第115話 ダンスのご褒美(ちょっとしたスリルを添えて)
「しばらくあっちにも顔を出してねえな。この機会に行ってみるか」
王様がリンゴを頬張りながら呟いた。お妃様はぱっと顔を輝かせたが、すぐに上品な笑顔に隠した。
「いけません、療養中ですよ。それに、他の王妃を置いていく訳にはいかないわ」
お妃様は嬉しかったのだろう。しかし理性が強いタイプらしく、すぐに我慢してしまった。
王様はそれを見ていた。
「かまわねえよ、俺の毒はリンゴで抜けるとでも言っておけ。湯治でもいいな、あっちの温泉はいいからな」
王様はそんなお妃様を俄然喜ばせたくなったらしい。やっぱりマメな人だ。
お妃様が心配そうに尋ねる。
「よろしいんですの?そんなわがまま」
「俺のわがままが通らなかったことがあるか?明日発つぞ。支度は任せる」
お妃様が嬉しい、と微笑んだ。あんまり仲睦まじくてこっちが恥ずかしい。でも、いいな、こういうの。
サリーさんをちらりと見ると、サリーさんも幸せそうな顔をしていた。サリーさんは人の幸せをとても喜ぶ。魔女なんて恐ろしげなことをしていた割に、平和な人なのだ。
お妃様が嬉しそうに日程や温泉のことを少し話し、すぐにこちらを思い出して気遣った。
「クロ君はリンゴあまり食べないのね。好きじゃないの?」
放っておいてくれていいのに。俺は苦笑した。
「家でリンゴを作っていたので、昔食べ過ぎました」
俺の答えを聞いたサリーさんが目を丸くして、羨ましそうに俺を見た。
「リンゴ、たくさんあったの?」
「あったよ」
「もいだことある?」
「たくさんあるよ」
サリーさんの頬がほわほわと赤くなる。
リンゴをもいだことがないのだろう。もいで食べてみたいのかもしれない。俺は絶対にもいでもらった方がいいし、言ったらあまり食べなくてもいい。おそらく実家にいた時に一生分食べたから。
しかし憧れで頬を染めたサリーさんに見つめられるのは嬉しかった。昨日は軽蔑されたと思うから余計に。
「だからなのね。誰かさんと違ってリンゴを大切にしてくれると思ったわ」
お妃様がじろりと王様をにらみ、微笑む。王様はそっぽを向き、こちらだって大切にしていると言わんばかりにリンゴを頬張った。俺は顔をそらした。俺が笑ったのがバレると、何が飛んでくるかわからない。
王様は4人も奥さんがいて、みんな愛しているのかな。
俺は王様とお妃様を見た。夜会の時もそれはそれは細やかな気の遣いようだったし、この様子を見るとそうなのだろうなと思う。
王様は地位もあるし美男子だけれど、それだけではないだろう。全て王様の努力の賜物だと思う。
4人の奥さんも、子供たちも、国民も。王様の愛はどれだけ大きく深く、豊かなのだろう。俺はたったひとりすら、うまく愛せないのに。
「そうだ陛下、忘れないうちにあれ、渡してしまいましょう」
リンゴを食べる手を止め、お妃様がぽんと手を叩く。そして隣の部屋に入り、戻ってきた。
「昨日頑張って踊ってくれたでしょう。ご褒美よ」
俺とサリーさんは顔を見合わせた。
お妃様が改めて席に着き、テーブルの上に小さな箱と剣を置く。
「本当は授与式を開いてちゃんと渡したいんだけど、目立っちゃうと叔父様が面倒だからね」
お妃様は小さな箱を王様に渡し、王様はぽんとそれをサリーさんに投げた。あわあわと何とか落とさず受け取ったサリーさんは、開けるように促され、蓋を開けた。
それは黒い石のついた指輪だった。光を受けるように多面体にカットされた石が、銀の台座に固定されている。
「これは……」
サリーさんが戸惑ったように王様とお后様を見た。
「この国では珍しいでしょう」
そういえばそうだ。俺がここに来てから、色付きの石のついたアクセサリーを見るのは初めてだ。
「これはね、私が王太后様にいただいたものなのよ」
「お祖母様に?」
「そう。その指輪には、秘密があるの」
お妃様はくすくす笑って、しかし先を続けなかった。サリーさんは戸惑ったように、それでも礼を言って、箱の蓋を閉じて膝の上に乗せた。
お妃様は次に剣を取り、王様に渡した。
「クロ君、剣が折れちゃったんでしょう。陛下がお下がりを下さったわよ」
「えっ」
俺よりサリーさんの方が先に声を上げた。王様の手にある、深紅の鞘に収められた剣を凝視している。
「それは昔、お祖母様も使っていらした……」
「そうよ、王家に伝わる名剣、嵐を呼ぶ者。姫騎士も、王太子だった頃の陛下も、これで戦い、勝利をおさめてきたのよ」
何だかものすごそうだ。鞘の作りも凝っているし、柄には透明な石がいくつも飾り付けてある。
「そ、そんなすごいの、俺なんかがいただくことはできません。分を超えます」
俺は座ったまま後ずさった。サリーさんがぎょっとしたように俺を見る。え、何。
「クロノ、断るなんて失礼よ!」
「そ、そうなの?でも、こんなすごいの、俺にはもったいないよ」
小声でやりとりしていると、王様が立ち上がった。
「バカ犬、俺が与えると出したものを断る奴があるか。無礼だ、首を刎ねてやる」
王様が剣に手をかけた。俺は椅子を飛び越え部屋の端まで逃げた。
「……まあ、躾が行き届いているのねえ」
いつでも飛び出せるよう扉を背にした位置で振り返ると、お妃様が呆れたように呟いた。王様は楽しそうに笑い、剣を抜いた。俺は後ろ手でドアノブを確認した。
抜き身の剣を手に王様が近付いてくる。サリーさんが立ち上がりかけるのをお妃様が止める。
「お義母様」
「大丈夫、放っておきなさい。殿方には殿方同士の話があるのよ」
お妃様、なんてことを。さ、サリーさん、納得していないで助けてほしい。
「さあ、セーラレインさん。お茶がそろそろいいはずだわ、手伝ってくださいな。女は女同士よ」
「はい」
頼みの綱が揃って部屋を出ていく。あああ。
変な汗が出てきた。王様はもう大きく踏み込めば剣の届く距離にいる。王様はわざとその辺りで歩みをゆるめ、にやにや笑った。
剣を持った王様とは初めて向き合ったけれど、怖い。ヨスコさんとも、カズミンとも違う、凄みというか芯のブレなさというか、躊躇いのなさを感じる。
そうした心構えだけでなく、きっと剣の腕も立つのだろう。王様なら、切られたことも感じさせずに俺の首を刎ねることができそうだ。
……射程圏に入った。
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