第104話 次は私かなって思ったの
俺は上手くは踊れないけれど、超高速ワルツで人々の注目と悲鳴、失笑をさらうことぐらいならできる。
むしろ、サリーさんの役に立てたら嬉しいばかりだ。
笑うサリーさんを見て、嬉しくなる。
「ああいうダンスなら、また誘って」
浮かれて少し調子に乗ったら、にらまれた。
「もう誘わない。恥ずかしかったんだから」
「あ、……ごめん」
そうだった、公の場で女性からダンスに誘うのは難しいんだった。
反省する俺に、サリーさんが笑いかける。
「でも、誘ってみて良かった。私もあの子みたいに勇気を出さなきゃって思ったの」
「あの子?」
「うん。クロノに声をかけていたでしょう、黄色いドレスの子。確かオーゼイ家のお嬢さんだわ」
「ああ、あの子……俺、断っちゃったんだ。上手く踊れないから」
「そうみたいね。泣きそうになってた」
そうなのか。あんなに勇気を出してくれたのに、こんな意気地なしの俺のために。
取り返しもつかないけれど、申し訳なくて俺も泣きたくなってしまう。
「大丈夫よ、そのあとヴィオが声をかけて踊っていたから。ヴィオはそういうフォローが上手だし、あの子、次の男の子はちゃんと口説き落としてたわよ」
サリーさんが悪戯っぽく教えてくれた。ヴィオさん、そうなのか、本当にありがたい。あの子もまた勇気を出したのか、大したものだ。
良かった。あの子、パーティーを楽しんだんだ。
俺は心からほっとした。
「クロノはあのあとすぐに会場を出て行ってしまったから、知らなかったでしょ。やっぱり心配してたのね」
サリーさんが笑い、俺も苦笑した。
「見てたの?」
「うん」
サリーさんがうなずく。言いはしたたものの思いもよらなかったので、俺は少し驚いてサリーさんを見た。
「そんなに目立ってた?俺、何か、変だった?」
そっと抜け出したつもりだったのに。俺は今更だがパーティーの雰囲気を壊してしまったかと不安になった。
「ううん。私、クロノをずっと見ていたの」
俺は戸惑った。
「どうして?」
「……次のワルツは私の番かな、って思って」
サリーさんはもう冷めてしまっただろうお茶のカップに触れ、少し顔をそらして微笑んだ。
「クロノ、みんなと踊ってたでしょ。ヨッちゃんはもちろんだけど、カズミとも、ヴィオとも踊ってたから。だから、次は誘いに来てくれるかな、次は私かなって思って、ずっと見てたの」
サリーさんは小さな痛みをこらえるような表情に、無理に笑顔を浮かべた。
サリーさんが隠した痛みがちくちくと俺を刺す。
そんなに待ってたのか。俺を。
「あの時、あの子に話しかけられたあと、クロノがあんまりひどい顔して出て行ったから心配してたの。本当は追いかけて、話をしたかった」
サリーさんは恥ずかしそうに少し俺を見て微笑み、またうつむいた。
俺はあの時、自分のことだけで精一杯で、その思いに気付かなかった。
サリーさんはあの華やかな会場の中で、あんなに美しくなっていたのに、俺を忘れないでいてくれた。俺を見ていて、待っていて、心配してくれていた。
俺はサリーさんに見守られていたのか。
それをわかっていたなら、俺はあんなに不安定にはならなかったかもしれない。あの時、俺はただただ疲れて、孤独になってしまっていた。それでサリーさんの思いにも気付かずに逃げ出した。
それでマリベラさんに隙をさらしてしまった。
誘えていたら、サリーさんと踊れていたら。
身を焼くような後悔なのか、焦がれるような憧れなのか。ともかく熱くなる体の奥を意識して静めながら、俺は言った。
「いつか……もっと練習して、ちゃんと踊れるようになって、いつか、ちゃんと誘うよ」
「いつか?」
それはいつ、と言いたそうに、ちょっと意地悪そうにサリーさんが俺を見る。そうだなあ、ええと、ええと。
「サリーさんがお嫁に行くまで、それまでには必ず」
「意外とすぐかもしれないわよ?」
「……あんまりすぐだと困るけど」
俺は口籠った。サリーさんが無邪気に笑う。
頑張って練習するつもりではいるが、成果が出るまでにどれほど時間がかかることか。
サリーさんが笑顔のまま、俺を見つめる。
「クロノ、あなたはもう言うほど下手じゃないよ。ダンスは、相手に合わせて楽しく踊れたらそれで十分なのよ。みんなあなたと楽しそうに踊っていたわ。それでいいのよ」
「でも」
他の人は俺みたいに動きがギシギシしていないように思う。俺はそもそも音楽がよくわからないのだ。俺が数えているカウントと音楽の拍子が合っているのかいないのか、わからないからいつも焦ってしまう。
サリーさんがじっと俺を見て、にっこりと笑う。
「クロノはもっと、相手の顔を見たらいいのよ。楽しそうに踊る顔を」
顔か。そういえば、俺は相手の顔なんて見ていなかった。気にしていたのは、ちゃんと型通りに動けているか、足を踏まないか、人にぶつからないか、邪魔になっていないか。
それでは
「そうだね、そうかもしれない」
顔か。そうか、相手が楽しんでいるかを見れば良かったのか。俺は初めて、少し踊ってみたくなった。
でも、ここにはサリーさんしかいない。触れたらきっと踊るより先に抱きしめてしまう。
それはダメだ。誘えない。
サリーさんは少し俺を見つめていたが、諦めたように皿に手を伸ばし、果物を取った。ちょっとやけ食いみたいにいくつか続けてぱくぱく食べて、それでも俺に向かってにっこりと笑ってくれる。
「誘ってもらえるの、待ってる」
臆病者の俺は返事もできず、ただうなずいた。
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