第102話 一緒に食べよう
サリーさんがまだぐすぐすしながら俺の胸に寄り添っている。俺はサリーさんの髪をそっとなでた。
サリーさんが俺に尋ねる。
「赤ちゃん、寝てるのかな。ベラは帰らなくても大丈夫?」
「大丈夫だよ。生まれたばっかりの赤ちゃんは少しだってひとりにできないから、きっと誰か見てくれてるよ」
サリーさんはうん、とうなずいた。もうだいぶ涙はおさまったようだが、離れない。
「赤ちゃん、お腹すかないかな。泣いてないかな」
俺の胸に頭をこすりつけながらサリーさんがまた尋ねる。俺はサリーさんの髪をなでながら答えた。
「きっといっぱい泣いて、いっぱいミルク飲んでるよ」
「ひとりぼっちじゃない?」
「生まれたばかりの頃は2、3時間おきに授乳しなきゃいけないから、誰かついていてくれてるよ」
サリーさんがまだ涙でいっぱいの目で俺を見上げた。
「詳しいのね。クロノ、やっぱり子供いたの」
「違うよ、いないよ」
俺は慌てて否定した。
「俺のはいないけど、赤ちゃんの世話はしたことあるんだ。弟が年が離れてるし、姉たちが最初の子供の時は里帰りしてお産したりしてたし、兄の子供も生まれた頃は休みのたびに見に行ってたから、ええと、その」
「子供好きなんだね」
サリーさんが甘えるようにすり寄る。何だかどきどきする。
「クロノ、お父さんみたいだね」
お、お父さん。そっちか。
やっとサリーさんが少し笑った。笑顔は嬉しいが、この状況でそんなことを言われると何だか複雑だ。
サリーさんが落ち着いたようなので椅子に座らせる。サリーさんは素直に座ってタオルで涙を拭っていたが、突然、はっと俺を見た。な、何だ。
「聞こえた?」
「え?」
「今、お腹鳴った」
サリーさんが驚いたみたいに言ってから、急に恥ずかしそうにうつむく。俺は気が抜けた。サリーさんが照れたように笑う。
「いっぱい泣いたからお腹すいちゃった。クロノ、もらってきたご馳走、一緒に食べよう」
サリーさんが立ち上がり、ワゴンからご馳走の皿を取ってテーブルに並べ始めた。
「俺もいいの?」
手伝いながら尋ねる。さっきマリベラさんの同席を断ったので気が引ける。
「一緒に食べようよ」
サリーさんが笑いかけてくれた。嬉しくてどうしていいかわからない。
「みんなの分、取っておいた方がいいかな」
遅く帰る2人を思い出して言うと、サリーさんが笑った。
「いらないわ。ヨッちゃんは食べてくるだろうし、ヴィオは飲んでくるだろうし」
話すうちにテーブルの上がパーティーになった。
ダンスパーティー用の料理だから、ピンで刺してあったりつまみやすかったり、食べやすい工夫がされている。
色とりどりの華やかな料理を見て、俺はふと心配になった。王様が毒で倒れた後だ。万が一ということがある。
「サリーさん、俺、ひと通り食べるから」
「大丈夫よ」
サリーさんは飾り切りしてある果物をひょいとつまんで口に入れた。
「厨房まで疑ってたら何も食べられないわ。……ほら、おいしい」
にっこり笑うサリーさんを見て、俺も悲鳴を何とか飲み込みぎこちない笑顔を作った。
お姫様を務めている時も思ったけれど、サリーさんはいざとなると変に度胸がある。石橋を叩いて壊す俺とは大違いだ。
それでも俺はなるべくサリーさんの食べていないものを先に食べた。それに気づいたサリーさんが心配性、と笑う。笑われても取り越し苦労でもいい。サリーさんに何もないように、俺が安心したいだけなんだから。
「心配してくれてありがとう。……ごめんね」
サリーさんが呟く。
「私がいけなかったの。慣れるまで飲食はするなとお父様に教えてもらっていたのに」
サリーさんがこぼれたようにぽつりと言った。
「私、急に表に出始めたでしょう。お城に引き取られた時もそうだったけど、新しい人が増えると色々なことが変化するわ。それを、環境が変わるのを嫌がる人がいるんだって」
サリーさんが果物のピンを取る。
「だから、初めの方ほど、その人がいなかった元の状態に戻そうとする力が強く働くの。それを越えないと、居場所は作れないのよ」
サリーさんは少し投げやりに言って、果物を口に入れた。
俺はサリーさんを見た。言葉が上手く出てこない。
「誰かが、サリーさんがあまり塔から出てこない状態に戻そうとしているってこと?」
何とか絞り出すと、サリーさんは目を伏せ、笑った。
「お父様を見たでしょう。あれはお
サリーさんは何でもないように言って、また果物に手を伸ばした。
が、その指先は震えていて、取ろうとした果物のピンはうまく取れずに皿の上を少し跳ねた。
俺はこちらに転がったそれを取った。
渡そうと手を伸ばすと、サリーさんが当たり前のように口を開けた。サリーさんの手は、震えをごまかすようにテーブルの上できつく組まれている。
何だろう、恥ずかしさの優先順位が違うような。
躊躇していると、サリーさんはきょとんとして首をかしげ、少し身を乗り出してまた口を開けた。届かない訳じゃない。
俺は苦笑して、その無防備な口に果物を差し出した。サリーさんは嬉しそうにそれをぱくりと食べた。
俺の指の数センチ先にサリーさんの唇が迫り、手にしたピンからサリーさんの動きが伝わる。食べるという行為は意外と生々しい。
しかしサリーさんの顔を無邪気な見ていると、それでどきどきする方がやましいような気がしてしまう。
「おいしい」
サリーさんが満足そうにもぐもぐする。あの唇がさっきまですぐそこにあった。それでどきどきしてしまう方がやましいような気が。
殺されそうになった、と話しながら他人に食べ物を託し、笑顔で頬張る。それが、王族なら仕方のない日常なのだろうか。それを自然とこなすサリーさんが、怖がりなのか大胆なのかわからない。
サリーさんがぼんやりと、少し遠い目をする。
「私、どこかでわかっていなかった。教えてもらっていたのに、気を付けていれば大丈夫だとどこかで思っていた」
サリーさんは俺を見て、姫の顔になって微笑んだ。
「私が気をつけているなんて、相手も承知しているわ。その上で仕掛けてくるんだから、私はそれをもっと理解していなければいけなかった。私の油断は、私を守ろうとした大切な人を殺すんだわ。お父様はそれを見せてくれた。よく、わかった」
サリーさんは目を閉じてうつむいた。きつく組んだままの手をなおぎゅっと組んで。
「お父様が助かって良かった」
サリーさんは細く、ゆっくりと息を吐いた。
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