第105話 違う違う、違うの、違うんです
俺とサリーさんとうさぎのぬいぐるみのパーティーも、そろそろお開きだろうか。
皿があらかた空になった。サリーさんは半分までは食べられなくて、でも珍しく色々なものを食べていた。いつもは慣れたものしか食べないから、サリーさんも楽しかったのだろう。
俺が担当しなければならなかった料理は結構な量だったが、俺もいつもよりたくさん食べられた。お腹がすいていたし、何よりおいしかったから。やっぱりカズミンに料理も習おうか。
皿を軽く洗ってワゴンに戻す。ワゴンを返すのは明日の朝でいいだろうと何となく時計を見ると、もう日付が変わっていた。
「わあ、サリーさん、そろそろ寝ないと」
「平気よ、子供じゃないんだから」
とろんとしていたサリーさんが、急にしゃんとしてつんとそっぽを向く。しまった、あと5分後に気付けば良かった。今まで眠そうだった癖に。
「クロノこそ、早くお風呂済ませた方がいいわよ。ヴィオはどんなに酔っ払って帰ってきても必ずお風呂に入るから、鉢合わせたら大変よ」
「えっ」
それは確かに大変だ。いつも俺が風呂を使うと決めてある時間はとうに過ぎている。
「じゃあ俺、お風呂に行くよ。サリーさん、おやすみ」
「私もその後にお風呂に行くわ。さっきいっぱい泣いたから、汗かいちゃった。ここで待っているから、クロノ、上がったら呼んで」
「そっ……!」
支度をしていた手を止め、思わず体全体で振り返る。俺のあまりの勢いに、サリーさんはびくっと椅子の上で固まった。
「それは、ダメ!サリーさんが俺の後なんて」
「え?でも、いつもそうだし、私は先に1度入ったから後でいいよ」
でも、いつもはそんなにすぐ後じゃないし、サリーさんが俺のすぐ後なんて、何かダメな気がする。俺のあとは、もちろん掃除はするけれど、何だかくさそう。
「サリーさん、やっぱり先にどうぞ」
「どうして?」
「その、その、何となく」
加齢臭が、とは言い難い。
サリーさんはきょとんとしていたが、それなら、と席を立った。
「ごめんね、じゃあ先に」
食堂を出て行くサリーさんをほっとして見送って椅子に座り、落ち着いて、俺ははっとした。
じゃあ、俺がサリーさんの使った直後のお風呂に入るんだ。
俺は思わず立ち上がった。
何かそれもダメじゃないか?すぐ後に入りたがるなんて余計おかしくなかったか?サリーさんの浴びたお湯に触りたいって思ってるって思われなかっただろうか?
自分の中に浮かんだ言葉に自分で戸惑う。サリーさんの浴びたお湯。サリーさんの肌を流れた、お湯。そしてそのまわりには当然、サリーさんの肌に触れた湯気が。
女の人の風呂上がりがどれくらい時間がかかるかわからないけれど、ここから風呂までは5分とかからない。
今日なら急いでも言い訳が立つのだ。もしかしたらサリーさんの残り香を、湯気を、水滴をとどめる風呂場に飛び込むことができる。
「待て待て、違う違う」
俺は髪をぐしゃぐしゃかきまわした。
いけない、そんなことを考える俺がやましいのだ。そんな考えが起こらないよう、ちゃんと時間をあけて、せめて風呂場の床が冷めるくらい待ってから入れば。いやダメだ、そんなに遅くなったらさすがに酔っ払いが帰ってくる。
床を水で流してから入るか?流す?そんなもったいないこと、いや俺何を考えて。
俺は髪を掴んだままはたと手を止めた。
今って、サリーさんのお風呂上がりを待っているって、どんな状況?
わかっている。ただの順番待ちだ。
でも、でもね、サリーさんがお風呂を済ませてくるのを待ってるんだよ。次は俺が入るから。
このシチュエーション、何か、想像が膨らむじゃないか。いや膨らますな俺。
雑念が振り切れず、俺は頭を抱えたままうろうろ食堂を歩き回った。こっち見るなうさぎ。ここは食堂、やましいことは何もない。
でも。
俺は足を止めた。
でも今日はここが俺の寝室にもなるのだ。部屋を追い出されたから居場所もなく床で寝るからなのだが、言葉で現せばこうなるのだ。
俺は、寝室で、風呂上がりのサリーさんを待っている。
「違うってば!」
俺はうさぎに叫んだ。何故わざわざ勘違いするんだ俺。
頭を抱え、食堂、ここは食堂、と唱えながら歩く。
「……何のおまじない?」
はっと足を止めて見ると、サリーさんが食堂の入口にいた。
また天使になっている。
風呂上がりのサリーさんは、白い夜着を着ていた。ほんのり頬が染まっていて可愛い。表情は果てしなく引いたそれだけれども。
あの日と同じ天使の君が、お風呂上がりで。
「お風呂、どうぞ」
天使の君が、(まあさすがに若干ひきつってはいるものの)微笑んで。
「ありがとう、行ってきます、おやすみ!」
また妄想が加速し、俺は慌てて荷物を持って風呂に向かった。
こちらの世界に来る前は、俺は特に夜着は持っておらず、適当な部屋着を着て寝ていた。ここには部屋着に当たるものがないから、寝る時は夜着に着替える。
ここでは下着や夜着のような人に見せないものは、白と決まっているらしい。俺の夜着も白い。形はほぼパジャマと同じだ。俺は夜着で脱衣所を出た。
俺が飛び込んだ風呂は、念願の湯気と水滴がまだ温かい状態で残っていた。残り香?そりゃ、湯気が残っているくらいだから。
そこで俺がどう思いどうしたか、その説明はするまい。まあ、俺は最低だとは言っておく。
こんな時にこんなぱりっとした白い夜着は眩しくて気まずい。妖精はいい仕事をするのだ。俺には冴えない無難な黒い服、まだこの季節ならさらに冴えないスウェットがお似合いなのに。この世界の黒は何かもう少し違う意味がありそうだけれど。
俺はすっきりしたようなむしろしないような気持ちで、げっそりと食堂に戻った。
「……サリーさん」
そこにはもう休んだと思ったサリーさんがいた。
サリーさんはタオルを置き、はっとしたように俺を見た。うとうとしていたらしい。
サリーさんがいると、俺はやっとそれなりの人間でありたいと思い、ちゃんとできる気がする。
俺はサリーさんの安心セットを寄せた。
「もう寝ないと。部屋に戻ろう、うさぎ、持つよ」
「大丈夫。眠くない」
サリーさんはタオルで目をこすった。眠れないのだろうか。
「送るよ」
「いい」
そう言われても、じゃあおやすみとサリーさんの前で俺が床に寝る訳にもいかない。
サリーさんが寝起きのためか少しぼんやりしながら尋ねる。
「クロノ、今日どこで寝るの?部屋に戻るの?」
「戻らないよ。その辺で寝るよ」
「その辺。その辺……」
サリーさんは今初めて気付いたように目を丸くして、少し慌てた。
「えっ、そうよね、男の人がベラと同じ部屋には寝られないよね。どうしよう。ごめんなさい」
おろおろしている。
1日くらい床でも平気だよ。俺がそう言葉を挟む前に、慌てたサリーさんが続けた。
「私のベッドに一緒に寝る?この子を椅子に座らせておいたら、少し窮屈かもしれないけどくっついて寝れば2人でもきっと……」
真っ赤になった俺に気付いて、やっとサリーさんも我に返った。みるみるものすごく赤くなる。そう、君も女性です。
「ごめんなさい、違うの、私そんなつもりじゃ、その、その、そうだ、私がここに寝るわ!」
「いいよ、大丈夫だから。送るよ、もう休んで」
見たこともないくらい赤くなり、最早怒ったような顔で涙目になったサリーさんは、それでもうんと言わなかった。
どうしたのかな。まだ何か話したいことがあるんだろうか。
「少し、お茶でも飲む?」
「……うん」
サリーさんは真っ赤な顔でうなずいた。
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