第118話 ヨスコさんの朝帰り
塔に戻り、食堂に入る。
食堂にはヨスコさんと、死んだような、いや死んでしばらく経ってしまったような顔のヴィオさんがいた。顔色が何というか、青を通り越して土気色というか緑色というか。
「おはようサリー、クロノ。どこかに行っていたのか」
「おはよう、ヨスコさん。……それは」
まずはヴィオさんのすさまじい顔色に気を取られ、声をかけられてから初めてヨスコさんを見た俺は驚いた。
ヨスコさんが、ワンピース姿だ。
「こ、これは、その、リック様が用意してくれたんだ。夜会服のままでは帰れないから」
かっちりしたデザインの、胸にシンプルなリボンがついているだけの緑色の上等そうな布のワンピースは、あつらえたようにヨスコさんによく似合った。
「ヨッちゃんは朝帰りしたのよ」
今にも死にそうな声で、緑色みたいな顔色のヴィオさんが補足し、う、と口元を押さえた。俺はリンゴの袋を置き、サリーさんを振り返った。色々聞きたいことはあるけれど、まずはヴィオさんを何とかしないと何ともならない。
「さ、サリーさん、この前の薬」
「うん」
サリーさんが慌てて食堂を出て行く。
サリーさんが持ってきた薬包を開き、コップに入れて水を注ぐと真っ黒な液体になる。それを俺が持ち、サリーさんがその上から手を添えて魔法の歌を歌うと、液体はすうと澄んだ。
「はい、ヴィオ、ゆっくりね」
「ありがとぉぉ」
ヴィオさんは薬を飲み干し、はあ、と大きく息をついた。俺も経験したからわかる。その薬はびっくりするほどすぐに効いてくるんだ。
ヴィオさんももう死にそうな緑色の顔ではなくなった。
「効くねー、その薬。もう何の心配もなく飲みに行けるわ」
早くも笑顔になるヴィオさんをサリーさんがいさめる。
「ヴィオ、飲み過ぎはダメよ、体に悪いわ。これは不快感をなくすだけの魔法なんだから」
「わかってる、気をつけるわ」
ヴィオさんの顔。たぶんまたやる奴だ。
「そ、それよりヨスコさん、朝帰りって」
ヴィオさんの体調が一段落したので、気になっていた本題を尋ねる。
落ち着きなくきょろきょろしていたヨスコさんは、慌てたように首を振った。
「違う、違わないけど、これはただ、ダンスの後も話が長引いてしまって、あまり夜遅くに帰らせるのが心配だってリック様がおっしゃるから」
話が長引いた。
俺はこんな時なのに少しわくわくした。ヨスコさんはリックさんと時間を忘れるくらい話が弾んだのか。
「私は剣士だし、大丈夫だとは言ったんだけど、女性が夜遅く出歩くのは供を連れても不用心だとおっしゃって、でも私の剣の腕は認めて下さって、手合わせの約束をして」
剣の腕を認められるという、俺からしたら謎のところでヨスコさんは恋する乙女の眼差しになった。そのまま駅前で初めて待ち合わせをする女子高生のような、嬉し恥ずかしの口調で手合わせの約束を語る。何なんだか。
「そんな話をしていたら遅くなって、私が夜会服で剣を持っていなかったこともあって、泊めていただくことになってしまって、でももちろん部屋は別だったし、おかしなことは全然なかったんだけど、でも、その」
ヨスコさんがもじもじしている。リックさんの杓子定規なほどに堅苦しい紳士的な態度に、ヨスコさんのこの反応。これは、いいぞ。
「朝、夜会服でもないし、夜着で顔を出す訳にもいかないし、困っていたらこのワンピースを用意してくださって」
「ヨッちゃん、そんなに握ったらせっかくのきれいな布がシワになっちゃう」
スカートをぐしゃぐしゃに握りしめてぐだぐだの話をするヨスコさんを止め、サリーさんが微笑む。
「サリー、無断で外泊してごめんなさい。使いを出してくれると言ってもらえたんだけど、気づいた時間が遅かったからやめたんだ。本当にごめんなさい」
「いいのよ、ヨッちゃん。それより、良かったね。リック様はきっといい人よ」
ヨスコさんは真っ赤になったが、こくりとうなずいた。
「ねえねえ、他にはどんな話をしたの?」
元気になったヴィオさんがらんらんと目を輝かせてヨスコさんに迫る。
「待って、その前に、2人に相談があるんだ」
長くなりそうなので割り込んだ。
「何よ、そのリンゴの処分方法?クロノがむいておけばサリーが食べるわよ」
「そういえばサリーとクロノはどこに行っていたんだ?」
大好物の人の恋の話を邪魔されたヴィオさんが雑に答え、毒牙を免れたいヨスコさんはここぞとばかりに乗ってきた。
「お父様のお見舞いに行ってきたの。元気で、リンゴをたくさん召し上がっていたわ」
サリーさんが笑いながら答える。やっと普段の落ち着きを取り戻してうなずいていたヨスコさんが、俺の腰の剣に目を止めてぎょっとした。
「クロノ、それ……!」
「あ、これ、王様にもらって」
俺は言いながら剣を外し、巻いていた布を取った。赤い鞘があらわになる。
「こ、これ……嵐を呼ぶ者?」
ヨスコさんが震える手を伸ばす。
「さ、触ってもかまわないか?」
「うん、どうぞ。何かすごいんだ、ヨスコさんなら俺よりもっとわかると思うよ」
ヨスコさんが鞘ごと剣を持ち上げ、しげしげと眺める。緊張した面持ちだ。やっぱりすごい剣なのか。
「抜いて、振ってみて。すごいから」
いつまでもヨスコさんが鞘のまま見つめているので、俺は早く刀身を見てほしくて言った。ヨスコさんがいいのか、と呟きながら、しかし興味に逆らえないようにそろそろと剣を抜く。
「はあ……」
ヨスコさんが魂を抜かれたように、うっとりとした顔で剣を見つめる。こんなヨスコさんは初めて見た。リックさんをその目で見つめたら、サリーさんより先にお嫁に行けそうだ。剣マニアか。
「すごい、剣だな……」
「私、初めて見たわ」
ヴィオさんもぽかんとして剣を見つめる。やっぱりすごい剣なんだ。
ヨスコさんは刀身を穴の開くほど見つめていたが、振ったのは数度だった。
しばらくしてヨスコさんが我に返ったように引き締まった顔で剣を鞘に戻し、ありがとう、と俺に返してくれた。俺は受け取りながら正直、複雑だった。
本当ならあのダンスのご褒美は俺よりヨスコさんの方が受け取るべきだ。剣だってきっと、ふさわしいだけの腕があるヨスコさんの方がいいだろう。
しかし、俺は王様と約束した。だから本当はこの剣の価値を知るヨスコさんに譲ってしまいたいけれど、そうはできない。俺はこの剣にふさわしい腕にならなくては。
それは果てしなく遠い道のりになりそうだけれど。
また白い布を巻いてリボンをつける。
腰に戻した剣はやはり軽く、重かった。
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