第129話 呆れるほど優しい魔女の、君

「クロノ、私……結婚が決まったの。相手は前と同じ、ゴーベイ様。式は、あちらの大聖堂で、再来週。さっき大叔父様に呼ばれたのは、そのことだったの」


 俺は言葉が出なかった。

「クロノ、お願い。一緒に私についてきて。私のそばにいて。お願い」

 サリーさんが懇願する。俺は信じられない思いで、泣き出しそうなサリーさんを見つめた。

「そんな……君との婚約を破棄して、侍女と一度は結婚した男と、君が、結婚?しかもそんなに急に……そんなこと、了承したのか」


「ううん、まだ」

 サリーさんが首を横に振り、しかしはっきりと言った。

「でも、私、決めたから。次に決まった方と結婚するって。だから、受けるわ」

 そして今にも泣き出しそうに揺れる瞳で俺を見つめた。

「お願い、クロノ、一緒に来て」


 視界がぐらりと歪んだ。一瞬サリーさんが見えなくなった。それでも俺は懸命に足を踏ん張り、言った。

「ありえない、そんなのダメだ」

 俺は掴んでいたサリーさんの肩を離した。

 サリーさんが早足で歩き出す俺の手をすがるように引く。

「クロノ、待って、どこへ行くの」

「ヤード公に会う。断ってくる」


「ダメ!」

 サリーさんが激しく首を振った。

「今、大叔父様は摂政よ。大きな権限を持っているのよ。それでなくても私たち、大叔父様に逆らってばかりいるんだから。下手に何かしたら処刑されてしまうわ」

「そんなことかまってられるか、サリーさん、君の一生のことなんだぞ!」


 俺は思わず声を大きくしてしまい、ごめん、と謝った。

「とにかくそんな結婚、受けるな。サリーさんが断らないなら俺が断ってくる」

 何とか声を抑えて、俺は食堂を出ようとした。

 しかし、サリーさんが手を離さない。

「サリーさん、離して」

「ダメよ、クロノ。私、決めたもの。次に決まった方と結婚するって」

 サリーさんは手を離さず、俺を見つめた。


「あんなことがあってももう一度話がまとまるくらいだもの、やっぱりこの結婚はきっとこの国にとても利益になるんだわ。私、役目を果たしたい」

 それならどうしてこんなに手が震えているんだ。泣き出しそうな目をしているんだ。

 どうして、助けを求めるみたいに俺を見つめるんだ。


「サリーさん、ダメだよ、こんな話は受けられない。俺が断りに行くのがダメなら、王様に話そう。きっと止めてくれる」

「ダメ」

 サリーさんはまた首を振った。

「旅行に行けなくなっちゃう」

 俺は呆れた。


「旅行って……そんなの、次の機会にしてもらったらいいだろう!君の一生がかかってるって、わからないのか!」

 また声を荒らげてしまう。サリーさんが大声に怯えて体を固くし、それでもふるふると首を振る。

「次なんて、もうないかもしれない。きっと初めてなの、お父様とシズカ様が2人で旅行なさるなんて。シズカ様、すごく嬉しそうにしていらしたわ。行かせてあげたいの」


 サリーさんが怯えながらも必死に俺に説明する。

「他のお義母様方はご結婚の時に記念にお父様と2人で旅行なさったと聞いているけれど、第一王妃のシズカ様は国がそれほど落ち着いていない時にお嫁にいらしたから、それもなかったの。だから、だから、今はダメなの」

「サリーさん、そんなこと言ってる場合じゃないだろう」

 俺はサリーさんに向き直った。サリーさんは首を振り続けた。


「ダメ。お父様の休暇は1週間だから、きっと私の結婚式の前にお帰りになるわ。時間はあるよ。お帰りになったらきっと相談するから、待って。お願い」

「そんな悠長なこと言ってる時じゃないだろ!君のこれからの、未来の全部が今にかかってるんだ。他の事情なんかどうでもいい、君のことを早くしないと!」


 俺が怒鳴ってもサリーさんは意見を翻さなかった。


「サリーさん、君は」

 言葉が続かない。

 その代わり俺は手を伸ばした。

 目の前の、頑固で、優しい、愚かな、愛おしい人に。

 手を伸ばしてたぐり、引き寄せ、きつく抱きしめて必死に頼む。

「ダメだよ。お願いだ、そんな話は断って。それは君の幸せじゃないよ」


 サリーさんは抵抗もせずに俺の腕の中に収まりながら、胸にもたれてそっと息を吐いた。

「国が、みんなが幸せになるなら、いい」

 そしてそのまま続けた。

「それに私、今、すごく幸せだよ」

「……バカ!」

 俺は小声で叫び、それ以上言葉にならず、このどうしようもない思いを伝えようもなくて、ただ腕に力を込めた。


「クロノ、離して。あなたは少し眠らないと」

 どれだけそうしてサリーさんを抱きしめていただろう。

 サリーさんが俺の腕の中でそっと胸を押した。俺は逆らえず、ゆるゆると手を解いた。何の解決法も思いつけないまま、優しいあたたかさが離れていく。

「誰にも、ヴィオとヨッちゃんにも言わないでね」

 俺は小さくうなずいた。


 サリーさんはまた俺を見つめた。サリーさんは優しい顔をしていた。淡い色の瞳はもう揺れていない。俺は今どんな情けない顔をしているだろう。君は何てきれいなんだろう。


 サリーさん。

 本当は、誰にも渡したくない。

 俺が、俺が君にふさわしい男だったら。


 サリーさんがふっと悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

「クロノ。キスを、おやすみのキスをして」

 昔のように、細い手が差し出される。

 俺はその手をそっと取り、たまらずに強く握りしめて引き寄せ、またサリーさんを抱いて、


 唇にキスをした。

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