第107話 嘘をつかないための無責任で情けない言い訳

「誘われたから踊った。でも、2人で踊った時、キスした」

 覚悟を決めて打ち明けると、サリーさんが一瞬体を固くした。俺は顔を上げられない。


「それは、……あなたから?」

 何度もしたから、俺からしたこともあったかもしれない。でも、それは多くはないはずだし、初めにしてきたのはマリベラさんの方からだ。

 それは本当にそうなんだけど、そのまま言ってしまうといかにも俺が責任逃れしているような感じになる。俺は流されてしまったと思っているけれど、やっぱり流された責任だってあると思う。

 俺は逡巡した。


 サリーさんはそれをじっと見ていた。そして、質問を変えた。

「ベラが、あなたを誘惑したの?」

 それは。

 誘惑は、された。

「クロノは、その誘いに乗ったの?」

 俺はまた答えられなかった。さっきは乗らなかった。だけどその前は、目の前の誘惑に逆らえなかった。

 あの時はもう、慰めてくれるなら誰でも良かったんだ。だから。


 サリーさんは答えられない俺をずっと見ていた。

 サリーさんが質問を重ねた。

「ベラを、好きになったの?」


「違う」

 俺はやっと答えた。ひとことが出ると、それに続くようにしてようやく言葉が出た。

「好きだから踊ったんじゃない。好きだから誘いに乗ってしまったんじゃない。誰でも良かったんだ。その時だけ、楽になれるなら誰でも良かった、だから」


「好きだからキスをするんじゃないの」

 サリーさんが尋ね、俺は必死に答えた。

「好きだからじゃない。あれは、されたからしたんだ。相手も嫌がらなかったから」

 俺はひどく無責任なことを言っている。

 けれど、サリーさん、俺、君にだけはわかってほしいんだ。君がわかってくれるなら、誰に何を言われてもいい。だから正直に話すし、どうか言い訳を聞いてほしい。


「クロノ」

 改めて呼ばれて、俺はぎくりとした。

「ちゃんとこっちを見て」

 恐る恐るサリーさんに正対し、観念して顔を上げる。

 怒られるか呆れられるかだと思ったのに、サリーさんは静かな、悲しい顔をしていた。


「クロノ」

 サリーさんの声が少しかすれる。

「もう、私に嘘をつかないで」

 ついてない。今日は、このことは、嘘、言ってない。


「あなたが誰でもいいなんて思うはず、ない。クロノはそんな人じゃない」


 サリーさんが首を振り、大きな目で俺を見つめる。

「好きな人がいるんでしょう。それならあなたが、つらい時にその人以外にに慰めを求めるなんて信じられない。あなたなら、その人しか見ない。その人を悲しませるようなこと、するはずない」

 俺の本当に好きな人が、悲しい目をして、それでも俺を信じて、俺の言葉を信じない。

 サリーさん、俺だって君にそうできるならしたかった。でも、君は遠いお姫様なんだ。だから、だから。

 苦しいけれど、嘘はもう嫌だ。俺は信じてもらえない自分の情けなさを繰り返すしかない。

「誰でも良かったんだ」


 サリーさんが俺の言葉を受け止めるまで少し時間がかかった。しかし、受け入れたサリーさんはそう、と小さく答えた。

「……本当にそうなら、本当に誰でもいいのなら」

 サリーさんがかたん、と席を立つ。俺は困惑してサリーさんの動きをただ見守った。


「私でもいいのよね」


 サリーさんが囁くように言って、座ったままの俺の肩に手を置いた。そしてそっと顔を近付ける。


「よくない……!」

 サリーさんの唇が届く前に、俺はサリーさんの腕を押し、引き離した。


 阻まれたサリーさんは、震える声で低く言った。

「誰でもいいって言ったじゃない。やっぱり、嘘なのね」

 俺は戸惑い、違う、と首を振った。ひどい誤解だ。それだけは、君にだけは。

「嘘じゃない、君は、サリーさんは誰でもいい誰かじゃない」

 俺は懸命に訴えた。

 そんなに無責任にキスしたり、抱きしめたりしていいのなら、もうしてる。もっとしてる。これでもサリーさんを大切にしたくて我慢してるのに。


「大事な人とは、そんなに簡単にキスなんてできないよ」

 叫ぶように言い、俺は泣きたくなって顔を伏せた。


 サリーさんが席に戻る気配がする。また椅子がかたん、と音を立てた。

 俺はそっとサリーさんを見た。サリーさんは疲れたように遠くを見ていた。

 サリーさんは何を思っているのだろう。さっきまであんなに近く感じていたのに。サリーさんが遠い。怖い。

 サリーさんは遠くを見たまま、小さくため息をつき、呟いた。

「クロノ、私、あなたのことがわからない」


 俺とサリーさんをやっとつないでいた細い糸が、ぷつりと切れた気がした。

 そんな。

 サリーさんが俺を理解しようとしてくれることをやめてしまったら、もう俺はどうしていいかわからない。


「だって、だって」

 サリーさんが立派な姫になって、遠くなって、ダンスはうまく踊れなくて、華やかな場所も苦手で、サリーさんと話したいのに話せなくて、サリーさんはどんどん遠くなって、素敵になって、きれいになって。

 不安で、孤独で、まわりが見えなくなっていた。サリーさんがまだ俺を心配してくれてるなんて思わなかったんだ。だから。


「どうかしてた、もうしないから許して」

「謝る相手が違うでしょう」

 取り乱す俺に、戸惑ったようにサリーさんが言う。

「サリーさん、サリーさんに許してほしいんだ。ごめんなさい、もうしないから、許すって言って」

 俺は懇願した。今サリーさんに見捨てられてしまったら、俺はもう頑張れなくなる。


「あなたの好きな人に謝って。私じゃないわ」

 サリーさん。それは、サリーさんなんだ。サリーさんが許してくれなかったらダメなんだ。サリーさん。

「サリーさん、ごめんなさい、許して」


 サリーさんは俺を見据え、強く言った。

「クロノ、やっぱりあなた、おかしいわ」

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