第103話 たくさん食べて!

「お父様が助かって良かった」

 サリーさんはふうっと長く息を吐き、顔を上げた。


「もう、隙は見せないわ。私はこれからも表に出る。立派な姫になりたいの。……クロノには心配かけちゃうかもしれないけど」

 俺は言葉もなく首を横に振った。サリーさんがそう決意した理由を、俺は覚えている。


 ……立派な姫になんてならなくても、サリーさんはサリーさんでいいよ。泣き虫の、怖がりの、そのままのサリーさんでいいのに。

 俺の思いを、俺がサリーさんに言うことはできない。俺まで逃げ道を作ってしまったら、サリーさんはひとりきりで逃げ道に背を向け、無理をしなければいけなくなってしまう。


「サリーさんの思うようにしてほしい。俺はサリーさんの侍従だ。どこまでも従うよ」

 俺は心から言ったのに、サリーさんは笑い出した。

「ついさっき、命令を聞いてくれなかったわ」

 マリベラさんの件だ。根に持っている。


「あれはその。だってあれは」

 俺が慌てると、サリーさんはますますおかしそうに笑った。姫様からサリーさんになる。

「クロノ、じゃあ命令よ。そっちの、その赤いピンのそれを取って。手が痛くなっちゃった」

 サリーさんは組んでいた手を振りながらまた口を開けた。行儀が悪いなあ。俺は何だか嬉しくなった。


 雛鳥のような口に、指示された料理を運ぶ。

「ん、おいしい。次はあれ」

 サリーさんが嬉しそうに皿を指差して口を開ける。もう、手、大丈夫そうじゃないか。

 俺はこの無邪気さを失わせたくない、悪意に晒されたことすら気付かせずに守りたいと、強く強く思った。


「そうだ、明日、王様のお見舞いに行かない?」

 俺はイトー君との約束を思い出し、提案した。もぐもぐしていたサリーさんがぱっと嬉しそうな顔になる。

「そうしようと思って、もう申請は出してきたの。クロノも一緒に来てくれたら、きっとお父様すぐに元気になるわ。クロノのこと大好きだもの」

「いや、それはその、いいです」

 迷惑ともはっきり言いづらく、俺は目をそらした。サリーさんが笑う。でも、サリーさんもそのつもりだったなら良かった。あとはイトー君の願いを叶えるだけだ。


「あ、あの、それで、実はさっきのマリベラさんのことを教えてくれた男の子が、サリーさんを見たいんだって。少し遠回りしてくれないかな」

 サリーさんは笑顔を消し、じっとりと目を半分にした。

「私ちょっと、その子に優しくできそうにないわ」

「え、それは、でも、どうか、できれば少しだけでも笑ってあげてほしいかなって……」

 そこまでは頼まれていないけれど、イトー君は夜勤に続いて日勤に入るくらい楽しみにしてるんだし。


 サリーさんが吹き出す。

「いいわ、約束したんでしょ?」

「したと言うか、それと引き換えにマリベラさんのことを聞いちゃったから」

「明日は念入りにお化粧しなきゃ」

 サリーさんが笑う。俺はほっとしながら、そのままで十分にきれいだよ、と口には出せないけれど思った。


 サリーさんがよし、と気合いを入れた。

「さ、食べよう。クロノも食べて。明日はお見舞いもあるし、その後きっとうんと怒られるから、しっかり元気をつけておかないと」

「はは……」

 サリーさんが料理に手を伸ばす。やっぱり俺も怒られるのか。俺は苦笑し、手近な料理を取った。もういい、まずは食べよう。元気がなければ明日からが乗り切れない。


 サリーさんと食事をするのも久しぶりだな。ダンスの特訓で、ここしばらくはあまり塔でごはんを食べられなかったから。

 おいしいね、と笑うサリーさんを見ると嬉しい。サリーさんがおいしいと言った料理をついつい見てしまう。


 サリーさんが今頬張ったのは、オリーブとチーズとハム、そして柑橘の何かのピンチョスだ。果物をハムとチーズで挟むなんて、俺には思いつかない組み合わせだ。

 サリーさんは果物が好きだから、果物が入っていると肉もよく食べる。考えてみれば、果物の甘酸っぱさと爽やかな香りが肉や魚に合わない訳はないのだ。そしてサリーさんが手を伸ばしやすい、ひと口で食べやすい大きさ、彩り。ここにある料理によく習って参考にしよう。


「クロノ、どうしたの?……嫌なことでも思い出した?」

「え?いや、別に何も」

「何だか難しい顔してる」

 知らずそんな顔になっていたようだ。俺は慌てて頬を両手でもみほぐしながら、首を横に振った。

「この料理すごくおいしいから、覚えられるだけ覚えておこうと思って」


「これを作る気なの?」

「全部はできないけど、できそうなものだけでも」

 サリーさんは大きな目をぱちくりさせ、笑い出した。

「クロノって本当に、何でも作りたくなっちゃうのね」

「作るの好きなんだよ」

 そして俺の作ったものでサリーさんに喜んでもらえたらいいな、って思うんだ。俺は心の中だけで続けた。


「今日の、私とのダンスを思い出したのかと思ったわ」

 サリーさんが微笑む。俺はその微笑みをそのまま受け取りかけて、ふと気付いた。

 サリーさんは俺とのダンスを、何はともあれやり切った、とは思っていないようだ。


「サリーさん、俺、サリーさんと踊れて良かったよ」

 俺の気持ちを伝えると、サリーさんは少し驚いたような顔をした。

「あんな変なダンスに引っ張り出したのに?ごめんなさい、嫌だったでしょう」

 俺は謝るサリーさんを止め、首を横に振った。

「嫌じゃない、サリーさんの役に立てるなら嬉しい。それに、俺は上手く踊るよりそっちの方が得意なんだ。あれでいいなら、いくらでも踊るよ」


 少し大袈裟に請け負うと、サリーさんはくすっと笑った。

「踊るの嫌いでしょ」

「それはそうなんだけど」

 俺も笑った。思わずこぼれたような笑顔。サリーさんのその顔が見られるなら、何でもできそうな気がする。

 俺は気が大きくなり、思わず言った。

「ああいうダンスなら、また誘って」

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