第66話 魔法
何度も呼ぶと、サリーさんはやっと扉を開けてくれた。
「……クロノ、どうしたの」
サリーさんの大きな目は少し赤かった。泣いていたのだろうか。俺のために。
慰めたいがそんな都合のいい言葉は思い付かず、時間に追われて、俺はサリーさんの気持ちに寄り添うこともできずに話を切り出した。
「カズミンが大変なんだ」
「え?」
疲れてうつろだったサリーさんの表情がピンと張り詰める。
俺はカズミンが捕えられ、処刑を待っている状況にあることを伝えた。その原因も、言うかどうかひどく迷った挙句、正直に話した。
サリーさんはすぐに理解してああ、と小さく声を漏らし、顔を覆った。
「そんな、カズミ……」
しかしそれは短い時間だった。サリーさんはすぐに顔を上げた。
そこには毅然とした表情の姫がいた。
「クロノ、議会を再招集して下さい。私が説明するわ」
サリーさんは静かに言った。俺は焦った。
「待って、それはさせられない」
「処刑が明日だとわかっているということは、もう父王様は裁可されているのよ。待っている時間はありません。クロノ、議会を」
サリーさんが強く迫る。
俺はサリーさんの肩を押さえた。
「俺たちはみんな、サリーさんがそれをしなくて済むようにしたいんだ。サリーさんを危険な目に合わせたくないんだ。サリーさんは塔から出さない。わかってくれ」
サリーさんは姫の顔からサリーさんの顔に戻り、涙で目をいっぱいにして俺を見つめた。
「クロノ、私、何もできないの?カズミが死んじゃうよ」
「サリーさん、何か他に方法はないか?考えて。絶対にカズミンを助けよう。俺が動くから、サリーさんが思いついたもの、全部試そう」
俺はサリーさんの肩を掴んだ手に力を込めた。サリーさんはぽろりと涙をこぼしたが、うつむき、両手を頬に当てた。
サリーさんは部屋の入り口に立ったまま、猛烈に考えている。俺は目の前に立っていることしかできないが、応援している。どうか、サリーさん。何か案を。
「……お父様なら」
だいぶ経って、サリーさんはふと顔を上げた。
「お父様は、君主は、議決を拒否できる拒否権を持っているわ。それを使ってくれたら、処刑はなくなるかも」
「拒否権か。わかった、それを王様に頼めばいいんだね」
俺は踵を返して2、3歩進み、はたと足を止めた。
「王様って、どうすれば会えるんだろう?」
サリーさんはほっぺをむにむにしながら答えた。
「普通なら目的と希望の日付を申請して、大丈夫なら2週間くらいで許可が出て」
「2週間」
俺は思わず繰り返した。それじゃ間に合わない。
「私なら会えるわ。これでも娘よ、何としてでも会うわ」
「ダメだよ、サリーさんは塔から出さない」
「じゃあどうするのよ!」
サリーさんは苛立ったように俺を見た。
「落ち着いて、サリーさん。王様が立ち寄りそうなところや、いつも通るところを知らない?そこで話したら」
「無理よ、お父様は直訴をお許しにならないわ。侍従も何人もいるから、きっと捕まっちゃう」
サリーさんは両手で頬をもにもにと動かした。
「お父様がひとりでいらっしゃるところ、お父様がひとりで」
もにもにしながら呟いている。頑張れ、サリーさん。
百回以上呟いて、サリーさんははっとしたように顔を上げた。
「クロノ、来て!」
サリーさんは俺の手を引いて部屋に飛び込み、窓から外を見せた。
「あそこ、あのベランダのある窓、あそこがお父様の執務室なの。今日は外出の予定はないはずだから、今きっといらっしゃるわ!」
「……」
俺はサリーさんの指差す方を見た。三十メートルは離れた先に、確かにベランダの付いた窓がある。さすがにベランダにまでは衛兵はいないようだ。これなら王様に会うことができそうだけど。
城の中を通らないで行くには、もう飛ぶしかないんじゃないだろうか。鳥に頼まなければならなくなる。
「もしかして、秘密の通路があったり?」
俺が言うと、サリーさんは呆れたように首を振った。
「そんなものある訳ないでしょ。あっても、私は知らないわ」
「じゃあ、どうやってあそこまで行くのさ」
俺だけとんでもなくバカなことを言ったような顔をされて、俺は少し不満に思いながら尋ねた。これでサリーさんが巨大な鳥を呼ぶとか言ったら同じ顔をしてやる。
しかしサリーさんの提案はそんなものではなかった。
サリーさんは大きく息をついてから俺を見上げ、言った。
「私の魔法で」
魔法。
俺は戸惑った。
「サリーさん、だって、魔法は使えないんじゃ」
「今度こそ使ってみせるわ。……私が魔女の祝福を試したのはね、ダメで元々、って思ったからじゃないの。使えるんじゃないかと思ったの」
サリーさんは言って、俺の手の甲に指を触れた。サリーさんの指先が一瞬、少しだけ冷たくなった。
「これもね、魔法なの。私、少し前からまたちょっとだけ魔法が使えるようになっていたの」
俺は驚いてサリーさんを見た。トマ師が封印しなおしたはずなのに。
また強くなっているのか。
「魔法で、あのベランダまで道を作るわ。クロノはそれを渡って、お父様に会って」
王様の執務室はサリーさんの部屋より下にあるが、それでも3階か4階の高さだ。俺は息を飲み、しかしうなずいた。
「わかった。それ、やってみよう」
俺とサリーさんは急いで計画を立てた。
サリーさんが使おうとしている魔法は、雨の中に霧の橋をかける、というものだった。
「雨が降っていないとただの霧になるから、後から調べられても大丈夫よ。でも、今の私の力ではどのくらい雨を降らせていられるかわからない」
「わかった。大丈夫、走っていくよ」
計画は決まった。
サリーさんが雨を降らせ、霧の橋の魔法をかける。それを渡って俺はベランダまで行き、王様にカズミンの処刑をやめてもらえるように頼む。
「意外と簡単だね。何とかなりそうな気がしてきた」
俺は無理に笑ってみせた。正直、全てが難題過ぎて思考が停止している。
サリーさんも微笑み、しかしすぐにうつむいた。
「でも、クロノ。もしかしたら、お父様はもう、私のお願いなんか聞いてくださらないかもしれない」
サリーさんは窓の外を見た。
「お父様は国民の声を大事にしてきたわ。議会の決議は国民の声だからとおっしゃって、今まで拒否権を使ったことはないの」
俺も窓の外を見た。あんなに横暴だと思っていた王様だが、やはり王様ともなると通す筋は通すのか。
「この程度の魔法が使えても、魔女として国の役には立てないわ。私はもう使い道のない娘よ。そんな私の願いを受けて、お父様が信条を曲げたりなさるかしら」
サリーさんは不安そうに、泣き出しそうな目で俺を見た。
「それでも、クロノ、それでも」
サリーさん、俺の答えはひとつだ。俺は笑った。
「お父さんは優しい人なんだろ。俺はサリーさんを信じるよ。大丈夫」
娘が可愛くない父親がいるものか。サリーさんにこれから一生ついてまわる影を背負わせないためなら、何でもするはずだ。俺と同じ思いで。そう思うしかない。
「サリーさん、確認したいんだけど、その魔法は魔女の祝福みたいに危ないことはないんだよね」
俺が尋ねると、サリーさんはうなずいた。
「あれは特殊よ。普通の魔法には呪障避けも含まれているし、魔女があんな風になることはないわ。でも、その分手順が複雑だし、今の私の力ではすごく時間がかかるかもしれない」
「じゃあ、早く始めよう」
俺はうなずいた。俺が待つことぐらいはなんでもないが、王様の仕事の時間が終わってしまうかもしれないのは気掛かりだ。午後になり、だいぶ時間が過ぎている。
サリーさんは床一面に模様を書きはじめた。
「昔はここまでしなくても良かったんだけど」
魔力が強ければ省くことのできる手順がたくさんあるのだそうだ。魔女だった頃はこの魔法で軍隊を渡河させたり、あり得ないところに足場を作って奇襲の起点としたりしたという。
「あの頃はどれだけでも雨を降らせられたのに。今はどうやって雨を降らせていたのか思い出せないの」
サリーさんはどんどん手を動かしながら呟いた。この部屋いっぱいの模様を書くことで、サリーさんは魔法を使うことを少しでも遅らせたいと無意識に思っているのではないだろうか。俺は何となくそう思った。不安になると人は饒舌になる。
無理はさせたくない。けれど、他の方法が思いつかない。
模様が完成したようだ。
踏まないように注意されたので、俺は窓際に移動した。窓には外から見えにくいように結界が張られてはいるが、念のためカーテンの影に立つ。どこで誰がサリーさんを陥れようとしているかわからない。それだけは、今回のことでよくわかった。
サリーさんは戸棚を探り、俺に大ぶりの指輪を渡した。
「これには私の紋が彫ってあるの。お父様に見せればわかるはずよ。持っていって」
指輪には無色の石がはめこんであり、雪の結晶のような繊細な彫刻が施してあった。俺は指輪を預かり、大切に内ポケットに入れた。
「あと、これ、お守り。私の代わりに」
サリーさんがいつも使っていたリボンを腕に巻いてくれた。俺は微笑み、リボンをそっと撫でた。嬉しい。サリーさんを感じられる。
サリーさんが緊張した面持ちで窓の前に立った。何度も深呼吸をする。
「サリーさん、頑張って。できるよ」
笑ってみせると、サリーさんもこわばった顔で何とか笑顔を作った。
サリーさんが窓を開ける。空は青く澄み渡り、雨の気配は全くない。
サリーさんは大きく息を吸い、呟いた。
「クロノ、どうか、お願い。カズミと私を助けて。そして無事に帰ってきて」
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