第8話 お茶は苦いか、おいしいか(熱々)

 ヴィオさんと向かい合っているだけでくたびれた。

 俺は椅子にもたれてしばし呆然としていたが、こんなだらしないところを見られる訳にはいかない。次に来るのは、ヴィオさんよりストレートに厄介そうな、あの姫様だ。


 ああ、嫌になってきた。彼女ができたらこんなに面倒だったのだろうか。大変だ。いなくて良かった。手に余る。もういないままでいいかも。


 扉がノックされ、俺は反射的に立ち上がった。

 どうしよう、膝をついて挨拶しなきゃいけないのかな。

 迷ったが、公的な場ではないからいいだろうと俺は立ったまま姫様を待った。

「……ヨスコさん?」

 入ってきたのはヨスコさんだった。ヨスコさんはぎくりとしたが、平然とした風を装った。

「ああ、私のことは気にしなくていい。壁か何かだとでも思ってくれ」

 ちょっと動揺しているな、と思ったら、ヨスコさんに隠れるようにして姫様が入ってきた。ああ、また姫様に泣きつかれて、甘やかしてしまったからバツが悪いんだな。

 しかし俺としても姫様と2人っきりにされるよりは、ヨスコさんがいてくれた方が心強い。


 俺は2人によろしくお願いしますと声をかけて、お茶を淹れた。

「お茶?ごはんも済んだのに、お茶にするの?」

 姫様が席に着き、目の前のカップを不思議そうに見る。

「お茶を飲みながらの方が、話がしやすいかと思って」

 俺が答えると、姫様はあわてて嫌そうに横を向いた。話しかけたつもりはなかったらしい。俺は苦笑した。


 姫様はそっぽを向いたままお茶を口にして、

「熱っ」

 がちゃん、とカップがテーブルに落ちて転がり、こぼれたお茶が広がる。

「サリー!大丈夫?」

 隣に座っていたヨスコさんが急いで姫様を立たせた。俺は慌ててワゴンにかけてあった布でテーブルを拭いた。

 良かった、下にまではこぼれていないし、カップも割れていない。テーブルに広げていた塔の見取り図は、お茶の赤い色にまだらに染まってしまったけれど。


「やけどしなかった?」

「どうしてお茶を熱くするんです!」

 尋ねると怒鳴られた。どうしてと言われても。

「サリーはあんまり、熱いものに慣れていないんだ。ここにいると接する機会がほとんどないから」

 ヨスコさんが取りなすように言う。あの冷めた食事がいつものことなのか。前の日の夜から準備されているお湯も。


「熱いから気を付けてって、言えば良かったね。ごめんね」

 姫様は答えず、不満そうに座り直した。

「お茶なんかなくても話くらいできます」

 そうは言っても、俺とヨスコさんにお茶があって姫様にだけないというのでは、俺たちも飲みにくい。

 入れ直すよ、と余分にあったカップを出すと、姫様はいらない!とふくれた。子供みたいだ。実際子供なのだろう。


 かまわずお茶を淹れながら、ふくれてそっぽを向いている姫様をちらちらと見る。

 改めて見ると姫様はものすごい美人だった。

 真っ白な髪と肌、整った顔立ち、大きな目。

 淡い青の瞳は澄んだ泉のようだ。肌の美しさから見るとだいぶ若そうだが、時折ふと見せる表情は大人の女性のように深い。見た目だけだとあまり年がわからない。

 ヨスコさんは俺より下だ。大人っぽく振る舞っているが、二十代前半だろう。

 姫様も同じくらいなのかな。多分俺より上ではない、ということくらいしかわからない。


「熱いですよ」

「わかっています」

 わざと言い添えてカップを置くと、姫様はますます不満そうに、つんとして答えた。相手は子供だと思うことにしたら余裕ができた。ちょっと微笑ましくすら感じられる。


「部屋の配置のことなどはヴィオに聞いたのでしょう。私はあと何を説明すればいいですか」

 香りのいい湯気を立てるお茶には手も触れず、姫様はさっさと用事を済ませてしまいたいと言わんばかりに切り出した。俺はまだら模様の湿っぽい見取り図を見て苦笑した。インクが滲んでしまって、もはや芸術的だ。


「せっかくだからもう一度書いてみるので、間違っていたら教えてください。紙とペンはありますか」

 ヨスコさんが壁際の戸棚に向かう。俺もついていくと、引き出しを開けてここよ、と教えてくれた。

「ありがとう、ヨスコさん。ここの部屋のものは自由に使っていいのかな」

「ええ。でも減ったら補充してくれ、みんなのものだから切らさないで」

 俺は他の引き出しも少し開けてみた。筆記用具や文房具、布や紙ナプキンのような消耗品、ビニール袋。なるほど、ちょっとしたものはだいたいこの辺りにありそうだ。とにかく普通のペンやはさみがあって良かった。


 席に戻り、再度見取り図を書く。

「ええと、ここが3階、応接の間の前に部屋があって、それぞれヨスコさんとヴィオさんと俺で、俺の部屋は……どっち側だっけ」

 俺たちの部屋は塔ではなく、塔に接続する本館の隅に横並びで並んでいる。真ん中がヴィオさんなのは覚えているのだが。

 姫様を見ると、無視を決め込んで素知らぬ顔だ。間違えて俺に入ってこられたらたまらないヨスコさんは、姫様の手前我慢しているが、口を出したくて仕方ないようだ。


「こっちだっけ」

 とりあえず手前から書き込もうとすると、ヨスコさんはついに音をあげた。

「そこは私だ!クロノは奥、応接の間の隣!」

 慌てるヨスコさんを見て、姫様が小さく吹き出す。俺とヨスコさんが見ると、姫様はまたそっぽを向いた。

「もう、ちゃんと覚えろ!」

「ごめん、最近物覚えが悪くって。塔の一番下は応接の間、その上が4階で食堂、ここ、と」

「現在地なんていらないよ、その見取り図をここに貼っておく気?」

「そうか、俺しか必要ないんだ」

「クロノは、本当に呑気だな」


 ヨスコさんが呆れながらお茶を飲み、おいしいな、と呟く。熱いお湯で淹れたから香りが立ち、渋みがまろやかだからだろう。

「クロノはお茶を淹れるのがうまいんだな」

「お湯が熱いからだよ。香りは熱いお湯の方が強く香るから」


 姫様がカップを気にしている。俺とヨスコさんは見ていないふりをして、お茶のことを話した。興味を持ってくれるといいな。

 あ、カップを持った。よく冷まして、熱いといけないから、そうそう。

 姫様はこれでもかとふーふーして(明らかにお茶を飲もうとしている。もうバレているに決まっているが、姫様はそうでないつもりだし、それならと俺たちも知らないふりを続けた)、慎重にカップを傾けた。

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