第51話 自由の代償

 バスが停まり、俺たちはバスに乗り込んだ。車内はやはり空いていて、荷物の多いサリーさんとカズミンは2人掛けの椅子の前後にそれぞれ座った。俺は間に立った。

「クロノも座ったらいいのに。ねえ見て、このブローチ、可愛いでしょ!」

 カズミンが早速袋から買ってきたものを取り出して披露する。他にも、香水、化粧品、小さな赤いバッグ。俺にはどれも価値のわからないものだが、カズミンがそれだけ笑顔になるならきっと素敵なものなのだろう。


「このバッグ、持ち手が金属のもあってね。迷ったんだけど、こっちにしたの」

「うん、バッグと同じ素材の方がいいよ。カズミンにはきっとこっちの方が似合うよ」

 金属の持ち手だとトレーニング機材のようになりそうだ。心からカズミンの選択を肯定すると、カズミンは目を皿のようにし、慌てたようにそっぽを向いた。

「……バカ」


 え、メガネがずれたかな。サリーさんにも賢そうに見えると言ってもらえたばかりなのに。

 俺はバカに見えないよう、うつむいたカズミンから顔を背けてメガネを直した。レンズがあまり大きくないので、ずり落ちるとすぐに新聞を読んでいて孫に呼ばれたおじいちゃんのようになってしまう。もう少し調節してもらえば良かったかな。それでもきつめにしてもらったのに。


「服もね、可愛いのがいっぱいあって。ここでは広げられないけど、クロノに見てほしいな」

「そうですね、機会があれば」

 残りの袋を見るカズミンに何とか笑顔で答えると、カズミンはまたそっぽを向いた。何だか少し様子が違う。カズミン自体の圧力は変わらないが、俺に対しての圧の、方向性だろうか、何かが違うような。それともやっぱりメガネが合わないのかな。

 手にしていた荷物を肘にかけて両手でメガネを直す。片手よりはうまくできたのではないだろうか。鏡がないからわからない。仕方ないことだが、まだどうも慣れない。


 サリーさんは言葉少なにずっと外を見ていた。

 夕日に染まった、切なくなるような美しい横顔。黙って座っていたら、この人は本当にきれいだ。

 でもそれはサリーさんの良さの一角、本当はふにゃふにゃの笑顔がいちばんいいと思う。隙だらけの、油断したあの笑顔。俺がサリーさんの花婿候補ともし話ができたなら、意見が合った男だけを認める。この良さがわからない男に嫁に出してたまるか。 


 それはともかく。

「そうだ、サリーさん。帰って、もし怒られたら俺が無理についてきてもらったことにしない?」

 小声で相談すると、サリーさんは首を振った。

「しない。私、ちゃんと自分で勝手について行ったって言うわ」

「でも」

「ありがと、クロノ。でもこんなに楽しかったんだから、しっかり怒られなくちゃ」


 サリーさんは紙袋を抱きしめて笑った。

「カズミに教えてもらったの。自由には責任があるのよ、って。だからちゃんと考えて行動しなきゃいけないんだって。私は責任を果たさないで自由を楽しんじゃったから、責任を取らなくちゃ」

「あんたに取り切れる責任ならいいけどね」


 後ろの席からカズミンが口を挟んだ。

「取り切れない責任ってものもあるのよ。……特に戦場ではね」

 カズミンの目が不意に、表面に散りばめたキラキラ星を剥ぎ取ったように暗く沈んだ。

「自分のために失われた命は、どうあがいても戻らない。でも、そんなかけがえのないものに守られてしまったら、自分が辛いからと言ってないがしろにもできなくなるわ。抱えて生きるしかないのは辛いものよ」


 沼の底から見上げるように、カズミンが俺を見た。

「クロノ、あなたがしたことはサリーを私と同じ泥に沈めることと同じよ。いくらサリーのためでも、あなたが傷を負ってはいけないわ。今回は助かったけれど、次はわからない。あなたが変わらないなら、いつかサリーは私と同じになるわ」


 俺はカズミンを見つめた。思わぬ闇に触れ、怖いような、悲しいような、哀れなような思いが交錯する。

 カズミン、でもわかるような気がする。

 わかるなんて軽々しく口に出せないほど大切なことだから、今はまだ俺の胸の内で呟くだけだけれど。

 俺は軽率なことをしでかし、サリーさんは存在を懸けて俺を救った。その結果として俺の顔には傷が残った。

 サリーさんは俺を見る度、血にまみれた俺を思い出して悔やむだろう。俺もこの傷のある限り、サリーさんを危険に晒してしまったことを後悔し続ける。

 それでも、これで済んだからまだ、マシだった。


「クロノ、もっともっと考えるのよ。最後まで諦めちゃダメ。助かるためにあがきなさい。それがきっとあなたの大切な人を救うから」


 カズミンの顔はいつになく険しく、それは確かに人を斬った剣士の顔だった。その顔を夕日があたたかく彩る。

「……ガラでもない話しちゃったわね。ま、サリー、あんたは今日は死ぬほど怒られなさい」

「はい」

 サリーさんは素直に答え、カズミンを振り返った。

「カズミ、いつか魔女の塔に会いに来て。2人きりであなたの抱えている辛い責任の話をしましょう。ひとりで背負うより、ほんの少しだけでも楽になるかもしれないから」


 カズミンは一瞬はっとしたような顔をしたが、すぐにメイクの笑顔で押し隠した。

「私でも重いんだから、あんたなんか潰れちゃうわよ」

 サリーさんは微笑んだ。

「私は大丈夫。全部は受け取れないし、私も一緒に持ってる、ってフリしかできないかもしれない。でも、ひとりきりよりはいいと思うの」

 カズミンは窓の外を見た。

「あんた、少しは大人になったのね」

「婚約して、破棄されるくらいには」

「いい女にはそのくらいの武勇伝がないと」

 2人は声をひそめて笑った。


 城壁前のバス停に着いた。サリーさんは念願の降車ボタンを押したのでご満悦だ。さすがにこれから叱られるので笑顔は一瞬だったけれど。

 降りたのは俺たち3人だけだった。乗り込む人はちらほらいるようだ。

「通いの人もいるからね」

 そうなんだ。ちょっと考えればそうなのだろうが、城って不思議だな。


 日はすっかり沈んで、空に微かに残った名残も刻一刻と消えていく。代わりに反対側の空には星が光り始めた。

 カズミンの分の預かっていた袋を返す。食材は俺がこのまま持っていくことにした。

「クロノの部屋に冷蔵庫があると便利よね。今度見に行きましょ」

 そうだ、欲しかったんだっけ。

 でも、俺は今は約束しなかった。サリーさんもきっとまた町に行きたいだろう。けれど、行けるかどうかわからないから。

 カズミンは少し俺の答えを待ち、肩をすくめた。

「私は先に準備してるわ。お説教が済んだら、みんなを連れていらっしゃい」


 カズミンと一旦別れる。

 少しだけ2人きりになった。話したいことはたくさんあるが、早く帰らなければならない。だから。

「サリーさん、話したいことがたくさんあるんだ。後で部屋に行ってもいい?」

 サリーさんは少し驚いたような顔をして、でも微笑んでうなずいた。

「私も、そう思っていたの」

 時間を決めて、見つめ合い、少し笑う。よし、勇気が出てきた。


 叱られよう。

 

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