第121話 暴れる想定の内と外
ヨスコさんにがっちり腕を掴まれたままのマリベラさんが身をよじり、悲痛な声で叫ぶ。
「サリー!」
おっぱいがはみ出しそうに揺れている。うわあ。
「ねえサリー、ヨッちゃんに説明して。私、あなたに会いに来ただけだって。誤解よ、みんなわかってくれないけど、あなたならわかってくれるでしょう。サリー、いないの、サリー」
マリベラさんがヨスコさんから逃れようともがきながら叫んだ。黒い巻き髪が振り乱れ、悲しみに満ちた甘い瞳からついに涙がこぼれ落ちる。
「サリー、来て、サリー!」
しかしヨスコさんの手が緩むことはなかった。マリベラさんはなおもサリーさんを呼んだ。サリーさんがこの声を聞いたら駆けつけないではいられないだろう。
そのくらい悲しい声で呼び続け、それでもサリーさんが姿を現さないのを理解すると、マリベラさんは急に身を揉むのをやめた。
「サリー、来ていないのね。あなたたちに泣きついて、また逃げ出して部屋にこもったの?本当にあの子、変わらないわ」
マリベラさんは人が変わったよう冷たく言い、掴まれていない方の手でさっさとシャツの襟を寄せた。濡れた瞳は驚くほど冷めている。あ、あの涙は一体。
「いいからこれを着て」
ヴィオさんが部屋から自分の夜着を持ってきてマリベラさんに渡す。マリベラさんは面倒そうに受け取った。ヨスコさんがマリベラさんを押すようにして部屋の中へ入る。
「着替えが済んだらノックするよ」
扉が閉まり、ほどなく内側からノックされた。俺は警戒を怠らず、扉を開けた。
扉を開けると、ヨスコさんがマリベラさんから目を離さず立っていた。
が、夜着に着替えたマリベラさんはもう抵抗する気もないようで、不貞腐れた顔で椅子に座っていた。
部屋はひどいことになっていた。倒せる棚は全て倒され、引き出しは全てひっくり返され、調味料などはわざわざ床に全部引っ張り出された服の上にぶちまけられていた。唯一無事だったのはベッドだけだ。自分も使うからだろう。
暴れたな。想定内だが。
入るわね、とヴィオさんが俺の横を通り抜ける。俺は扉が誤って閉まらないよう、空のビンを噛ませた上で、戸口に立った。
「ベラ、話は聞いたわよ」
ヴィオさんがマリベラさんの向かい側に座り、切り出す。マリベラさんはテーブルに肘をついたまま答えない。
「どうして魔女の塔に戻ってきたの」
長い間があり、マリベラさんがようやく小さな声で答えた。
「……王子とケンカして」
「話は聞いたと言ったでしょう」
ヴィオさんが落ち着いて答え、マリベラさんは嫌そうに短いため息をついた。
「生まれた赤ん坊の髪と瞳が黒かったのよ」
そのことを知っていたはずのヴィオさんとヨスコさんが、改めて言葉を失う。マリベラさんが2人の顔を見て手をひらひらさせた。
「気が済んだ?それならサリーを連れてきてよ。あとはサリーと話すわ」
いち早く気を取り直したヨスコさんが、淡々と答えた。
「サリーはいないよ」
「いない?」
マリベラさんが眉をひそめ、鼻で笑う。
「居留守を使えって言われたの?もううんざり、どこまで子供じみてるのよ。ヨッちゃんもよくそんな嘘に付き合うわね。まだサリーが好きなの?バカみたい。いいから早く呼んできて」
ヨスコさんは少しだけ体を固くしたが、微笑んだ。
「いないから呼べないよ。サリーは今、塔にはいない。出かけているからね」
マリベラさんがぽかんとする。
「出かけている?サリーが、塔を出たの?……ひとりで?」
マリベラさんが塔に残る俺たちの顔を順繰りに見、信じられないように呟く。そんなマリベラさんに言い聞かせるように、ヴィオさんがゆっくりと言った。
「サリーは変わったのよ。ここはもう、あなたのいた頃の、あなたが知っている魔女の塔じゃないの。あなたの帰る場所は、ここにはないわ」
ヨスコさんもうなずく。マリベラさんがものすごい目で俺を一瞥し、それでも笑った。
「サリーが変わった?そんなことないわ。少しだけ背は伸びたかもしれないけど、相変わらずおどおどして、後ろに隠れて、あの目できょろきょろ人の顔を見て、面倒ごとから逃げてばかりじゃない」
ヴィオさんが笑うマリベラさんを見据える。
「ベラにはそう見えるの?あなたは昔からサリーをバカにしていたものね」
マリベラさんは挑むようにヴィオさんを見た。
「まさか。そんな訳ないでしょ、私たち仲良しだもの」
「サリーが言うことを聞いているうちは、だろう」
ヨスコさんが静かに言う。
「サリーは変わったよ。謁見を受けたり、夜会に出たり、ひとりで塔の外に出かけたり。もう、ベラの言いなりだったサリーじゃないよ」
ヴィオさんが厳しい声でヨスコさんの後を継いだ。
「ベラがわざと、サリーが怖くて逃げたくなるように仕向けて、意気地なしって貶めて、その上で甘やかして囲い込んで閉じ込めていたの、私たちちゃんと知ってるのよ」
マリベラさんが目だけでヨスコさんとヴィオさんを交互ににらんだ。
「サリーなら、私に帰ってきてほしいと言うわ。結婚前の今こそ私が必要なはずよ。ヴィオの教育では足りない、男女の機微まで私は教えてあげられるわ。房中の生々しいやりとりを、ヴィオは本で説明するんでしょ?」
「学ぶというのはそういうことよ。経験しなければ教えられないなら、歴史や科学は無駄だらけになるわ。本で学べないほど理解する力が足りないのなら、仕方ないかもしれないけれど」
ヴィオさんが冷たく言い返すと、マリベラさんはとろけるように笑った。
「私は夫を持ったんだもの。本にないことも教えられるわ。ヴィオでは男と女がどういうものか、教えられないじゃない」
ヴィオさんがひくりと肩を震わせた。
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