第120話 超えたのかどうなのか(一線、それは人それぞれ)
サリーさんの髪を結い直す。
「クロノは残って、ヴィオとヨッちゃんにベラの相談を続けて。大叔父様のご機嫌取りは、私だけで十分よ」
鏡の中のサリーさんが少し笑う。当然供をするつもりだった俺は戸惑った。
「でも、ひとりでなんて」
「平気よ。城の中だし、どうせさっきのお叱りでしょ」
「それならやっぱり俺も」
いいえ、と鏡の中のサリーさんがきっぱりと言った。
「クロノは残って。ベラのことは、いくらでも早い方がいいと思うの。それに、私がいない方が話が進むと思うわ」
サリーさんはまた少し笑い、鏡の中に一緒に映る俺を見つめた。
「私の気持ちはさっき2人にも話せたし、あなたにも伝えてある。あなたがいてくれたら大丈夫」
サリーさんが迷いもなく微笑む。
「ベラのこと、どうかお願い」
俺は鏡の中の淡い瞳を見つめた。
色々なことが、君自身すら変わっていく中で、君の真っ直ぐで優しい心だけが変わらない。
「うん。わかった、きっと何かいい方法を見つけるよ」
俺はきっとその気持ちごと、君を守る。
仕上げの小さな石のついたピンをきれいな白い髪に差し、俺はうなずいた。
サリーさんがひとりで行くので、廊下の鍵は開けておくことになった。
みんなでサリーさんを見送り、その足で俺の部屋へ向かう。
「こちらでも確認してみたけれど、その衛士の言っていたことに間違いはないらしい。匿っていると城に知れたら、少し面倒なことになりそうだ」
ヨスコさんが歩きながら話す。もうワンピースは着替えてしまって、動きやすいいつもの服装だ。
「これ以上は、外からつついていても始まらないわ。あとはベラに聞きましょう。それが一番手っ取り早いわ」
ヴィオさんがさばさばと言う。まだ少し荒れている。
俺が扉を開けようとすると、ヨスコさんが止めた。
「扉は私が開けるよ」
俺は慌てて首を振り、説明した。
「危ないよ、さっきはフライパンで殴られそうになったんだ。下手したら殺されるかも」
ヨスコさんは鞘のままの剣を手に笑った。
「ベラの性格は知っているよ。長い付き合いだからね。大丈夫、ベラの攻撃くらいかわせるし、私には色仕掛けも効かないから」
ヨスコさん、目が笑っていない。俺よりやる気だ。頼もし過ぎる。それなら願ってもない。
「じゃあ、鍵、開けるよ」
ヨスコさんがうなずく。ヴィオさんには念のため離れていてもらっている。
俺は鍵を開け、少し離れた。ヨスコさんがドアノブに手をかける。
がちゃり、と扉が開くと、今回はフライパンではなくおっぱいが現れた。
俺のシャツだけをしどけなく素肌に羽織り、お腹の辺りでひとつかふたつだけボタンを閉めた大胆な格好。
もちろん豊満な部分はこぼれんばかり、腰の辺りは布に隠れてはいるものの、薄く透ける滑らかな曲線にパンツの影が見えない。パンツは、パンツはちゃんと履いているのか。
「クロノ、さっきはごめんなさい。私、寝ぼけちゃって」
そこまで言って、マリベラさんは前に立つのが俺でなくヨスコさんだということに気づいたらしい。無言で腰にためた包丁を突き出した。
「わあ!」
動揺し切っていた俺の方が悲鳴を上げる。狙われたヨスコさんは難なく包丁をかわし、マリベラさんの手をねじり上げた。
「ううっ」
マリベラさんがうめき、包丁が落ちる。俺は這いつくばるようにしてそれを拾い、素早く元の場所に引き上げた。包丁はとりあえず廊下の隅に押し込む。
「離して、ヨッちゃん。誤解よ」
マリベラさんは苦しそうにしながらも、とろけるような笑顔でヨスコさんを見た。いや無理、ごまかせないだろ。殺そうとしたよ、誤解じゃないよ!
ヨスコさんが少しだけ口角を上げて答える。
「おはよう、ベラ。まだ寝ぼけているの?もう昼過ぎだよ。相変わらず寝起きが悪いようだね」
ヨスコさんは全く動じることもなく、マリベラさんの動きを封じている。頼んで良かった。俺なら包丁の餌食になっていた。どんなに素晴らしいおっぱいだって、冥土の土産にはしたくない。
マリベラさんが甘い瞳を悲しそうに潤ませる。
「ヨッちゃん、痛いわ。間違えたの、ごめんなさい、クロノがまた私をどうかするのかと思って、怖くて」
俺は絶句した。全くどうもしなかったとは言えないけれど、そこまでのことはなかったはずだ。
俺は首が吹っ飛ぶほど左右に振り、ヨスコさんとヴィオさんを交互に見た。
ヨスコさん、ヴィオさん。本当に、本当だから、信じて!本当なんだ、無理矢理とか、そんなことは絶対なかった。なかったんだ、本当に!
叫びたいのに言葉が出ない。俺は焦った。
「あ、あ、ああああの、あの」
言葉は出ないのに汗は吐き出す。首をぶんぶん振る合間に酸欠の金魚くらい口をぱくぱくしていると、マリベラさんの腕をねじり上げたままのヨスコさんが涼しげに笑った。
「大丈夫だよクロノ、わかっているよ。剣を交えた仲だろう」
頬が熱くなった。汗に代わって涙が出そうになる。
「バカね、ベラ、クロノにそんなことはできないわよ。あなたはクロノのこと、全然わかってないのね」
離れてもらっていたはずのヴィオさんが、すぐそこで憤然として腰に手を当てている。あ、あの、嬉しいけど危ないよ。
「あなたたちがどれだけわかってるっていうのよ。ねえクロノ、言ってやって。私たちはもう一線を超えてるって」
マリベラさんが甘い笑顔にねっとりと悪意を溶け込ませた。汗に代わって出そうだった涙の代わりに、次は腹の中のリンゴが全て出そうになる。
そ、そ、それは。一線て。
一線。そもそもそれがどの一線かということはこの場合非常に重要だ。普通なら、の基準が個人の裁量によるため、認識に差が出やすい。
俺は流されるままふたりきりになり、手を取って踊った。そして、誘われるままにキスをした。一線を超えたかと言われたら、超えたと判断する人も少なくはないだろう。
「どうせあなたがたぶらかしたんでしょ。クロノだって多少ぐらつくことくらいあったかもしれないけど、そっちの度胸はからっきしなんだから。間違いなんか起こしようがないわよ」
俺の考えで言えば、手をつなぐくらいならともかく、キスは一線を超えた方になると思う。だから超えたと言われてしまうと、反論できない。
「ヴィオの言う通りだよ。クロノがベラの言うような男なら、とっくに塔を叩き出してるよ」
しかしマリベラさん、本来のあなたの一線は別のところにないか。有利に使えるならどんな隙でもついて超えようとしてくるマリベラさんの一線は、手をつなぐとかキスとか、そのレベルではないように思う。おっぱい出てるし。
俺はまだ、その一線は超えてない。超えてないはず。でも、でもでも。
「それよりベラはその丸出しの頭悪そうなモノ、さっさとしまいなさいよ。見苦しいのよ!」
「何ですって、ヴィオなんかこれより下品なモノくっつけてる癖に!」
「何よ、比べてみたらどう!?」
俺が頭の中で言い訳して汗だくになっている間に、罵り合いが始まっていた。あ、あれ、俺の一線はもういいのかな。比べるのかな。どう比べるんだろう。
話題が俺から逸れたので少し余裕が出た。
ドキドキしながらこっそり見守っていると、ヨスコさんにがっちり掴まれたままのマリベラさんが身をよじり、悲痛な声を上げた。
「サリー!」
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