第9話 本当にここで暮らしていくんだな(目覚まし時計はその覚悟の証)

 姫様はお茶にやっと興味を示し、俺とヨスコさんに見つかっていないつもりで、慎重にカップを傾けた。

 俺とヨスコさんは期待のあまり話を切らしてしまわないよう、懸命に言葉をつないだ。

「このカップ、きれいだね」

「白いし、丸いからな。取手もついているし」

 俺たちの会話は最早超伝導のように上っ面をなでもせずすべっているが、お茶に夢中な姫様は気付かない。


 ほわあ。

 お茶を飲んだ姫様の顔は、努力を尽くした俺たちを慰めるに十分な、いやそれ以上のものだった。


 姫様の大きな目ははっきりしている分、見開くときつく見える。俺はさっきまで怒られ、嫌われ通しだったので尚更だ。

 それが今、お茶の香りに目を細めてふにゃりと口元をゆるめた姫様は、日向ぼっこに体を伸ばした猫のように可愛らしくのんびりして、お茶を楽しむのに夢中だ。そしてそれは俺が淹れたお茶で。

 いやあ、幸せそうだなあ。可愛いなあ。

 俺とヨスコさんは遂に言葉を失くし、姫様に見とれた。

「おいしい」

 姫様から言葉がこぼれた。これは、嬉しかった。

 俺とヨスコさんが幸せな顔で姫様を見つめていると、姫様は視線に気付いてしまい、あわててつんとそっぽを向いた。ああ、残念。でもカップを大事そうに持ったままだから、いいか。


 俺とヨスコさんは名残惜しかったけれど、姫様見物をそこまでにして図面に戻った。

「この上は?」

「トイレ、洗面所、ランドリー、お風呂。洗濯乾燥機は2つあるけど、何故か誰かが使っている時にかぶるんだ」

 ヨスコさんはだいぶ打ち解けてくれてきたようだ。

「エレベーターの隣が階段だ。階段の壁にはところどころ窓があるんだ。小さい窓だけど、高いから景色がよくて」

 ヨスコさんが身を乗り出して図面を指差す。

 ヨスコさんは細身で背が高い。隙のない長い指がぴしぴしと動くのがカッコよくて思わず見とれてしまう。敢えて飾らず、無造作におさげにしているけれど、ドレスでも着たらきれいになるんだろうな。


 ひと通り見取り図が完成し、俺は図面を見た。俺が入っていいのは俺の部屋、応接の間、食堂。

 風呂がある階は立ち入っていい時間を決められそうになったが、トイレもあるので許してもらった。のぞかないし、本当に気を使う。

「必要な物があれば私かヴィオ、後はトマ師に相談してくれ。あなたのことはおいおい相談するけれど、今はまだあまり塔の外には出ないでもらいたい。サリーのこともあるから」

 男が出入りしていると知られると不都合なこともあるのだろう。俺は了承した。


「そういえばクロノは自分の部屋は確認したのか?足りないものがないか見ておいた方がいいんじゃないか」

 そう言われたらそうだな。足りないものがあった時、後から女性の部屋を訪ねるのは気が引ける。

「ヨスコさんも来てもらってもいいかな」

 仕方ないな、とヨスコさんが立ち上がる。お茶を飲み終わった姫様も当たり前のように立ち上がった。姫様も来るのか。

 俺たちは3人で、近いから階段で下に降りてみることにした。


 階段は小さな明かりが灯されていた。

 ランプのようなデザインだが、電気のようだ。音も匂いもない。

「こちらから見えるのは町だ。夜は星みたいできれいなんだ」

 ヨスコさんが途中の窓で説明してくれた。俺と姫様は窓をのぞきこんだ。真っ暗な闇を挟んで、少し離れたところに町らしき光の集まりがある。


 それもきれいだが、夜空がきれいだ。真っ暗で、星がすごい。あんなに町が明るいのに。

 星を見れば世界が同じかどうかわかるだろうと思っていた俺の目論見は外れた。こんなに星がたくさんあっては、知っている星かどうか見分けもつかない。

 ふと下を見ると、姫様がじっと町の明かりを見つめていた。姫様には見慣れた景色だろうに、その眼差しの真剣さは少し不自然なくらいだ。

「さあ、行こうか」

 尋ねることもできないまま、俺はヨスコさんと姫様のあとを着いて階段を降りた。


 エレベーターホールに出て、応接の間の裏を回る。

「表の廊下からもつながってはいるが、普通はこちらから出入りするようにしてくれ」

 表の廊下というのは応接の間に至るあの鍵付きの廊下のことだ。俺は図面を見た。確かに廊下に挟まれるような形になっている。

「あら」

 部屋の前に行くと扉が開いていて、ヴィオさんが中から顔を出した。

「勝手に入ってごめんなさい、クロノ。今片付けを済ませたところなの。あら、みんなで来たのね」

 姫様とヨスコさんはきゅっと体を縮めたが、ヴィオさんがそのまま片付けに戻ったのでほっとしていた。ヴィオさんは強いんだな。


 部屋はやけに可愛らしいピンク色だった。個人的な物は全て片付けられているようだが、置いてある家具などが非常に可愛らしい。

「家具は前の人が使っていたもののままなの。気になるようならそのうち変えるから、まずは我慢して使っていてね」

 ヴィオさんが申し訳なさそうに言う。

「大丈夫です」

 俺には姉が2人、兄が1人、弟が1人いる。年もその順だ。兄は長男だからといろいろ揃えてもらえていた。弟は少し年が離れているのでやはりいろいろ買ってもらえていた。次男で上3人と年が近い俺は、何でもお下がり、お下がり、お下がり。おかげで女物を使うことに抵抗は、抵抗はなくはないが、まあ使い慣れてはいる。


 ベッドとクローゼット、本棚のような棚が2つ。クローゼットには着替えが入れられていた。シャツや下着はともかく、上着とズボンは今着ているのとみんな同じような形で、真っ黒だ。俺は服にこだわりはないから、日々迷わなくていいのは楽でいい。

 他には簡単な机と椅子がふたつ。それに比べて鏡台が少し立派過ぎるが、もともと女性の部屋だったのだから当然だろう。それより小さいけれど水場があって良かった。

 俺は足りなそうなものを考えて、申し出た。何より目覚まし時計は絶対にいる。


 俺が部屋を見てまわる間、姫様は鏡台に座ったり、ベッドに腰掛けたりした。それから椅子に座ってテーブルに手を置き、ぼんやりしていた。


 目覚まし時計はとりあえずヨスコさんが貸してくれることになった。たくさん持っているのだそうだ。

「朝、得意じゃないんだ?」

 すぐに持ってきてくれた強力そうな目覚まし時計を借りて俺が思わず笑うと、ヨスコさんはあわてたように違う、と言った。

「剣の訓練に力が入り過ぎると寝る時間を忘れてしまったり、疲れて起きられなくなってしまう時があるから、だがら」

 寝坊するたびにより強い目覚まし時計が増えるのだろう。わかる。俺も遅刻するたびに怖くなって目覚ましを増やしていた。


「あと、これ」

「……」

 うやむやにならなかった。俺はヨスコさんに剣を渡され、細身なそれの意外な重さに怯んだ。

「これ、本物?」

「当然だろう。練習用だから少し小振りで、確かにおもちゃみたいだが……ああ、もしかしてクロノは大剣の方が使い慣れていたか?屋内で振るならと思って」

「いやあの、俺、剣、持ったことないんだ……結構重いんだね」

「……」

 ああ、ヨスコさんが軽蔑している。

「明日からの訓練、やりがいがあるわね」

 ヴィオさんが笑う。ヨスコさんのその目。もう逃げ出したいよ。


「じゃあ、お風呂はさっき言った時間によろしくね。今日は疲れたでしょう、お茶は私が片付けておくからクロノは休んで」

 ヴィオさんが部屋を出、ヨスコさんも続く。姫様は、続かなかった。

「サリー、あなたは残るの?」

 ヴィオさんが尋ねると、机に座っていた姫様は顔も向けずに言った。


「クロノも出て行って」

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