバンを取り、老院長の前に進み出て差し出した。

「我が主人、セーラレインより預かって参りました。お納めください。どうぞ、マリベラをお願いいたします」


 うなずき、それを受け取ろうとした老院長は、ふと俺に目を止めた。

「……あなたは、この世の者ではないのですね」


 それは、どういう意味だろう。異世界から来たということか、それとも死から呼び戻されたということか。

「はい」

 いずれにしても同じなので、俺はうなずいた。老院長がわずかに目を細める。

「その傷と、瞳。不完全ですが、魔女の祝福を受けたのでしょう」

 えっ、とヨスコさんが俺を振り返り、息を飲む。

 俺はためらい、しかし、意を決して、答えた。

「はい」


「まさか、本当か、クロノ……!」

「うん」

 途切れ途切れに叫ぶヨスコさんに、俺はうなずいた。

 老院長が静かに、厳しく俺に問う。

「魔女の祝福がどれほどのものか、わかりますか。私たちが神に身を尽くすように、魔女は人に全てを差し出すのです。あなたは彼女に、それだけのものを捧げられたのですよ」


「はい。わかります」

 俺は答えた。

「俺に祝福を授けた魔女はサリーさんです。俺の命はサリーさんのものです。彼女がそう覚悟してくれたように、俺もサリーさんに全てを捧げます」

 老院長はまた目を細め、うなずいた。

「面白い方ね。もっと話を聞いてみたいけれど、あなた方は急いだ方がいいでしょう」


 呆然としたままのヨスコさんの手から寄付金の小さなカバンを受け取り、老院長は再び厳しい表情に戻った。

「マリベラは確かに預かりました。彼女は私たちの姉妹。共に生き、苦しみを分かち合いましょう。時が来れば、彼女の子も共に。では、行きなさい。あなた方とセーラレインに、神のご加護を」

 老院長は厳しい表情を崩さずにすっと背を向けた。それを受けて音もなく両側から扉が閉じ始める。


 名残も何もなく扉が閉じ、森は何ごともなかったかのように静まり返った。

 ヨスコさんがそっと息を吐き、袖で涙を拭う。

「話したいことはたくさんあるけど……走ろうか。話は後だ」

 俺はうなずき、ヨスコさんに続いて走り出した。

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