第116話 託された剣、託された責任

 剣の届く範囲に入った。息が止まりそうだ。

 王様が剣を振った。

 俺はなすすべもなく目を瞑った。


「バカ犬、目を瞑る奴があるか」

 首は離れなかった。俺は肩で息をしながら王様を見た。

 王様は剣の柄を俺に向けていた。

 抜き身の刃の方を自分の方に向け、切れないように剣の刃を挟むように持ってはいるけれど、その手は素手だ。


「持て」

 俺がもし王様を狙う悪い奴なら、王様は俺がちょっと踏み込むだけで貫かれ、切り裂かれる。

 大胆な信頼を示され、俺は震える手を伸ばした。


 剣の柄を握る。不思議なことに、震えがすっとおさまった。

 王様の手が離れるまで剣を動かさないよう、細心の注意を払う。

 王様の手が離れる。

 剣は、俺が使っていた練習用の剣より長かった。幅はそれほど変わらないから、あの剣より重いはずだ。

 なのに、軽く感じる。俺の手は剣先を微塵も揺らすことなく、剣を支えた。


「振ってみろ」

 俺は言われるまま剣を振った。確かに重さはある。振るとわかった。しかし、重心の位置なのだろうか、剣は俺の思うまま、前の、これより軽い剣よりも軽々と振ることができた。

「すごい」

 俺が思わず感嘆すると、王様は薄く笑った。


「貴様はこれでサリーを守れ。俺の代わりだ」


 俺ははっと王様を見た。王様は薄く笑い、目をそらした。

「貴様が貴族だったらな」

 それは、どういう意味で。俺は息を飲んだ。

「……陛下、俺は……」


 俺が何も言えないでいると、王様は俺から剣を取り、すっと振った。優雅で力強い体捌き。

「貴様はサリーの犬だ。どこまでもついていけ。誰よりも近くあれ。目を離さず、注意を怠らず、全て許して受け入れろ。……決して、母親のようにひとりで死なせたり、するな」


 王様は剣を振りながらひとり言のように言い、さっと軌跡を変えてひと振りして、剣を俺に返した。

「貴様の命より大切なものに賭けて、誓え」

 王様が薄く笑う。悪戯に切られた俺の前髪が一筋、ぱらぱらと床に散った。

 俺は剣を受け取り、王様の青い目を見た。


「サリーさんに賭けて、誓います」


 王様はふんと笑って踵を返した。

「生意気だ」

 その瞳は満足そうだった。


「お茶が入ったわよ」

 だいぶかかって、お妃様とサリーさんが戻ってきた。

 俺と王様はもうもとの席に着いていた。王様はさっきからまたずっとリンゴを食べている。少しも手が止まらない。リンゴが好きなんだな。


「はい、どうぞ」

 サリーさんが少しぎこちない手つきで俺の前にお茶を置いてくれた。

「あ、ありがとう……」

「どうしたのクロノ。顔色が悪いわ。それに、前髪が」

 サリーさんが驚いたように俺の顔をのぞき込む。俺はいや、ちょっと、とごまかした。


 王様の前で無謀にもサリーさんの名を出し、誓ったなんて言えない。王様に娘さんが好きだと言ったも同然のやり取りをしてしまったなんて言えない。命より大切に思ってるって、それ以上だろうか。

 そして、王様から受け取った責任の重さに、情けないことに、今さら吐き気が止まらないなんて言えない。


 王様がにやにやして食え、とリンゴをすすめてくる。いやその、吐き気が。うう。

 お妃様が呆れたように王様を見る。

「陛下、またクロ君をいじめたの?」

「俺はいじめたことなんかねえ。躾だ」

「もう。クロ君も嫌なら嫌で、付き合ってあげなくてもいいからね」

 俺は曖昧に笑った。話せば長くなるし、話す気力がない。


 お妃様の淹れてくれたアップルティーはおいしかった。リンゴの香りにほっとしたせいか、吐き気が少しマシになった。作り方を聞きたくなったが、おそれ多いかな。

「後で教えてあげる、習ったから」

 俺の様子に気がついて、サリーさんが微笑んだ。あれ、何だか棘がないぞ。そういえば椅子に座る距離もさっきよりほんの少し近い。

 お妃様が何か言ってくれたのだろうか。ありがたい。俺はサリーさんさえわかってくれるならそれでいい。


 山盛りあった皿のリンゴも底をついた。王様が意地でも食べ、朝ごはんの少なかったサリーさんもよく食べた。お妃様はそんな2人を嬉しそうに見ていた。

「眠くなったぞ。お前らそろそろ帰れ」 

 お腹がいっぱいになったのだろう。王様がソファに寝そべり、大あくびをする。俺たちは慌てて立ち上がった。


「待って待って」

 お妃様も慌てて立つと、部屋を出て、袋を持って戻ってきた。

「リンゴ、塔のみんなで召し上がれ」

 渡された袋にはずっしりと、重いほどリンゴが詰め込まれていた。

「王妃、それは俺のだと言っただろう!」

「私の実家に行くなら、送られてきた倍、おみやげに持たされますよ」

 王様はならいい、とまた寝転んだ。食いしん坊だ。


 部屋の出入り口までお妃様が見送ってくれた。

「帰ったらおみやげを渡すわ。また2人でいらっしゃい」

 お妃様は声をひそめて笑った。王様はもう眠ったらしい。静かで何よりだ。

「お義母様、ありがとう。気をつけて行ってらして。おみやげ、楽しみにしています」

 サリーさんも小声で言って、嬉しそうに笑った。お妃様と笑い合う笑顔が、来た時とは比べ物にならないくらい親しそうだ。


 このお妃様も、サリーさんの味方になってくれたのか。

 俺は少しずつ広がるサリーさんの世界が嬉しかった。

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