第10話 大ゲンカ(ある意味俺が中心のケンカではあるが、幸いにして俺は蚊帳の外)

「クロノも出て行って」

 剣をどこに置いたらいいかうろうろしていた俺は、急に言われて戸惑った。


「出て行って、早く」

「サリー」

 繰り返す姫様に、ヴィオさんが少しきつく呼びかける。

「ここはクロノの部屋よ。行きましょう」

「違うわ!ここはベラの部屋よ、クロノは出て行って!」

「サリー」

 ヨスコさんが戻ってくる。姫様は机にしがみついた。

「ここはベラの部屋よ、ベラと私の椅子よ!」

「サリー、ベラは帰ってこないんだ、もうそれはベラの椅子じゃない」

「違う、私とベラのよ!」

「ベラはもうお嫁に行ったんだ、戻らないよ」


「私も行きたかったのに」

 机に突っ伏す姫様が声を絞り出す。

「格とか、どうでも良かったのに。私はベラと一緒にいられたら良かったのに。ベラといられるなら、侍女に先を越されて嫁いだって言われるくらいかまわないのに!」

「サリー!あなたは」

 ヨスコさんがカッとしたように強く姫様の肩を掴んだ。俺は思わず間に入った。


「ヨスコさん、ダメだよ」

 はっとしたようにヨスコさんは手を離した。ひどく怒ったような、悲しいような顔をしていた。

「ヨスコさん?」

「……そんなにあんな奴のことがいいなら、ずっとそこにいたらいい!」

 ヨスコさんは姫様にたたきつけるように言い、足早に部屋を出た。ヨッちゃん、とヴィオさんが追いかけようとしたが、バン、と扉の閉まる大きな音がした。


 姫様は泣き出しながら机にしがみついている。どうしよう、俺、出て行った方がいいのかな。俺はどこでもかまわないんだから、そんなにここがいいなら。

 ヴィオさんが腕を組んだ。

「わかったわ、サリー。あなたはここにいなさい。ただ、ここはもうクロノの部屋よ。クロノは出て行かないわ。あなたがクロノの部屋に入れてもらっているんだからね」


「ベラの部屋だもん」

 姫様がぐすぐすしながら言い返す。ヴィオさんが違うわ、ともう一度繰り返して、ため息をついた。

「ねえサリー、ヨッちゃんも私も、あなたが大切なの。ずっと大事にしてきたつもりよ。そんな大切なあなたが悪く言われてしまうのは、私たちもつらい。なのに、あなたはそれでもあなたを傷つけたベラの方がいいの?ねえ、サリー」

 姫様は答えなかった。しかし、机からも離れない。


 ヴィオさんは少し笑った。

「サリー、ヨッちゃんと私にも心はあるのよ。……いいわ、おやすみ。クロノ、サリーをよろしくね」

 困惑する俺を置いて、ヴィオさんは扉を閉めた。


 ヴィオさんも部屋に戻ったのだろうが、扉を閉めてしまうと外の音はあまり聞こえない。代わりに姫様の小さく泣いている声はよく聞こえる。

「あの、……姫様」

 呼んでみたが、俺が呼んでも答えてはくれないだろう。だが、聞こえてはいるはずだから俺は続けた。

「俺、食堂かどこかで寝ますから、どうぞいてください。疲れたらベッドも使ってください」

 姫様は答えない。俺はすぐには戻らなくてもいいようにタオルや目覚まし時計、洗面道具などを持った。着替えは、いいか。ここはそんなに寒くもないから、タオルにくるまれば眠れるだろう。これで明日の朝までは過ごせるはずだ。


「部屋の鍵、置いていきますね」

 俺は机に部屋の鍵を乗せた。

「……あなたまで私を置いていくの」

 え。俺は困惑して足を止めた。姫様は続けた。

「私はベラがいいの。ヴィオとヨッちゃんも好きなの。前みたいにみんなで暮らしたいの。どうしてダメなの?どうしてみんな怒っちゃうの?」


 姫様は机に伏せたまま、泣きながら呟いた。

 事情はわからないが、ベラというのがこの部屋に前いた人で、姫様の侍女だった人のようだ。俺が代わりになれと言われた、マリベラさんという人のことだろう。姫様はベラさんが好きで、離れてしまった今も夢に見て泣くほどだが、他の2人はあまり印象が良くないらしい。


 嫁ぐ予定だった先で何かがあったようだが、俺が聞く訳にもいかないし、聞いたところでどうしようもない。

 ただ、これだけは俺にもわかった。

「怒ってたけど、悲しそうだったよ、2人とも」

「……」

「姫様のことを大切に思って、怒っていたみたいだったよ。そのことをわかってもらえなくて、悲しんでいるみたいだったよ」


「……そんなこと、あなたに言われなくたってわかっています」

 姫様は手の甲で涙を拭いながら、机から起き上がった。俺は持っていたタオルを差し出した。

「いらない」

 断られてもしばらく手を引かないでいたら、姫様はようやくタオルを受け取った。泣き虫なのに、素直じゃないなあ。


「姫様が2人を好きなんだったら、謝った方がいいと思いますよ」

「私は……」

「そうだよね、姫様は俺になんか言われなくても、わかってますよね」

 他のことを言いたそうだった姫様にわざと言うと、姫様はタオルに顔を埋め、ふくれた。


「公でない場でまで役職名で呼ばれたくはありません」

 役職名って、姫様のことか。じゃあ何て呼んだらいいんだろう。

「セーラレイン様……?」

「堅苦しいわ。クロノ、私がこれから行くところに供としてついてくるなら、特別にサリーと呼ぶことを許可します」

 タオルから姫様、いやサリーさんがちらりと俺を見る。謝りに行くからついてきてほしいと言うことか。


「光栄です、サリーさん」

「いいでしょう。では来なさい」

 サリーさんは精一杯威張って、俺の後ろに隠れた。

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