第73話 ありがとう、お守りリボンと壊れた簪

 サリーさんは自分が力を失ったのではなく、封じられているだけだということに気付いたのだろうか。サリーさんに見つめられた俺は、そう思ってどきりとしたのだが。


「もしかしてあなたは、魔法使いなの?」

 しかしサリーさんの問いかけはまるで見当違いだった。


「元の世界で、あんまり強いから追放されたとか」

「違うよ」

 夢見がち過ぎるサリーさんに、俺は気が抜けて笑った。同時に、元の世界で会社の後輩によく言われていたことを思い出す。


 黒野くろのさん、そのままじゃ魔法使いになっちゃいますよ。


 絶対に残業をしない男で、その理由は彼女との時間を削ってまで働いても仕方ないから、だった。その彼女が画面の中のお方だと知った時は倒れそうになったものだ。

 そいつがよく俺にそう言っていた。魔法使いになる、と。

 それがどういう意味か説明された時、あと数年後にはお前がそうだよ、と思ったものだ。俺が実際どうなのかは、……言わないけど。


 まさか、本当に魔法使いみたいなことができるようになるとは思わなかった。自分では何もできないから、魔法使いとは言わないかな。


 本物の魔法使い、いや魔女であるサリーさんが不思議がっている。

「だって、クロノがいてくれたらすごく簡単に魔法が使えたのよ。手を離したらまた力が出せなくなって。ううん、本当は私の代わりにこっそり魔法を使ってくれたんじゃないの?」

「違う違う、そんなことできないよ」

 サリーさんが難しい顔で首をかしげている。これは話題を変えた方が良さそうだ。


「そうだ、このお守りもありがとう」

 俺はリボンを取り出した。

 あれ、何だか湿っぽい。

 着替えてからずっとポケットに入れたままだったからか。走った時に一旦乾いたようだったのに、今取り出したら濡れたままのポケットの湿気を吸ったのか、湿っていた。


「ごめん、やっぱり洗って返すよ」

 生乾きのリボンなんて気持ち悪いだろうと、慌ててしまいなおす。サリーさんは悪戯っぽく微笑んだ。

「クロノ、もし良かったら、それはあなたがずっと持っていてくれたら嬉しい。私の恋人だった記念に」

 冗談めかしていたが、それはサリーさんの本心のようだった。

 応じた俺の笑顔はきっとぎこちなかっただろう。サリーさんがこんな風にまだ俺を思ってくれるような素振りをすると、切なくなる。


「クロノ、私、あなたに謝らなくてはいけないの」

 話が途切れると、サリーさんが真顔になった。

 サリーさんは待ってて、と言い置いて一旦部屋に入り、すぐに戻るとおずおずと手にしたものを俺に見せた。

 それは、砕けた透明な石の欠片と、石のなくなった簪だった。


「ごめんなさい。負担をかけ過ぎて、砕けちゃったの」

 サリーさんがうつむく。

「あなたが落っこちそうになった時、咄嗟に雨を凍らせてぶつけたの。そしたら、弾けるみたいにぱっと割れてしまって」

 俺は簪を感謝の気持ちで見た。本来の目的とは違うことになったけれど、役に立ってくれたんだな。ありがとう。


「助かったよ、やっぱりサリーさんの魔法だったんだね。危うくカズミンの水先案内人になるところだった。ありがとう」

「ごめんね、これ、クロノのいい人に贈りたかったんでしょう。本当にごめんなさい」

「いいんだ、そんなじゃないから」

 俺は言い、きょとんとしたサリーさんに見つめられて慌てた。そんなじゃないならどんなだ。


「ええと、それはその、もう用事が済んだと言うか」

 サリーさんは納得したのかどうなのか。首をかしげた後少し笑って、悪戯そうな目をする。

「そうなの?それなら、私がもらってもいい?」

「え、でも」

 簪として使えないことはないだろうが、そんな壊れた簪なんて。


「簪が必要なら、出入りの小間物屋さんにお願いすれば」

 言いかけた俺をとどめて、サリーさんはにっこり笑った。

「私も、クロノが走るところを見たかったわ」

 ようやく少しだけふさがった傷がまたえぐられる。サリーさんに見られなかったことだけが俺の唯一の救いなのだ。救いを残してほしい。


「ヴィオが泣いてたわよ、感動したんだって」

 ……どこにそんな感動的な要素があったんだろう。いや、途中ちょっとは俺もそう思ったけど、最後のパンツでみんな吹っ飛ぶだろ。

「ヴィオさん、まだ怒ってた?許してもらえるかなあ」

 俺はヴィオさんの剣幕を思い出し、重い気持ちになった。あれだけ言われたのに、また俺のやりたいことを通して大騒ぎを起こしてしまった。


 サリーさんが微笑む。

「怒ってなんかいないわよ。クロノは最高の結果を出してくれたじゃない。私たち、とっても感謝してるのよ」

「でも」

「ヴィオに言われたの。本当は私には内緒にしておくつもりだった、って。でも、それは間違いだったって。ヴィオは私に謝ってくれたの」


 ヴィオさん、わかってくれた。

 俺はうつむいた。走りながらヴィオさんを見つけた時の、胸の熱さがよみがえる。信じてもらえるということは、何て重く、嬉しいことなんだろう。


「クロノ、あなたのおかげで私も、精一杯悩んで、じたばたできたって思えるわ」

 サリーさんは俺の手を握った。

「私を信じて、相談してくれてありがとう。あんな危ない役目を負ってくれてありがとう。私とカズミを守ってくれてありがとう」


 サリーさんが視線が眩しくて、俺は少し目を逸らした。俺がサリーさんを信じることなんて、サリーさんがあの大きな丸い飴を食べてしまうより簡単だ。

 それでも、結果がついてきてくれて、本当に良かった。夜会服があんなになったのはひどいけれど、またこんな風に見つめてもらえるなんて。幸せ過ぎて目眩がする。


「クロノ?」

「あ、いや、大丈夫」

 ふらついた俺を、サリーさんが気遣う。

「ちょっと疲れただけだよ。何年振りかであんなに走ったから」

 俺は笑ってみせたが、サリーさんは心配そうに握っている手に力を込めた。


「さっきも変だなって思ったの、何だか熱かったから。クロノ、熱があるんじゃない?」

「え?」

 俺は自分の額を触ってみた。よくわからない。

「熱いわよ、ほら」

 サリーさんが手を伸ばした。額に触れたサリーさんの手はひんやりと気持ちいいが、いつもこんなじゃなかったっけ。


「熱、あるってば」

 サリーさんがぼんやりする俺を引き寄せた。

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