第131話 俺がもっと若くて、優秀で、カッコよくて、王子だったらなあ
マリベラさんを後部座席に押し込み、ヨスコさんがその隣に乗り込む。俺はヴィオさんと交代して運転席に着いた。
「クロノ、ヨッちゃん、気を付けて。がんばってね」
車を降りたヴィオさんが笑顔で激励してくれる。ヨスコさんも笑顔で答えた。
「ありがとう。ヴィオも、サリーをよろしくね」
「任せて。あなたたちが帰るまで、塔から一歩も出ないで留守番しとくわ」
雄々しいくらいに勢いよく、ばん、と豊かな胸を叩くヴィオさんに、俺もよろしく、と頭を下げた。
車を始動させる。ヴィオさんが離れた。
ヨスコさんがメモしてくれた目的地コードをそれぞれ入力する。それから戻って初めのコードを選択し、レバーをひねり、引く。
勝手にヘッドライトがついて、車はすっかり暗くなった水の道路を進み始めた。
車が動き出してまもなく、ヨスコさんはマリベラさんの口の拘束具だけは外していたが、マリベラさんはあまりしゃべらなかった。時折地名らしきものを口にするくらいだ。ヨスコさんも俺も必要なこと以外は話さなかったから、車内はほぼ無言だった。
車は走り続けた。気がつくとだいぶ街灯が減り、建物の気配が少なくなっている。どの辺りまできたのだろう。
水の道はアスファルトより静かだ。
真夜中も過ぎ、自動運転にも慣れてくると、俺は眠くなってきた。寝不足が響いている。
「クロノ、代わろうか。マリベラも寝ているから、大丈夫だよ」
ヨスコさんが小声で声をかけてくれた。俺ははっとして頭を振った。
「ごめん、大丈夫。自動運転だから平気だよ。ヨスコさんこそ寝て、国境を越えたらヨスコさんに運転をお願いしなきゃいけないんだから」
予定通りなら夜明け前に国境を越えるはずだ。俺は頬をぐにぐに揉んだ。もう少しなんだから、しっかりしないと。
運転は車に任せて、俺は暗闇に目をやった。
しばらくしてからルームミラーで確認したら、ヨスコさんも目を閉じていた。眠ってくれたようだ。少しほっとする。
サリーさんももう眠っただろうか。
サリーさんのことを考えると、眠くなった頭が必死に働こうと目を覚ます気がする。
明日、いやもう今日か、帰ったら絶対にサリーさんを説得して、ヤード公に面会して、あんな王子との結婚話なんてぶち壊してやる。何ともならなかったらもういい、サリーさんが嫌がっても王様に直談判だ。休暇を切り上げてもらってでも、そんな結婚はやめさせてもらう。
「俺がもっと若くて、優秀で、カッコよくて、王子だったらなあ」
思わず出たひとりごとは、自分の耳にしか届かなくてもひどく情けなくて恥ずかしかった。
まだ暗いうちに国境を越えた。
検問所ではサリーさんの紋のついた手紙を見せた。
俺はいざとなったら腰の剣を盾に王様の名前まで出す気だったが、ここまでは特にヤード公の特令も届いていないようで、王族の用事というだけですんなり通れた。面倒がないのは何よりだ。
目に入る範囲には他に車もなかった。車を道の端に寄せ、ここでヨスコさんと運転を交代することにした。
俺は警戒しながら車を降りた。寝ているとはいえ、マリベラさんにこの隙をつかれて、逃げ出されでもしたらたまらない。しかしヨスコさんは不用意なくらいひょいと車を降りてきた。
普段用心深いはずのヨスコさんの行動の理由は、後部座席に着いてすぐにわかった。
眠っているマリベラさんの腰にはいつの間にか鍵のついたベルトが取り付けられ、そのベルトは鎖で車に括り付けられていた。もちろん鎖にも鍵がついている。ブリーフケースの中身が大活躍だ。これではマリベラさんも不貞腐れて寝るしかないだろう。
ヨスコさんならマリベラさんくらい軽く抑え込めるだろうに。獅子は兎を撃つに全力を用うと言うことか。その油断のなさ、正直怖い。
しかし、これで俺が隣にいてもそわそわするようなことは起こらなそうだ。俺はそれでもなるべくマリベラさんから離れて座りながら、心底ほっとした。
闇の中を車が動き出す。
「ここからはもうそんなにかからないけれど、クロノ、少しでも寝ておいた方がいいよ。ひどい顔になっているよ」
ルームミラー越しにヨスコさんが笑う。
俺はそういう訳にもいくまいとしばらくは頑張って起きていた。
しかし、ひどい寝不足に加え、役目を何とか半分果たせた安心感とほどよい車の振動が相まって、俺はいつしか眠りに落ちていた。
車の動きが変わったのを体で感じて、俺はやっと目を覚ました。
空の片側がうっすら白くなってきている。夜明けが近いのだ。俺は慌てて辺りを見回した。
「おはよう、クロノ。車はここまでだ。あと少し、歩くよ」
森の中の少しだけ切り拓かれた平地に器用に停車して、ヨスコさんが笑う。
「ここで車を降りて、あと少し歩く」
マリベラさんがうつむいて呟く。起きていたようだ。
「クロノはこれを持って。マリベラは私が連れて行く」
ヨスコさんが振り返り、俺は座席越しに小さなカバンと鍵を受け取った。マリベラさんは諦めたのか、すっかりおとなしくなっている。
ヨスコさんが車を降りてドアを開け、俺が反対側からマリベラさんを車に固定している鎖の鍵を外した。ヨスコさんは油断なくマリベラさんを掴んでいたが、マリベラさんは全く抵抗しなかった。
森の中の道を歩く。マリベラさんは手錠をしたままだ。
夜明け前の森はなお深く暗く、細い道は水ではなく土のままで、申し訳程度にしか整備されていない。人が歩くから道であり続けているだけで、少し放っておけばすぐに緑に飲まれそうだ。
俺はこの世界に来てからは城があるような大きな町しか見たことがなかったので、少し不安になった。この先に人の住む建物があるとはとても思えない。
その獣道のような道をヨスコさんは迷わず進んでいく。ついていくしかない。
それでも不安が募ってきた頃、急に森が開けた。
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