第132話 計算通りの裏切り

 それでも不安が募ってきた頃、急に森が開けた。

「うわあ」

 森の中に、突然石造りの大きな建物が現れた。俺は驚いて、その建物を見上げた。


 木に埋もれるようにして建つそれは、所々苔むして、長い歴史を感じさせた。

 俺の想像していたようなきらびやかな教会ではなかったが、無駄のない造りもまた厳粛な感じがして身が引き締まる。木々が迫るここからでは全貌が掴めないほど、規模もあるようだ。


「女子修道院だから、クロノはここで待っていて」

 ヨスコさんはそう言い、マリベラさんを連れて入り口の重厚な木の扉に向かった。俺は念のため、さらに少し後ずさった。男性が修道女に触れてはいけないと事前に教えられている。


「あははは!」


 ヨスコさんが扉をノックしようとした時、突然、ずっとおとなしかったマリベラさんが笑い出した。ヨスコさんが物も言わずに身を翻し、マリベラさんを組み伏せる。

「痛いわ、ヨッちゃん。でもここまでよ!」

 扉から少し離れた土の上に容赦なく組み伏せられても、マリベラさんは勝ち誇っていた。


 マリベラさんが森に向かって叫ぶ。

「おじ様、もういいでしょう、助けてよ!言われた通り、2人をここまで引っ張ってきたわ!私を早くここから連れ出して!」

「罠か!?」

 ヨスコさんが鋭く叫ぶ。俺は思わず腰の剣に手をやり、辺りを見回した。マリベラさんが時々地名を呟いていたのは、このための連絡だったのか。


「おじ様!兵を手配してくれたんでしょう!?助けて、修道院なんて嫌よ!早くこいつらをぶちのめしてよ!」

 マリベラさんが叫び続けたが、人の気配はない。俺とヨスコさんは警戒を緩めなかったが、森はしんと静まり返っているばかりだ。

「おじ様!おじ様!?」

 マリベラさんにもそれがわかったようだ。叫び声の調子が変わる。


「ログ様!ログディナジー様!」

「ヤード公の名前だ」

 ヨスコさんは冷静さを取り戻したようだ。マリベラさんを押さえつける手を緩めず、涼しい顔で俺に教えた。


「どうして!?早く、誰か寄越して!」

 マリベラさんが必死にもがき、手を使わずに胸の間から鈴を取り出した。伝鈴だ。そんなところに。

「ログ!どうしたのよ、私、あなたに言われた通りにヨスコッティとクロノを塔からここまで連れ出したわよ!約束したじゃない、早く助けて!」

 マリベラさんが落ちた鈴に食いつきそうな勢いで叫ぶ。


 鈴がジリ、と雑音を発した。

「ログ!」

「……お前はもう、用済みだ。兵など出せるか」

 ジリ、ザリ、と雑音が混じる中、かなり年配らしい男性の声が鈴から聞こえた。マリベラさんの顔色が一瞬で変わる。


「嘘……嘘でしょう、ログ……」

「今、お前のような売女に関わっている暇はない。私の私兵は全て、あの白髪の魔女のために出払っておるよ」


 マリベラさんがヒュッと息をする。森にはやはり、他に人の気配はない。

「ログ……私を切るの?」

 マリベラさんがぜえぜえとおかしげな息遣いをしながら鈴に囁く。

「魔女の塔ができてから嫁ぐまで、ずっと愛人でいた私を、ベッドであれほどあなたを楽しませてきた孫みたいな年の私を、嫁いでからもずっと情報を流してあなたに尽くしてきた私を、捨てるの?」

 鈴がジリ、と鳴る。マリベラさんが叫ぶ。


「私を見捨てて、サリーをとるの!?」


「黒髪の赤ん坊なぞ産むからだ。どこぞの馬の骨をつまみ食いしおって、このアバズレが。お前のせいで私の計画が台無しだ」

 鈴の声に、マリベラさんが怒りに任せたように食ってかかる。

「てめえの萎びたモノなんかで満足できるか!私は若いんだ!見て、この体を。夢中でふるいついたじゃない!まだまだ利用価値はあるわよ!」


「初めの頃はそれでもまだマシだったがな、駄肉の塊め。お前のような使い古しはもういらんが、セーラレインなら生娘だ、高く売れる。隣のバカ王子がどうしても生娘を御所望でな。鉱山の権利を半分も差し出しおった」

「サリーが、鉱山半分」

 マリベラさんが肩で息をしながらうめくように呟く。


「魔力を失ったとはいえ、魔女は怖いぞ。私にぬかりはない、ヤード家の兵は全てつぎ込んだ。魔女の泣き顔は、せめて私がお前の代わりに拝んでおいてやろう」

 鈴の男の声がせせら笑った。


「……ログディナジーぃぃぃ!」

 マリベラさんが地の底から響くような声で吠える。

「私を、裏切るのか!騙したのかあぁぁあ!」

「騙したのは貴様だろう、誰にでも脚を開く、使い古しの、共同墓地が!」

 男性の声も大きくなり、鈴にバリバリと雑音を混じる。

「お前のような売女は、神の娼婦たる義姉あねの膝下がふさわしい。お前の股に蜘蛛の巣が張って腐り果てたら、憐れんでやろう」


「何だと、この、変態趣味の骨筋野郎……!」

「お前も充分楽しんだだろう、ゴミ屑貴族と妾の、尻軽娘が!」

「死ね、死ね、サリーと死ね、糞ジジイ!!」

「死ぬ思いをするのはお前と魔女だ」

 ジリ、ザリ、と雑音を鳴らしていた鈴が、ぶち、と言う音を最後にうんともすんとも言わなくなった。


 マリベラさんが土を掴んだ。手錠のまま爪を立て、何度も、手の下の土を掴み、握ったまま拳を地面に叩きつけ、爪を立てて地を削った。みるみる指先が血にまみれ、爪がはがれる。

「ベラ!」

 たまらずヨスコさんが血だらけのその手を押さえつけた。


 騒ぎに気付いたのか、修道院の扉が開く。

 屈強としか表現のしようのない灰色の服の人が2人、無言でヨスコさんとマリベラさんに近付く。ヨスコさんが俺を手振りで遠ざける。女子修道院だからこの人たちも女性なのだろうが、とてつもなく強そうだ。

「離せ!離せ、この野郎!」

 ヨスコさんが叫ぶマリベラさんを押さえつけたまま、灰色の服の人に事情を説明している。


 ふと見ると、扉の奥に、同じく灰色の服をまとった、厳しい表情の老女が立っていた。

 顔立ちがどこか王様に、そしてサリーさんに似ている。あの人がきっと大伯母さん、ここの院長だ。


 マリベラさんがふいに暴れるのをやめた。組み伏せられたまま、ドス黒く染まった顔をヨスコさんに向ける。

「ヨッちゃん。悔しい、けどいい気分だわ」

「何?」

 説明を中断して、ヨスコさんが思わず問い返すと、マリベラさんは哄笑した。


「糞ジジイが言っていたでしょう。ヤード家の私兵が今頃、魔女の塔を囲んでいるわ。サリーを塔から引きずり出すために」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る