第52話 叱られましょう
扉を開けた途端、見たこともないほど鬼気迫ったヴィオさんとヨスコさんが飛びかかってきた。
「クロノ、サリーは?」
「サリーは無事?」
左右からぎりぎりと腕を締め上げられる。小声なのはまわりをはばかっているのだろう。しかし、この2人のこんな形相は初めて見た。正直怖い。
俺が言葉を失っていると、サリーさんがおずおずと俺の背後から現れて頭巾を取った。
「……!」
2人はサリーさんを抱きしめた。俺も半ば巻き込まれているのだが、もうそれも気づいていないほどに。
「サリー!心配したんだから!」
ヴィオさんが小声で叫ぶ。ヨスコさんもうなずいていたが、しかし誰が通りかかるかもしれないこの場所を気遣って2人の手を引いた。
「ヴィオ、向こうに行ってから話そう。ねえ、クロノ」
静かな怒りをたぎらせたヨスコさんが最後に俺の名を呼んだ時だけ、背後に黒い炎が燃え上がったような気がした。
やっぱり俺も叱られるのだ。覚悟はしていたが、……怖いなあ。
般若という能面がある。
もとは仏教用語だそうだが、よく知られているのは女性の嫉妬や恨みのこもった顔だということではないだろうか。
ヴィオさんとヨスコさんには、嫉妬はない。恨みもない。ただただ、懸命さと気遣い、それの行き着く先があるだけだ。
相手を思い必死になり過ぎると、思うような対応が返ってこなかった場合、心が狭くなる。思い通りに動かない相手に気を揉み、失望し、それは怒りに変わっていく。愛情の細やかな女性だからこそ、般若になってしまうのだ。
「クロノ。何か考えごとしてるわね。言いたいことがあるなら、聞くわ」
ヴィオさんに静かに微笑まれ、俺は慌てて注意をそちらに戻した。
「いいえ何も、ごめんなさい」
「いいのよ、私も聞きたいわ。あれだけ鍵のある扉があって開けて閉めてを繰り返すのに、誰かついてきているのに気付かないなんてどうしても理解できないもの。わざとでなければ何なのかしら。ねえクロノ、教えてくれる?」
ヴィオさんが微笑む。うう、怖い。
「それはあの、ぼんやりしていて……」
「あなたはぼんやりし易いものね。じゃ、すぐに連れ戻さなかったのもぼんやりしていたからなの?」
「それは、ええと、バスが動いたから」
「そう。クロノにはバスの運転手も妖精か何かに見えたのかしら?きっとそうよね、そうでなければお願いして停めたらいいだけだもの。言葉の通じない妖精なら、間違えて乗ってしまったなんて言っても停めてくれないって思っちゃうわよね。どんな妖精にも、人語に反応するセンサーはついてるけどね。クロノは妖精をよく知っているものねえ」
ヴィオさんはにこにこしながらひとりうなずいた。目が怖い。笑いながら怒る人は怖い。しかし後ろで黙っているヨスコさんが怖くない訳ではない。静かに落ち着いている分、どれだけ怒りをため込んでいるのか。
「ごめんなさい」
俺はひたすら謝った。もうそれしかない。
「いいのよ、私たちはあなたがぼんやりしていた間ちょっとサリーのことを心配して、でも大ごとにもできないからとにかくヨッちゃんと探し回って、ただただ無事を祈っていただけだから」
「ごめんなさい」
「サリーに何かあったらどうしよう、陛下のお耳に入ってしまったらどうしようなんて心配するのは、私とヨッちゃんの勝手よね。そんな勝手のためにバスは停められないわよねえ」
「ごめんなさい……」
他に言葉がない。
「サリーもわかってるのよね。私たちが勝手に心配してること。勝手にしてるんだから、させといたらいいわよね」
「ごめんなさい」
今度はサリーさんが謝った。もういつもの長いワンピースに着替えている。
塔に戻り、サリーさんはまず着替えを促され、俺の持っていた食材はヴィオさんの冷蔵庫にとりあえず突っ込まれた。
長くなるんだな、と思ったものだ。
それから食堂で延々と叱られている。
ヴィオさんが微笑みながらサリーさんを見る。目は怖い。
「町に用事があるなら、行く方法はなくはないわ。申請の仕方も教えたし。覚えてるわよね?あなたが必要ないって言ってたからそれきりになっちゃったけど。あ、な、た、が」
「はい……」
消え入りそうな声でサリーさんが答える。
「しかも男性の服を着て行くってどういうことよ。何でそんなことしたの。女性が男性の服を着てはいけないなんて、改めて教えなければわからなかったの?」
「ごめんなさい」
サリーさんがますますうつむく。
「変装して見つからないようにしようと思って、黒い服だとクロノが持っているから」
「この際他の色を着た方がまだマシよ!」
ぴしゃりと言われてサリーさんはきゅっと体を縮めた。
「あなたね、そんな格好で、しかもカズミといたんでしょう。今どれだけあなたの立場が微妙か、わかっているでしょう!」
「ごめんなさい」
ついにヴィオさんが吠え、サリーさんは小さな声で謝罪を繰り返した。
「無事に帰ってきたからそれは良かったけど、無事に帰ってきたらその後の心配もあるのよ!行きたいならちゃんと手続きを踏んで!あなたも大人ならもっと自分のことを考えなさい!」
「ごめんなさい、もう2度とこんなことしません」
「2度なんかあってたまるもんですか!この1度だってなかったことにしたいわよ!」
「ごめんなさい」
サリーさんは立ち上がって深く頭を下げた。
「ヴィオ、ヨッちゃん、勝手なことをして心配かけてごめんなさい。もうしないから許して」
そしてサリーさんはポケットから飴を取り出し、ヴィオさんとヨスコさんの前にひとつずつ置いた。
「これ、買ってきたの。おみやげにあげる」
透明なフィルムに包まれたそれぞれ青と緑の飴は、そのまま食べたら口がいっぱいになってしまいそうな大きさだった。
「飴屋さんに行きたかったのか」
ヨスコさんがぽつりと言う。
「私がわたあめの話をしたから」
サリーさんは泣き出しそうな顔でヨスコさんを見た。
「見てきたわ、ヨッちゃん。あんなにたくさんの、きれいな飴を見たのは初めて。すごかった。お店の中がずっと甘いにおいがして、お店の人がずうっとわたあめを作っているの。夢みたいだった」
サリーさんはほっと息をつき、そっと微笑んだ。
「今度どうしても行きたくなったら、ちゃんと手続きをします。もう2度と塔を抜け出したりしません。ごめんなさい」
サリーさんは再び深く頭を下げた。ヴィオさんがため息をつく。
「そんな顔されたら、もう怒れないじゃない。サリー。本当にもう2度としないでね。あなたが思う以上に危ないのよ。あなたが心配なの。お願いよ」
「うん。ごめんなさい」
ヴィオさんがサリーさんを抱きしめ、ヨスコさんもそれに加わった。本当はヴィオさんもヨスコさんも自由に町を歩かせたいのだ。
ぐぅぅきゅるるる。
「え?」
「何?」
「何の音?」
抱き合って笑っていた女の子たちが不審そうに顔をあげてきょろきょろする。その視線が俺に集まる。俺は真っ赤になっておたおたしたが、再び。
ぐうう。
「クロノ?」
「クロノのおなかの音?」
「ご、ごめんなさい」
俺は腹を抱えた。ほっとしたら空っぽのおなかもほっとして主張を始めたらしい。女の子たちが笑い出す。
「おなかすいたね!」
「心配したから、いつもより余計おなかすいた!」
「心配かけたからおなかすいた!」
「サリー、あなたって子は!」
「きゃあ、あはは、やめて!」
サリーさんも屈託なく混ざって声をあげるから、ふたりにやっつけられていた。また両側からなでまわされて悲鳴をあげている。
俺はここでもうひと仕事だ。また怒られそうだが。
「ヴィオさん、ちょっと畑に行こう」
「え?何かほしいの?もう暗いわよ、明日にしたら?」
「ごはんがあるんだ。さっきの食材もらえる?」
ヴィオさんとヨスコさんは顔を見合わせた。
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