第123話 あなたはそうして生まれてきた
「あなたの産んだ子供はどうしたの」
ヴィオさんがマリベラさんに詰問する。マリベラさんはぎりぎりと拳を握り、歯を食いしばった。
その時、廊下の先で白いものが揺れた。はっとして目をやると、そこにはサリーさんがいた。戻ってきたのか。
サリーさんは何だか様子がおかしいように見えた。廊下の先に立ち止まったままだし、いつも白い顔がますます青ざめて、ひどく動揺しているようだ。よほど叱られたのだろうか。
俺がそちらに行こうかと動きかけた時、マリベラさんが怒鳴った。
「赤ん坊なんて捨てたわよ!」
開け放した扉から、その声は廊下にまで響き渡った。サリーさんがはっとしたように顔をあげる。
「あんなもののせいで、私はこんなことになったのよ?赤ん坊と少しのお金だけを押しつけられて国境で放り出されて。私が何をしたって言うのよ!王子が無能なのよ、私で散々楽しんだ癖に!」
「ベラ、捨てたっていつ、どこに!」
ヨスコさんが叫ぶ。
「国境の川に沈めたわ。もう十日も前かしら。袋に入れて、カバンに詰めて、まわりに石を入れて。ぎゃあぎゃあ泣いてやかましいのを川に流した時、やっとスッキリした。排泄物と同じだわ」
あはは、とマリベラさんが笑う。
「ベラ、あなたも私と同じ孤児だろう。お母さんが欲しいねって、修道院で一緒に泣いたじゃないか」
ヨスコさんの声が震えた。廊下の向こうで、サリーさんも立ち尽くしている。
「ヨッちゃんて本当にバカ正直ね。あの時はあなたに合わせてあげただけ。あなたは生まれてすぐ捨てられて、親の顔を知らないんだっけね。小さい頃のあなたは泣き虫で、親なしって言われるとすぐに泣いた。弱虫で甘えん坊で、ひと目でいいからお母さんに会いたいって」
「ベラ、もうやめて」
ヴィオさんがヨスコさんをかばうように抱いた。マリベラさんは笑って続けた。
「私は、本当は母親を知っていたの。頼りない女だったわ。金持ちの妾の癖に、男を作って逃げたの。私を残してね。あんな女、知らない方がマシだった」
マリベラさんは笑っている。
「でもよくわかったわ、いらない子供なんて邪魔なだけだわ。始末してあげた分、私は親切なくらいよ。流れて行った時だけ親孝行をしてもらったわ。サリーみたいに親を殺すような子じゃなくて、それだけは良かったわね」
廊下の向こうで、サリーさんがびくりと体を固くした。ヨスコさんが声を絞る。
「ベラ。サリーは」
「何よ、ヨッちゃんも知ってるでしょう。サリーは母親の命を吸い尽くして生まれてきたのよ。あんな死人みたいな顔色をして。白髪で、ガラスみたいな目で、あれは母親の呪いね。黒い服がよくお似合いだわ」
「やめて」
ヨスコさんが泣いている。
「サリーをそんな風に言わないで。サリーのお母様は、サリーのために頑張って、そこまで何とか生きたんだ。サリーは望まれて生まれたんだ。サリーはきれいだ」
「あはは、ヨッちゃんて本当に趣味が悪いわ!」
マリベラさんが明るく笑った。
「サリーの生まれを教えた時、みんな気味悪がって態度が変わって、それでサリーが孤立したことがあったよね。ヨッちゃんも離れたよね」
「違う、気味が悪いなんて思ってなかった。サリーが可哀想で、きっと悩んで苦しんだだろうから、だからそっとしておきたくて」
ヨスコさんが泣きながら叫ぶ。
「だからひとりぼっちにしたの?サリーは泣いていたのよ」
「……私、あの時、うまく言えなくて……ごめん、サリー……」
ヨスコさんが泣きじゃくる。マリベラさんが勝ち誇ったように笑った。
「私はサリーの出生を知っても変わらなかった。だからサリーと私は仲良くなったわ。サリーはすぐに私にべったりになったけど、私はずっと変わらずサリーに接してきた。当然よ、だって私は最初からずっと、サリーなんて気持ち悪くて大嫌いだったもの!」
廊下の向こうのサリーさんが声を押し殺すように口元を押さえた。
「どうして私が姫じゃなくてあの子なのよ。どうせ貧乏貴族に捨てられた子くらいのはずだったのに。私の方がお姫様みたいに暮らしていたのに」
マリベラさんはイライラとテーブルを叩きながら言った。
「ヨッちゃんとあの子の世話係をさせられて、でも本当はいつか立派な貴族のお父様に迎えに来てもらえるはずだった。何でサリーなの。何で陛下が迎えに来るの。あんな、死体から生まれたような子が!」
マリベラさんが怒りに目を見開き、しかし口元だけは笑ったまま、叫んだ。
「サリーは絶対に私より不幸にしてやる!いじめて、泣かせて、奪ってやる。結婚なんかできない体にしてやる。もう少しだったのに。一生地べたに這いつくばらせてやる。その役に立たない赤ん坊なんていらない、邪魔なだけよ。サリーの幸せは全部私のものよ!」
「ベラ」
消え入るような声で、サリーさんが呼んだ。部屋の中の全員が驚いて入り口を見る。
「本当なの……?赤ちゃんが、邪魔だなんて、あなたが……」
いつの間にかそこにいたサリーさんが、俺に半分隠れるようにして入り口に立ち尽くし、囁くように尋ねる。
「サリー、嘘よ。嘘に決まっているじゃない、だってみんながあんまり私を責めるんだもの」
マリベラさんがとろけるように笑った。サリーさんは笑わなかった。
「ベラ、覚えてるよね。お母さんになったら子供にしてあげたいこと。たくさん話して練習したよね。頭を撫でて、お話を読んであげて、今日の出来事の話を聞いて、手をつないでお散歩して、その全部をする度に抱きしめて」
「もちろんよ、サリー」
ほっとしたようにマリベラさんが微笑む。
「また一緒に練習しましょう?」
「あの時あげたペンダント、持っているでしょう?見せて」
マリベラさんの笑顔が消えた。
「いいお母さんになる約束にって、お母様のたったひとつの形見のペンダントを、あなた欲しがったでしょう。ベラなら大切にしてくれると思ってあげたのよ。私はあなたがくれたこれを、ずっと大切にしてきたわ」
サリーさんはそっと、おもちゃみたいに安っぽい、古ぼけた髪留めを取り出した。
「さあ、あの約束のペンダントを、見せて」
「あ、……あれはむこうの国に置いてきちゃったの、大切なものだから大事にしまっていたから」
「待って」
泣いていたヨスコさんが声を上げた。そして、少し待っていてと言い残し、俺とサリーさんの間を抜けて部屋を出た。
戻ってきたヨスコさんは、サリーさんのうさぎのぬいぐるみを持っていた。
「ヨッちゃん、その子がどうしたの?」
入り口に立ったままのサリーさんが戸惑ったように尋ねる。ヨスコさんは何も言わず、テーブルにぬいぐるみをうつ伏せに置くと剣を抜いた。
「ヨッちゃん、やめて!」
サリーさんが悲鳴を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます