第130話 一抹の不安(あれもこれも、一抹だらけ)

 時間になり、俺はヴィオさんと指定の場所へ出向いた。

 あんなことになって、あんなことをしでかしてしまって、結局俺は眠れなかった。でももうどうにもならない。居眠り運転だけはしないように気をつけないと。


 俺たちは何げない風に少し距離を取って歩いた。時間ぴったりに聞いていた通りの車が現れ、年配の男性が降りて、ごく自然に去っていく。俺たちも当たり前のように車に乗った。打ち合わせた通りに俺が運転席に着き、ヴィオさんは助手席に座る。

 左ハンドルの車は初めてだが、今は左腰に剣があるからこっちの方が操作はしやすそうだ。


 手早く各部の説明を受け、聞いていた通りの手順で車を発車させる。やはりもとの世界の感覚とあまり変わらない。水の道路も意外と揺れず、わずかにハンドルが流れるけれど、雪道よりすべる感じもなかった。これならいけそうだ。


「大丈夫そうね。じゃ、自動運転に切り替えましょ。目的地のコードをここに入力して、このレバーで切り替えるの」

 ヴィオさんがボタンを操作し、俺が教えられたレバーをひねって引くと、アクセルから足を離しても車は勝手に進み始めた。おお、すごい。

 自動運転は運転席に人がいれば発動する。うたた寝してもかまわないほどの全自動らしいが、何となく心配で俺は姿勢を崩せなかった。


 ハンドルを握ったままの俺の隣で、もうお役御免とばかりにヴィオさんが車内をきょろきょろ見回している。

「これ、何かしら」

 ヴィオさんが後部座席に何かを見つけ、ためらいもなく座席の間から身を乗り出す。

「ちょっとヴィオさん、俺まだ慣れてないんだから。危ないよ」

 お尻がぶつかりそうになり、俺は慌てて避けた。ヴィオさんは平気よ、と無責任に答えて後部座席の荷物を取り、やっとおとなしく座り直した。


「あら、軽食に、飲み物。3人分あるわ」

 大きな紙袋の中をがさごそしながらヴィオさんが言う。

「リックさん、そんなものまで用意してくれたんだ」

「そうみたい。あんな図体で、本当に気の回る人ね。あなたの任務の完遂と無事に帰還されることを心より祈っています、だって。わあ、めんどくさ」

「それ、ヨスコさん宛じゃないの。勝手に読んだら悪いよ」

 メッセージカードを手に恩人に暴言を吐くヴィオさんを、俺は慌てて注意した。見えたのよ、と適当なことを言ってヴィオさんがカードを戻す。


「こっちのカバンは何かな、っと」

 紙袋の探索を終えたヴィオさんは、次に小ぶりなブリーフケースのようなカバンを開いた。

「……」

「ヴィオさん、それは何が入ってるの?」

 さっきまでのようにヴィオさんが説明してこないので尋ねると、ヴィオさんは無言でカバンを開いてこちらに向けた。俺は前から目を離せないまま横目でちらりとそれをのぞき、自分の目が信じられずに改めてまじまじと中を見た。


 手錠。縄。鎖と南京錠。他にも用途のわからない、金属製や革製のもの。


「……」

「……ここまでそろえてくれるとは……本当に、気の回る人ね……」

「……そうだね……」

 ……ヨスコさんを任せて大丈夫なんだろうか、この人。

 俺は、多分ヴィオさんも、初めてリックさんに一抹の不安を持った。


 そうこうするうちに城に着いた。

 ヴィオさんに車を見ていてもらい、俺は塔へ向かった。

 俺の部屋の前では、支度を済ませたヨスコさんが待っていた。

「荷物はそれだけ?」

 ヨスコさんは小さなカバンを持っているだけだった。驚く俺を見てヨスコさんが笑う。


「修道院に入るんだよ?何もいらないし、持っていけないよ」

「着替えも?」

 もちろん、とヨスコさんはうなずき、カバンを俺に渡した。

「それは寄付金だよ。サリーが用立ててくれたんだ」

 小さなカバンはずっしりと重かった。

「クロノ、マリベラは私が見るから、それは任せるよ。大事に持っていてくれ」


 俺は小さなカバンを大切に抱えた。そのかわりというのもおかしな気がしながら、俺はヨスコさんにブリーフケースを渡した。

「あの……それは多分、リックさんからの差し入れで……」

 ヨスコさんはブリーフケースを開け、少し固まった。やっぱりそうだよね。

「リック様、この短時間でこんなにそろえてくださるのは大変だっただろうに。私たちのためにここまで」

 ヨスコさんは感極まったように呟いた。え。そっち?


 戸惑う俺にヨスコさんは革製の何かを取り出して持たせ、鍵を開けるように促した。毒気を抜かれた俺は言われた通りに鍵を開けた。

「ではクロノ、開けてくれ」

 ヨスコさんが気合い十分に構え、俺はまだ半ば呆然としながら扉を開けた。


 俺たちの予想に反して、マリベラさんの抵抗はなかった。

 マリベラさんはさっきの夜着のままベッドに寝ていたが、言われるままに起き、のろのろと立ち上がった。

「そんなものまで着けるの」

「一応ね」

 マラベラさんは少し不満そうに言ったが、ヨスコさんが俺から受け取った革製の何か、手錠だった、それを着ける間もおとなしくしていた。


 夜着の上からヨスコさんの上着をかけられ、ヨスコさんに肩を抱えられてマリベラさんが歩く。俺はそれを先導しながら尋ねた。

「サリーさんは来ないの」

「ええ。見送りはしないと言っていたよ」

 ヨスコさんの答えに俺はサリーさんの厳しさと悲しさを思いながらも、少しほっとした。

 今顔を合わせたら気まずいし、俺はサリーさんの顔を見たら、我慢できなくなってまた何かやらかしてしまいそうな気がする。

 早くマリベラさんを片づけ、いや、送り届けて、サリーさんの件を何とかしないと。


 マリベラさんがちっ、と舌打ちする。

「やっぱりあの子、最低だわ。あれだけ世話になっておきながら。恩を仇で返すばかりか、最低限の礼儀すらないのね」

 俺とヨスコさんは答えなかった。これをサリーさんが聞かないで済んだことを喜びたい。


「呪ってやるわ、あの子が涙も枯れるほど不幸になって、体中ひっくり返されて自分の内臓を口に突っ込んで死ぬように、毎日祈るわ。祈る時間だけはこれからたっぷりあるからね」

 ヨスコさんが無言でマリベラさんの口にブリーフケースから取り出した何かを噛ませ、上着を頭からかぶせ直した。テレビで見た護送される容疑者のアレになる。


 俺は人がいないことを確認して城の廊下に出た。

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