第72話 果てしない土下座(本当は穴があったら飛び込むからその底で土下座したまま埋めてほしい)

「クロノは?」

「全然出てこないわ」

「ごはんも食べないで」

「仕方ないでしょうね、あんなことがあったんじゃ」

 部屋の外でひそひそ声がする。俺は声から逃げるように布団をかぶった。

 外に出たくない。もう誰にも会いたくない。


 さんざん晒し者になった後、ようやく解放された俺は、濡れた元の服に着替え、ほうほうの体で魔女の塔に逃げ帰った。

 そして帰ってすぐにサリーさんに土下座した。

「サリーさん、本当にごめんなさい」

 下げ渡された、見る影もない夜会服と靴。それらを差し出して平伏する俺に、サリーさんは泣きながら飛びついた。

「そんなことやめて、顔を上げて。クロノ、ありがとう……!」

 また泣かせてしまったし、顔なんか金輪際あげたくない。

 大切な服をこんなにして、あんなたくさんの人の前で女装とパンツ姿を晒した変態の顔なんて、サリーさんには見せられない。俺は一生床に貼り付いたままでいたい。

「クロノ、ねえってば、そんなことしてないで、起きてよ」

 サリーさんが俺を引っ張るが、俺は頑として顔を上げなかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい、もう、2度と顔を出しません!」

 俺は顔を伏せたまま逃げ出し、部屋の鍵を閉めてベッドに潜り込んだ。


 そのまま籠城している。

 みんなが時折様子を見に来てくれるが、ありがたいとは思うけれど、無視した。こんな恥ずかしい男のことなんて構わないでくれ。こんな、ろくにドレスで走れもしないパンツ丸出し男のことなんて。

 自分で罵っておきながら涙が出てきた。俺は泣きながら布団の中で丸まった。


 泣きながら布団に潜るうちに寝てしまっていたようだ。昨日はろくに寝ていなかったから。

 布団から出たくはなかったが、喉が渇いて我慢できない。俺はやむなく起き上がり、ベッドを出て水を飲んだ。泣いたせいか頭が痛い。


 昨日のうち恋人役を降りていて本当に良かった。サリーさんも今頃ヨスコさんとヴィオさんから話を聞いてほっとしていることだろう。いや、それでも俺なんかに恋人役をさせたことを後悔しているかもしれない。何しろ俺は衆人の前でパンツを晒した変態だ。

 また涙が出てきた。昨日から泣いてばかりだが、昨日の方が人としてまだマシな涙だった気がする。


 俺はまた布団に潜り込もうとしてふと気付いた。内ポケットに何か入っている。

 そうだ、サリーさんに借りた指輪だ。返し忘れてしまった。最悪だ。

 会いたくない。

 しかし、これはすごく大事なもののはずだ。なくしたら大変だ。早く返さなければ。

 時計を見ると、いつもならまだ就寝前の時間だった。

 会いたくない。だが行かなければ。俺はのろのろと立ち上がった。


 あれだけ全力で走ったからか、ひどくだるい。

 今日は休みだからまだみんないるかもしれない、と俺は食堂に寄ってみた。サリーさんの部屋を訪ねるのは、もう色んな色んな意味で敷居が高い。

 食堂は無人だった。俺は肩を落とした。

 俺は重い足を引きずり、階段を上った。


 サリーさんの部屋の前で、俺は何度もため息をついた。部屋の前に置いていって、顔を合わせないまま済ませてしまいたいが、そんな無責任なことはさすがにできない。

 でも、会いたくない。

 気が重いせいか体まで重い。俺はため息をついた。


「……誰かいるの?」

 そうしてうろうろしていたら、扉が細く開いた。

 俺は逃げ出そうとして観念し、扉の影に隠れるようにして指輪を差し出した。

「クロノ」

「ごめんなさい、返すのが遅くなってしまって」

「クロノ!」

 指輪を押しつけて逃げ出したかったのだが、俺の手は抗い難い柔らかさに包みこまれてしまった。


「クロノ、待って、話したい」

 両手で指輪ごと俺の手を握りしめ、サリーさんが体で扉を開けて姿を現す。

 さっき会ったばかりなのにずいぶん会っていなかったみたいだ。休む前だったのか、いつもの黒いワンピース姿だが髪は結っていない。俺を見据える瞳は真摯で、もったいないくらいに美しい。

 サリーさんは相変わらずきれいだが、俺はこの少しだけ離れた間に変態になってしまった。


「そんな顔しないで。クロノが頑張ってくれたこと、見ていたし、聞いたわ。そして無事に帰ってきてくれた。本当に嬉しい。ありがとう」

 サリーさんがひどく優しい目で見つめるから、俺はたまらず顔を背けた。

「俺……」


「クロノ。ありがとう」

 離れなければと思うのに、名前を呼ばれた嬉しさで体が動かない。

 されるに任せていたらそっと抱きしめられた。涙が出そうになった。

 自分から終わりを告げておきながら、甘えて泣くなんて。

 サリーさんの手を振りほどかなければと思うのに、できない。情けなくて、恥ずかしくて、悲しくなって、こらえ切れずに涙がこぼれてしまった。


「泣かないで。つらい思いをさせてごめんね。大丈夫よ、わかってるわ」

 サリーさんの言葉が、背中を抱きしめてくれている手が、俺の心を慰めてくれる。俺はその優しさに甘え、たまらない申し訳なさを覚えながらも癒された。


 俺は少しだけ泣いて、離れた。

「ごめん、ありがとう」

 サリーさんは微笑み、首を振った。

「私こそありがとう。あなたが助けてくれなかったらもう、こんな風に笑えなかった」 

「助けてもらったのは俺の方だよ。魔法にも、お守りにも」

「うふふ、嬉しい」

 サリーさんの笑顔を見て、俺も少し笑った。サリーさんが笑うと本当に嬉しい。


「カズミが助かって良かったね」

「うん、良かったね」

 サリーさんが改めて言った。それだけは本当に良かった。微笑んでうなずき合うと、また少し心が軽くなった。


「サリーさんのお父さん、やっぱり優しいのかもしれない」

「クロノがうまく頼んでくれたからよ。よく説得できたね」

「その指輪のおかげだよ。話をきいてもらえたから」

 俺の説得というよりは、最後はサリーさんにも登場してもらったからだろう。女性に、特に娘に泣かれたら、面倒でない父親はいない。娘はいないが、俺も少しわかる。


 サリーさんの部屋の入り口での立ち話は、少しだけ弾んだ。サリーさんが笑い、俺も少しずつ笑顔を取り戻す。

 サリーさんといると、やっぱり俺は元気が出るんだな。


 サリーさんがふと俺を見つめた。

「ねえ、クロノ。あのね、今日、魔法を使った時のことを覚えている?」

 俺はうなずいた。サリーさんが言っているのは、あの時のことだろう。体が触れた途端、俺に宿ったサリーさんの力が魔法として動き出した時の。


「不思議だった。急に昔みたいに、力が自由になったの。ねえクロノ、もしかして」

 サリーさんが大きな目で俺を見つめる。

 俺はぎくりとした。もしかしてサリーさんは自分が力を失ったのではなく、封じられているだけだということに気付いたのだろうか。


「もしかしてあなたは、魔法使いなの?」


 しかしサリーさんの問いかけはまるで見当違いだった。

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