第108話 乱入者(歓迎すべきか、せざるべきか。もう来ちゃってるけど)
「クロノ、やっぱりあなた、おかしいわ」
サリーさんが強く言って、俺を見る。俺は言葉を失った。サリーさんにそんな風に思われてしまったらもう。
泣いてしまいそうな俺に、サリーさんが言い含めるようにゆっくり、話す。
「あなたがそんなに好きな人のことを気にしないのは、変よ。私との時はただの練習だったのに、いつも私を一番に考えてくれていたわ」
サリーさんが俺を見つめる。混乱した上にたたみかけられ、俺は何も考えられない。
自失する俺にサリーさんがそっと問いかける。
「クロノ、あなた本当に、好きな人がいるの?」
いる。目の前に。君だよ。
でもそれは言わないって決めて。
ヨスコさんと決闘してまで、それは言わないと決めて。
サリーさんのためだから。
サリーさんがちゃんと他の素敵な男性に気付くように、君にふさわしくない俺がいて、出会いを逃してしまうことのないように。
絶句したままの俺を見つめるサリーさんの目がきつくなる。
「いないのね」
いるよ。君だよ。俺は君が好きなんだ。でも。
「……恋人の真似をやめたかったのなら、嘘までつくことなかったのに。もう嫌だって、正直に言ってくれたら良かったのに」
「ちが、う」
「何が違うの」
絞り出した俺の言葉はすぐに厳しい声に返された。何って、サリーさん、違うよ。俺は。
混乱して、俺はふらりと立ち上がった。サリーさんはうつむいて、見てもくれない。
嫌わないで、サリーさん。
どうしていいかわからない。
キス、キスしたら嫌わないでくれるのかな。さっき、君が大事だから我慢したキスを、断ってしまったキスを、我慢しないでしてしまったらいいのかな。そうして後先考えずに、好きだと叫んでしまえばいいのかな。
そしたらわかってくれるかな。俺を嫌わないでくれるかな。
怖いよ、サリーさん。
俺はぎこちなくサリーさんに手を伸ばした。
その時、エレベーターの方からどががんと物音がした。
「何?」
驚いたサリーさんが立ち上がり、俺の横を抜けて様子を見に行く。俺はすぐには反応できず、ぼんやりとその後ろ姿を見た。
「サリー!たっだいまー!」
音量を間違った声がする。俺はやっと我に返った。
ヴィオさんだ。サリーさんの悲鳴がする。酔っ払いのお帰りだ。
「ヴィオ!ダメよ、ここはお風呂じゃないの!」
サリーさんがヴィオさんを抱きかかえるようにして食堂に押し戻されてくる。ヴィオさんは出かける前にドレスから着替えたのか、いつもの青いワンピース姿だった。が、もう背中のファスナーを下ろしているらしく、肩が少し見えている。サリーさんが悲鳴をあげる訳だ。
「ええ?違うの?本当だ、クロノがいる」
ヴィオさんは何がおかしいのか大笑いした。
「ちょっとあなた、ヒゲ伸びすぎじゃない?顔、真っ黒よ」
俺は思わず顔に手を当てたが、ヴィオさんは真っ赤な顔をぐっとうさぎのぬいぐるみに近付けた。
「ヴィオ、それは私のうさぎよ!」
また脱ごうとするヴィオさんを必死に止めながらサリーさんが叫ぶ。
「おお?良かったなあクロノ、私の、だって!うさぎになった甲斐があったね!うさぎ?あなた、うさぎになっちゃったの!」
ならない。ヴィオさんが笑いながらうさぎをばんばん叩く。俺はこっちなんだけど、おとなしくしていよう。
「男よりうさぎの方が上等よ!聞いてよサリー、男なんてものはね、本当にみんなうさぎになっちゃえばいいんだわ!」
「わかったから、ね、お風呂に行きましょう、ね」
恐ろしい主張を始めたヴィオさんをなだめながら、サリーさんが助けを求めるように俺を見る。俺もうなずき、付き添うことにした。
暴れるヴィオさんを苦労して風呂場まで連れて行き、サリーさんは念のためお風呂に入るまで手伝った。
お風呂に入ってしまうとヴィオさんはいつもの流れに乗ったようだ。外で待っていたら、サリーさんが疲れたように先に出てきた。
もう空が白んできた。
お互い話す元気もなくなった。俺はぬいぐるみを持ってサリーさんを部屋まで送った。少しでも休むことにして、お見舞いの時間だけ短く確認する。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
話が変なところで途中になってしまった。しかし続ける気力もなく、俺とサリーさんは挨拶をして別れた。
寝坊したらいけない、と思うほど寝付けなくなる時がある。そんな時に限っていざ眠ったら起きられなくなるものだ。
顔に日が当たり、眩しくて目を覚ました俺は、抱え込んだ目覚まし時計を見て飛び上がった。時計はあり得ない時間を示している。
いつ鳴って、いつ止めたんだ!
お見舞いの時間まであと1時間、いろいろ確認があるだろうから30分は余裕を見たい。つまりあと30分で支度を済まさなくては。
俺はいい、何とか済ませられるだろう。問題はサリーさんだ。まだ寝ていたらもう間に合わないかもしれない。
動揺して枕代わりにしていた荷物を抱いて立ち上がると、風呂敷代わりのシーツの結目がほどけてドアノブがすべり落ちた。
ああ、こっちも忘れてた。面倒だなあ。
俺は一瞬迷ったが、後回しという訳にもいかない。
俺は着替えだけすませ、まずは急いでサリーさんを起こしに行った。
「おはよう、サリーさん」
いつもなら起きていてすぐ返事があるんだけど。俺は短い時間、祈るように返事を待った。
部屋の中が急にばたばたしはじめる。寝ていたか。
「サリーさん、おはよう、俺ちょっとマリベラさんの様子見てくるから、十分くらいでまた来るから支度してて!」
「わかった!」
俺たちはばたばたとお互いのなすべきことをなすべく動き出した。
走ってワゴンを返しに行くと、カズミンはいなかったが小さなワゴンが置いてあり、いろいろな種類のパンとジャムやチーズが乗せてあった。今日はみんな体調やごはんのタイミングが様々だから配慮してくれたのだろう。さすがカズミン。
感謝しながらパンをいくつか見繕い、チーズをいくつか挟んだ。ジャムは、いちごはサリーさんが好きだから、他のにしよう。自分の口にもついでにパンをつっ込む。こんなに忙しい朝は久しぶりだ。
ワゴンを運びながら途中、俺の部屋に寄る。両隣の部屋はしんとしている。ヨスコさんは帰ってるのかな。
部屋の扉を開けると、すごい勢いでフライパンが降ってきた。予測していた俺は何とかかわし、フライパンを押さえつけ、そこにチーズを挟んだパンとジャムを乗せて部屋の中へ押し込んだ。
「クロノ、てめえ」
すぐに全身で扉を押して閉め、鍵をかけてから二度見する。あの勢いのフライパンに当たったら死ぬし、今のすごい声。中にいるのらマリベラさんだよな!?
鍵が確かに閉まっているか確認していると、内側からがんがん扉を殴る音がした。マリベラさんがフライパンで殴っているのだろう。怖い。
このマリベラさんをサリーさんに見せた方がいいのかもしれないと思いつつ、俺はワゴンを食堂に置き、いちごジャムを塗ったパンを持ってサリーさんの部屋へ向かった。
「お化粧が終わらないの」
サリーさんが泣きそうになっている。鏡台の上には化粧品が並んでいる。正直、俺にはどこがどう終わっていないのかわからない。いつものとおりきれいだ。
「俺、もう少し外にいようか?」
尋ねると、サリーさんは諦めたように首を振った。
「いいわ。髪、お願い」
結っている間にパンを食べていてもらう。お茶を出す暇もなく、飲み物は水しかないけれど仕方ない。
「そんなに大きなリボンにするの?」
あらかた結い上げてリボンを用意すると、サリーさんが気後れしたように言った。
「今日はこれくらいでいいと思うよ」
せっかくうちの姫様を披露するのだ。今日は本職にやってもらえないから、俺がせめてできる限り可愛く飾りたい。お姫様に大きなリボンがついていたら、男は喜ぶのではないだろうか。俺なら嬉しい。
「派手すぎない?」
「大丈夫だよ」
手を動かし始める俺に、サリーさんは納得いかないような顔をしたが、諦めて黙った。もう直している時間もない。
大きなリボンを結んで整えていると、サリーさんも何とかパンを食べ終えた。
「行きましょう」
俺たちは慌てて部屋を出た。
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